全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れ

姑兎 -koto-

第1話 無慈悲な正義

バッファローには『困惑させる』や『欺く』という意味もある。



誰かの人生がバッファローの群れに破壊されていく。

臆病な私は、なすすべもなく、ただ、その様子を憂いている。


餌が投下される。

目ざといバッファロー達が食いつく。

彼らは、リツイートを繰り返し、仲間を増やしていく。

やがて出来上がったバッファローの群れは、独りよがりの正義を振りかざし、全てを破壊しつくすまで止まることを知らない。

彼らに悪意はない。

有るのは、正義を行う自己満足。


誰かが憶測で物を言う。

真偽を確かめることも無く、あっという間に、それがまるで事実であるかのように広がっていく。

悪意のないバッファローの群れは、それが怖いことであることに気づかない。


わが身を顧みないバッファローは、取り返しがつかなくなるまでその浅ましさ気づくことなく、事が起こって初めて、後悔を口にする。

そして、その舌の根も乾かないうちに、その後悔を打ち消すように、自分の正当性を誇示するように、次なるターゲットに襲いかかる。


浅ましき傍観者たる私は、その様子を暗澹たる気持ちで憂いているだけ。




SNSが普及して20年足らず。

リアル社会では大人であろう人々も、SNS社会ではまだ子供なのかもしれない。

そして、無邪気な正義は、時に、残酷で……。

かくいう私も、PCデビューから10年、スマホに至っては、まだ5年にも満たない。

この世界では、まだまだ子供。



でも、そろそろ気づいても良い頃。

正義は、他者を糾弾するために振りかざすものではなく自身を律するもの。

SNSは、自分とは異質の価値観を排除するものではなく、他者と繋がり世界を広げるもの。




合わない人とは、つかず離れずの距離感のご近所付き合い。

ほぼ見ず知らずのご近所さんの家の前に立ち、いきなり罵詈雑言を浴びせるようなことを普通はしない。

だったら、SNSでも同じこと。名無しでも同じこと。

モニターの先には、人が居る。

嫌な事は人それぞれだけれど、最低限、自分がやられて嫌なことはしない。

それがマナー。


無慈悲に放ったバッファローが、誰かの人生を壊すことだってある。

そして、我知らず、自分の人生をも蝕んでいる。


だからこそ、どちら様も心のうちに飼っているバッファローを無慈悲に解き放つことの無いように……。

それが、浅ましき傍観者たる私の願い。

























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