9-5

 ワイドショーの生中継中、カメラの目の前で若い男に体当たりされた翁がうずくまった。カメラはアスファルトに跪いた翁を一瞬捉えたが、その脇腹が血に染まったところで、画面はスタジオに戻された。

 司会者は動揺し、コメンテーターも口を手で覆っている。横山と祥子と悠の三人は、その様子を事務所のテレビで観ていた。急遽挿入されたコマーシャルで流れる能天気な歌が、三人の受けた衝撃を増していた。

 ひとつコマーシャルが終わったところで、我に返った祥子が中本の携帯を鳴らしたが、すぐに留守番電話に切り替わった。今テレビで目撃したことを伝えようとするが、上手く言葉が繋がらず、「とにかくすぐに連絡下さい」と最後に残した。

 そのメッセージを残して五分が経つが、未だに中本からの電話はない。

「連絡、来ませんね」

 番組で同じシーンが繰り返されるようになって、悠が呟いた。

 画面には、広海協に配備されていた私服の刑事に確保された男が、カメラに向かって中国語で何かを叫んでいる場面が流されていた。彼が何を叫んでいるのかは、祥子にも悠にも分からない。それは番組の出演者も同様だった。

 だが、脇腹を押さえながら男を睨む翁が発した名は、二人が聞き覚えのある名だった。

「この人が張さん……。男の人だったんだ……」

 祥子が呟くと、今度は翁が倒れる直前の映像が流された。司会者がその画面を観ながら解説している。

「ここですね。ここで倒れるわけですが、倒れる翁さんの後ろに……。ここ! この犯人の男性の手元に寄れますかね?」

 司会者の男が興奮気味に指示を出すと、静止した張の手元の映像が二倍に拡大された。ブレてはいるが、刃渡り十センチほどの刃物を握っている。だが、それを観ている祥子は、張の手に何が握られているかなど関心はなかった。

「張さん、なんて叫んでたんだろ」

 その疑問の答えが、番組中に語られることはなかった。

 横山は横山で、違う見方をしていた。

「ありゃあ、せいぜい全治三週間ってとこやね。殺すつもりでは刺してないですわ」


 楊が落ち着きを取り戻し、汚れた足を拭いて靴を履く様子を見て、中本はスマートフォンを確認した。

「事務所から留守電が入ってました。ちょっと俺は外に……」

 庄司に二人を任せ、中本は外に出た。

「もしもし、中本です。どうしました?」

 電話に出た悠から事件の内容を聴いた中本は、悔しさに拳を握り締めた。

 加害者という名の被害者を出さないために、中本は刑事の西原に譲る箇所は譲り、できる限りの手を打った。だが、全てが中本の計画通りには進まなかった。

 計算外だったのは、ふたつ。

 ひとつは、翁の鉄面皮の強さだ。中本だけでなく、西原も、翁は郭と共に国へ向かうと予想していたが、その予想は見事に外れた。これが、翁を現行犯で逮捕できなくなっただけでなく、張の手を汚してしまう事態を呼んだ。

 もうひとつが、その張だ。李の幼馴染だという張を、中本たちは女だと思い込み、翁に近づく「若い女」を警戒していた。

「そっちはどうですか?」

 言葉を失っていた中本に、電話の向こうで悠が控えめに聞いた。

「やっぱり楊さんでした」

「それじゃあ、楊さんは助けられたんですね」

「ああ」

 中本は悠に肯定の返事を口にしながらも、果たして本当に楊を助けられたのか自信がなかった。


 西原は中本と同様に悔しさを胸に押し込め、コンビニから出てきた男二人へ指示通りに声をかけた。郭ともう一人の男は、初めこそ「観光しているだけ」ととぼけていたが、カメラに犯行の様子を収められていたと知ると、ようやく車内の捜索にも応じた。

「この新聞紙、開いていいね?」

 荷室には、濡れた新聞紙に包まれている物が山積みにされていた。西原が了承を得て新聞紙を捲ると、束にされた葡萄の蔓が出てきた。

「この葡萄をどうするつもりだった?」

 西原は二人に聞いたが、二人は揃って「分からない」と首を横に振った。

「どこに向かっていたのかぐらいは話せるだろう?」

 続けた質問に対しても、二人の反応は同じだった。

「ナビに行き先が登録されているかもですね」

 矢部が運転席を開けて、ナビを指差しつつ運転していた男の顔を窺い見た。男は、構わないと頷いている。「分からない」とはとぼけているわけではなく、日本語で行き先をどう告げたら良いのかが分からないと言っているようだ。

「行き先はりゅうですね」

「宇龍? どこだ、それは」

 西原の質問に、矢部はそんなことも知らないのかという表情を作って口を開いた。

日御碕ひのみさき燈台の東にある小さな漁港ですよ。大きな商船が入るような港じゃありません」

「だとしたら瀬取りか。地元の人間が協力している可能性が高そうだ」

 瀬取りとは、洋上における積荷の受渡し行為だ。その行為自体が違法ではないが、違法薬物や、経済制裁を受けている国家に対する密輸に多く使われている。

 西原と矢部に挟まれるようにして立ち、矢部の操作するカーナビの画面を共に見ていた二人の中国人に、西原が車に戻るように指示した。

「広海協、いや、解放人の翁の指示だということは分かっている。これから予定通り港に向かってくれ。逃げようとは思うなよ」

「港に行くか?」

 細かい内容はどうか分からないが、西原の指示そのものは伝わったようだ。西原は二人に頷いて、島根県警へ応援を要請した。

 西原にできるのは、港で積荷を受け取る船を摘発するところまでだ。中国側の船の情報は、宇龍港で荷物の到着を待つ人物から聞き出すしかない。港に向かって走り出したバンを、西原は自戒の念を抱きつつ見つめていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る