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 中本からの連絡を受け、警察は現状を打破すべく、失踪した技能実習生を不正に労働させた入管難民法違反の疑いで、複数の農業法人、個人営農の農家へ強制捜査に入った。その際に、技能実習生を斡旋したブローカーも数名判明したが、それらは翁とは全く繋がりのない人物だった。

 多くのブローカーは、通常就労できない業種への紹介をしたり、最低賃金を下回るなどの劣悪な条件で実習生を働かせたりさせて、企業から紹介料を受け取っている。それなりの収入を得るには、数が必要になる。

 一方で翁の収入源は、ある種「正規の不法就労」といってもいい行為とは違っている。数も現段階では多くない。強制捜査で翁に辿り着くことは初めから期待していなかった。むしろ、敢えて翁とは無関係の農家を選んでいた。

 警察が不正就労の取り締まりに力を入れ始めたと知れば、翁は自分に捜査の手が回る前に仕事を済ませるはずだ。証拠がなければ作らせればいい。そう考えての作戦だった。

 九月四日、金曜日。三日前から居座っている秋雨前線が、この日も朝から大粒の雨を降らせていた。

 その雨がようやく上がった秋の虫鳴く深夜。ビニールハウスが連なる風景の中に、細い光が現れた。

 三次みよし市旧三良坂みらさか町。

 ビニールハウスの中には、収穫間近の葡萄が袋を被せられてぶら下がっている。ヘッドライトを頭に付けて、剪定ばさみを手にした男が、袋を乱暴に破って葡萄を一粒口に運んだ。だが、まだ熟れきっていなかったのかすぐに吐き出した。

 続けて、無遠慮に一本の枝に生っている房を全て切り落とす。

 ハウスの中の男が、H型に枝分かれさせた葡萄の蔓にはさみを伸ばした。明確な狙いがあるのかないのか、手当たり次第にはさみを入れている。

 蔓を切った後に、その蔓を葡萄棚のワイヤーに固定していた紐を切ると、切断された蔓が地面へ次々に落ちた。男が落ちた蔓を腕一杯になるまで抱えると、男はビニールハウスを出て行った。

 その様子を西原と矢部が車内から監視していた。

「やっと動いたな。撮れたか?」

 西原が望遠レンズを付けたカメラを構える西原に聞いた。

「顔の判別は無理ですけど、犯行の様子はヘッドライトのおかげでなんとか」

「それで充分だ。実行犯が誰かは些細な問題だ」

「それにしても、酷いですね。収穫間近でしょうに……」

「持ち主に同情しているのなら止めておけ。奴らも同罪だ」

「そうでした。雇う側がいなければ、彼らも不法就労なんかしませんもんね」

「そういうことだ」

 李は警察に出頭した後、自身が持っていた翁に関する情報を警察に渡していた。それに加えて、翁の狙いがブランドフルーツの苗にあるという推測から、西原は一軒の農家に狙いを定めた。それがこの三良坂の葡萄農家だ。ここには、廿日市市の牡蠣養殖場から失踪している実習生のカクという男が、二週間前から住み込みで働いていた。

「実行犯は動きましたけど、肝心の翁はまだ動かないみたいですね」

 西原が翁の自宅を張っている捜査員に確認したが、「動きなし」と短いメッセージが返ってきただけだった。

「ほとぼりが冷めたら、また日本で同じことを続けるつもりなんだろう。面の皮の厚い奴だ」

 そう話しながら、西原は中本に「駒が動いた」と短くメッセージを送った。


 九月五日、土曜日。オオタ加工の寮。夜明け直後に、一台のスクーターが寮の車庫に停まった。そのスクーターに乗っていた中本が、被っていたヘルメットの顎紐をハンドルにかけてぶら下げた。

 中本は、少しずつ回復してきた副社長から、寮に入る許可を得ていた。今度は専務の友人を名乗るのではなく、本当の名と仕事を告げて。

 中本は借りた鍵で寮の中に入ると、寮のリビングに置いてあるソファーに腰かけた。そして、ポケットから李のスマートフォンを出すと、その電源を入れた。更に続けて自分のスマートフォンを取り出し、西原に「到着、今電源を入れました」とメッセージを送った。

 中本はソファーに寝そべり、その時が来るのを静かに待った。そして、中本が寮に来てから三時間近くが過ぎた八時半。通りを見下ろす位置に車を停めている庄司から、来訪者を知らせるメッセージが入った。

 ソファーから静かに立ち上がった中本は、手元に置いていた靴を手に、窓に影を落とさぬよう気を付けながら、リビングとキッチンを隔てる壁に身を隠した。

 電気を止めている寮のインターホンは鳴らない。来訪者はそうと知っているとは思えなかったが、それを押すことなく、ゆっくりと鍵を挿入し、やはりゆっくりと回転させた。

 静まり返った部屋に、開錠の音が響く。

 中の様子を窺っているのか、扉はすぐには開かなかった。

 三十秒ほどが経って、扉が開く。来訪者はできるだけ音がしないように気を遣いながら扉を閉めた。そして、下駄箱を開く。靴が一足もないことを確認すると、部屋に上がり、注意深く視線を動かした。

 リビングには、会社が買い揃えた家具と家電が部屋の隅に寂しく並べられている。エアコン、テレビ、冷蔵庫……。視線を動かす来訪者の目が、ソファーの上に置かれてある物を捉えた。ソファーに向かって歩き、それを手にする。

 中国語で短く何かを呟いた後、来訪者はソファーの上から拾ったスマートフォンを、元あった場所に投げつけた。弾んだスマートフォンが床に落ちる。

 壁越しに様子を窺っていた中本が、自分のスマートフォンを確認した。西原から「翁に動きなし」というメッセージが来ている。それを確認し、庄司へ玄関前に移動するように指示を出して、来訪者の前に姿を見せた。

「李さんが居たらどうするつもりだったのかな、楊さん」


 楊がオオタ加工の寮で目を見開いていた頃、西原は松江自動車道を北進していた。

「やっぱり、船でしょうね」

 ステアリングを握る矢部が、三台先を走るワンボックスのレンタカーを睨みながら言った。西原はそれを自分に対する質問ではなく、矢部の独り言と認識して返事をしなかった。

「どこの港だろう……」

 再び矢部の言葉を聞き流しながら、西原は頭の中に地図を描いた。現在地は庄原しょうばら高野たかの付近。冬になれば、広島県内で一番雪深くなる地域だ。開通して間もない松江自動車道をこのまま北進すれば、宍道しんじの西岸、出雲市と松江市の中間に位置する宍道町しんじちょうに到着する。

 島根県警にはあらかじめ協力要請をしていた西原だったが、バンが境港方面に向かった場合も想定して、刑事部長に鳥取県警へも協力要請をするように連絡した。

 その用件が済み、電話を切ろうとした時、刑事部長の「待て!」という叫びに、西原は再び電話を耳元に戻した。

「どうしました?」

「ちょっとそのまま待てよ」

 そう言った後、刑事部長が部下に「中は調べたのか」と確認する声が、電話の向こうから遠く聞こえた。

「唐が姿を消した」

「……そうですか。どこへ行ったんでしょうね」

「知るか。こっちが聞きたい。今お前が追っているバンに乗っているっていうことはないか?」

「いいえ、それはありません。レンタカーは三次市内で八時に借りられて、郭を八時十五分に乗せています。唐を拾いに行く時間はありません。彼女が自力でここまで来ていたなら別ですが。最後に唐が病院にいるのを確認できたのはいつです?」

「今朝の七時に検温したのが最後らしい」

「じゃあ間違いないですね。どんなに制限速度を無視して走っても、自力でここまで来るのは無理です。翁の身辺を警戒して下さい。さすがにこれ以上罪を重ねられたら、実刑を免れられない」

「犯罪者の心配をする余裕があるのか? まったく、中本の坊主に影響されやがって」

 西原は、刑事部長の最後の呟きは聴こえなかったことにして電話を切った。

「『姿を消した』って言ってましたけど、誰がです?」

 西原が電話を切ると、矢部が間髪入れずに聞いた。

「唐だ」

 それだけ答えた西原は、中本と庄司に「部長に気付かれた」とメッセージを送信した。

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