9-2
九月一日、火曜日。中本と祥子は唐の病院へと来ていた。
「話せると良いですね」
朝の回診が終わるのを待ちながら、入院棟の談話室で質問の内容を確認している中本に、祥子が話しかけた。病状によっては、医師から面会を断られる可能性もあると説明されている。許されたとしても、時間は制限されるだろう。中本は一分も無駄にしまいと、翻訳アプリを駆使しつつ質問を練っていた。
「本当のこと、教えてくれるかな……」
返事をしない中本に、祥子は話しかけ続けている。祥子も、中本からの返事は期待していない。静寂に押し潰されそうになる空気に耐え切れないだけだ。
そこに、唐の担当医師が近づいてきた。表情には笑顔が浮かんでいる。中本たちにとって良い結果を持って来ているのはその表情からは明白だったが、それでも医師の口から出たものは、中本たちにとって充分といえる内容ではなかった。
「お待たせしました。今朝は随分と調子が良さそうです。どうぞ、お会いになって結構ですよ。唐さんも了承されましたし。ただし、十五分だけです。それ以上はご遠慮下さい」
話が聴けるという喜びと共に、調子が良くても十五分しか面会を認められないという状況の厳しさに、中本と祥子の心中は複雑だった。
唐の病室のドアをノックすると、中からはっきりとした声で返事があった。その明瞭な声だけで、祥子は表情を明るくさせる。
「唐さん、おはよう」
そう声をかけながら、まず祥子が病室に顔を覗かせた。唐の姿を見た祥子は、満面の笑みを浮かべた。
「おはよう、ございます。どうぞ。入って良いです」
唐はベッドに腰かけていた。医師の話通り、体調は良さそうだ。中本も、その姿を見て安心していた。しかし、時間を充分には与えられていない。中本は前置き短く、本題に入った。
「早速で悪いけど、確認したいことがいくつかある。正直に答えてくれ」
唐は一言一句聞き逃さぬよう、中本の口元を見ていた。しっかりと頷いた唐を見て、中本は質問した。
「翁と君の両親の話は、李さんから教えてもらったよ。でも、分からないことがあるんだ。ひとつ目はこれ」
話ながら中本はスマートフォンの画面を唐に見せた。画面には、翻訳アプリで中国語に訳された文章が表示されている。
画面に表示された文字を口に出して読みながら、唐は時折首を捻っている。いくらか不自然な訳があるようだ。
「お金、翁から貰った五十万円。何のお金……何をして手に入れたお金だったんだい?」
中本が言葉で言うと、そちらの方が正確に伝わったようだ。
「翁先生、お金くれました。中本さんに払うお金」
「え? 私たちの調査費用ってこと?」
意外な答えに、祥子が目を丸くした。唐は少し首を傾げている。中本が唐に、調査費用を翻訳した「調査成本」という文字が表示されたスマートフォンの画面を見せると、彼女は何度も頷いた。
「それにしても、五十万は多すぎ……そうか、翁を騙したんだな」
唐は中本の言葉に頷いた。
「紅さん、捜す、お金、沢山要ります。翁先生に言いました」
中本は、複雑に考え過ぎていた自分に苦笑した。初めから唐は、翁から手に入れた金を調査費用として支払っている。
「それじゃあ、次の質問だけど」
中本がスマートフォンの画面を切り替えて再び唐に見せた。唐はやはり何度か読み返していたが、今度はそれでも上手く通じたようで、中本の目を見て「違う。私は知りません」と力強く言った。
「知らない、か……」
中本からの質問と、自らの答えを耳にした後の反応を見て、この日初めて唐は表情を曇らせた。
「中本さん」
唐が弱々しくも確固たる意志を内に込めた声を発した。
「なんだい?」
「私も確かめたいです」
中本は腕を組んで瞼を降ろして考えた。唐は退院と同時に逮捕されるだろう。仮に中本らの証言で逮捕には至らなかったとしても、連行されるには違いない。
「分かった。何とかしてみよう」
中本はその性分で、口約束であっても軽んじることはない。看護師に時間切れを告げられ、病室を出た直後に西原へ連絡していた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます