8-2
西原と同じように、佐々岡からの電話でその放送のことを聞かされた中本たちは、再びテレビの前に釘付けになっていた。
テレビに翁が映った瞬間は、マスコミに隠していた情報が漏れたのかと中本たちは焦ったが、単にオオタ加工への実習生の受け入れを仲介した担当者として、話を聞かれているようだった。翁は教科書通りの受け答えを淡々とこなしている。
「私たちがやっていることはビジネスではないんです。日本の優れた技術、技能を習得して、自国の産業発展に役立てる。その目的を受け入れる企業だけではなく、実習生たちにも周知させるよう努めてきました。当然それは我々に課せられている義務です。そして我々は、その義務を怠っていたとは認識していません」
翁のその言葉に、祥子は苛立って立ち上がった。
「信じらんない! どの口が言ってるわけ? ああ、もう! コーヒーのお替り淹れます。他に飲む人手を上げて!」
祥子がテレビに向かってシャドーボクシングのように右左と拳を付き出しながら聞くと、全員の手が上がった。
「じゃあ、淹れてきまっす」
祥子がテレビに背を向けて愚痴を溢しながら給湯室へ向かうと、携帯電話の音がして、それぞれが自分のスマートフォンを確認した。だが、誰の電話も鳴っていない。その音が聴こえてきたのは、テレビからだった。
「失礼、マナーモードにしていたはずだったのですが……」
それまで冷静だった翁が、スマートフォンの画面を見て少し慌てているように見えた。そして、テレビカメラに背を向けスマートフォンをポケットにねじ込んだ。
「も、申し訳ありませんが、このくらいで……」
翁はそう言うと、広海協のビル内へと消えて行った。
「なんや、えらい慌てとったようやね」
横山がそう言ってシュークリームに手を伸ばした。
「確かに。時刻をメモしておきましょう。後で西原さんに誰からの着信だったか調べてもらった方が良い」
中本もシュークリームを取りながら、誰にともなくそう口にした。
給湯室でコーヒーをセットしながらテレビを観ていた祥子が、「もしかして」と言いながら給湯室から出てきて、事務所の電話のボタンを押し始めた。
「祥子さん、どこに電話しているのか聞いても良いかな?」
中本が自分の気持ちを落ち着かせるように、ゆっくりと祥子に聞いた。祥子がどういう性格か家族同様に分かっている中本は、その答えは予想できていた。
「翁さんですよ。決まっているじゃないですか。今のままじゃ令状取るのも時間かかるでしょ?」
「決まっているって……」
呆れつつも祥子の好きにさせていた中本に、祥子は自分の口に人差し指を立て電話の相手に意識を向けた。
「もしもし、翁先生ですか?」
額を掻いている中本に、ニンマリと笑って見せた祥子は、相手の応答の後に言葉を続けた。
「私ですよ。李紅です」
中本は額を掻いていた手を広げて頭を抱え、庄司と横山は苦笑し、悠は頬張ったシュークリームから溢れ出したカスタードクリームの付いた指を咥えた。
「『誰だ?』って言ってますよ。この人」
祥子が受話器を自分の肩に押し当てて、その受話器を指差しながら言った。
「だから、李紅ですってば」
「李の電話からかけてきたのもお前か!」
今度は祥子が言うまでもなく、翁の叫ぶ声が受話器から全員に漏れ聞こえた。周りの反応を見て得意げな顔をした祥子は、「すみませーん、間違えましたー」と言って電話を切った。
「やっぱり、思った通り。あの電話は李さんのスマホからだったみたいですよ。さすがですね、私って」
「さすがですね、じゃないですよ。相変わらず……。まあ、いいです。それで、何か感じました?」
中本からシュークリームを受け取りながら、祥子は「うーん」と唸った。
「李さんの電話からかかってきたのに、電話してきたのは李さんじゃないと確信している感じでした」
「そりゃあ、翁さんも李さんのスマホが、専務の車に置きっぱなしになっていたのを聞いていて当然だからね」
「でもですよ、新しく買い直すとかするじゃないですか、普通。……そっか。普通の状況じゃなかったですね」
普段なら自分の手柄と胸を張る祥子が、そう呟いたきり俯いていた。手にしたシュークリームも口が付けられていない。
「あれは……、あのお金は、脅迫で手に入れたんじゃなくて、報酬だったのかな。唐さんが翁さんに雇われて……」
中本がオオタ加工で導き出した推理に、別の道から祥子も辿り着いた。中本が肩を落とす祥子の肩に手を置いた。
「祥子さん……。でも、まだ……」
「そうと決まったわけではない」と続けるつもりだった中本の言葉が、不意に向けられた祥子の輝く瞳に喉の奥へと消えて行った。
「やっぱり、そんなはずないですよ! そんなことをする子だったら、専務と一緒にボートになんて乗りません!」
思わず力を込めた祥子の手が、シュークリームの中からカスタードクリームを搾り出した。
「祥子先輩! シュークリームが!」
悠の悲痛な声に、祥子も悲鳴を上げた。零れ落ちそうになったカスタードクリームを、祥子の口が迎えに行ったが、間に合わなかった。
「あれ……」
床に零れ落ちたカスタードクリームを見つめて祥子が固まっている。
「あーあ、祥子先輩、ちゃんと掃除して下さいよ。……先輩? 祥子ちゃん?」
悠の声にも反応せず、祥子は床を見つめたままだ。
「でも、翁さんって、どっかで見た顔……」
祥子は自分の記憶を辿ったが、答えを導き出せない。動かない祥子に悠が嘆息して、足元のカスタードクリームをティッシュペーパーで拭い取ると、祥子が顔を上げた。
「……シュークリームの中身はカスタードクリームでしょうけど、タープの袋の中身は、李さんだと決まったわけじゃないですよ」
その祥子の言葉を証明すべく、中本の携帯が鳴った。画面には槇本と表示されている。
「はい、中本です。……本当ですか! それで、どこに? ……そうですか。それじゃあ、詳しく分かったらまた連絡を。本当に助かったよ、槇本君。ありがとう」
電話の内容に興奮した中本が、思わず祥子の背中をはたいた。シュークリームに口を押し当ててしまう形となってしまった祥子が、「ブビッ」という音を発した。
「李さんの目撃証言が取れたそうです。それも、李さんを乗せたというタクシードライバーの」
中本は、メンバーそれぞれに忙しく指示を出した。絶望的だった依頼に、にわかに光りが差し始めた。だがそれは、新たな事件へと導く誘導灯でもあった。
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