6-3

「工場の様子も見に行こう。副社長のあの様子だと、まだしばらく調べる時間はある」

 車を工場前に移動して車外に出ると、工場の裏手の方からコンクリートを擦る音が聴こえてきた。

「楊さん、奥にいるみたいですね」

 仮に楊ではなかったとしても、言い訳は簡単だ。中本は迷うことなく音のする方に歩いた。

「こっちだ」

 中本が二階へと上がる外階段の横をすり抜けて行くと、焼却炉の前にスマートフォンの照明を点けた楊がいた。楊は、灰出し口の前の地面を照らしながら、小さな金属の板で灰を掻き分けていた。

「所長、もしかしてあの焼却炉で袋ごと……」

「いや、あの大きさでは厳しいんじゃないかな。実際にやったことないから分からないけど……」

 その焼却炉は、ドラム缶半分ほどの大きさしかない。余程細かくしなくては人間など入らない、と中本は考えたが、ここには細かくするだけの工具はいくらでもあった。中本は一度頭を振って、灰を掻き分けている楊に声をかけた。考えるより確かめた方が早い。

「何か見つかりましたか?」

「あ、中本さん。……これ、紅さんが履いていたズボンのボタンです」

 楊の足元には、三つの黒ずんだボタンが並べて置かれていた。いずれも同じ大きさで、花弁をデザインした刻印があった。

「中国の学校で、李さんが自分で作ったと言っていたズボン。海に行った時に履いていたものです」

 中本は、李紅が履いていたデニムのショートパンツを思い出していた。

「あのズボンは自分で作ったものだったのか」

「はい。ボタンを選ぶのに最後まで悩んだって言っていました。花にするか、ハートにするか」

 李の行方が分からなくなった当日に着ていた服を、ここで燃やしていたという揺るぎない証拠だ。ようやく見つけたこの証拠を、正当な方法で発見したことにしなければならない。

「楊さん。君は今まで世話になった会社のために、善意で掃除をしていたことにしましょう。その最中、ここにあるはずのないものを見つけてしまった。これ以上の詮索はしない方がいい。この続きは警察に任せましょう。いいですね?」

 頷く楊の肩が震えた。一人の人間の存在を消されたという実感が押し寄せてきたのだ。

 中本も今まで感じたことがない感情に戸惑っていた。殺害した状況が衝動的な過ちだからとしても、決して許されるということはない。だが、そこから明らかな悪意を育て、この場所で計画的に行われた隠ぺい行為の方が中本には許せなかった。倉庫での祥子も同じ感情に襲われていたのだろう。

 人の命を奪ったことよりも、その人物が身に付けていた衣服を燃やしたことに怒りを覚えるとは、正常な人間が抱く感情なのだろうか。自分の死に対する感覚がおかしくなってしまったのではないか。答えの出ない自問を繰り返し、中本は闇の中に引きずられているようだった。

「所長……。西原さんに知らせないと」

 祥子は何度か中本に呼びかけていたようだったが、肩を叩かれてやっとその声が中本の頭にまで届いた。

「ああ、そうだな。楊さんは寮に帰って休んだ方がいい。進展があったら君にもちゃんと知らせるから」

 中本にそう言われても、楊はしゃがんだままで、広げられた灰を見つめている。祥子から二度「楊さん」と呼びかけられて、ようやく立ち上がった。

「分かりました。……でも、紅さんの物だけです。唐さんの物はありません」

「西原さんたちがちゃんと調べたら、もっと細かいことまで分かるさ」

 そう言った中本の携帯が震えた。モニターに表示されたのはその西原の名前だった。

「噂をすれば、です」

 中本が、「県警・西原」と表示された画面を楊に見せて電話を取った。

「中本です」

「ああ、もう帰ったか?」

「いいえ、今はオオタ加工の工場に居ます。西原さん、証拠を見つけましたよ」

「証拠?」

「はい。李さんが先週土曜日に身に付けていたジーンズのボタンです。楊さんが善意で工場の掃除をしていた時に、焼却炉から発見しました」

「善意で、か。なるほどな。それで、李紅の服だけなんだな?」

「ええ。唐さんの物は見つかっていません」

「それは分かっている。そうじゃなくて、李紅の遺体はないのかという意味だ」

「遺体と思われるものはないですが……。『それはわかっている』ってどういうことですか?」

「今海に出ているのは専務と唐だ」

「唐さんは生きているんですか!」

 中本が思わず叫ぶと、周りにいた二人はほっとした歓声を漏らした。

「ああ、少なくとも今日午後一時の時点では、だが」

「なんにしろ良かった。専務は副社長に、出張からの帰りは八時ごろになると伝えています。その時間通りに帰るとしたら、もう一時間もせずにそちらに戻ってくると思いますが……西原さん、さっき専務と唐さんが船に乗ったと言いました?」

「ああ。今日出船した時に、社長の姿は確認できなかったよ」

「社長が一緒じゃない……。そうだ、月曜日の映像はどうでしたか?」

「社長一人で朝七時に出船して、一時間半後に帰港している。荷物はクーラーボックスひとつ。今日の荷物も同じだ。恐らく、李も社長もクーラーボックスの中だな。積み込む様子からして、不自然なほどに重そうにしていたから、間違いないだろう」

 焼却炉には遺体を燃やしたような形跡はなかった。それに、灰にしていたとすれば軽いはずだ。中本は副社長の話を思い出した。

「先週の日曜日と今日の午前中、専務が溶鉱炉を使って作業をしていたようです。もしかしたら……」

「遺体を鉄ごと溶かしたか……。考えたな。それなら重りなしで海底に沈んで浮かび上がることはない。分かった。すぐにそっちにも捜査員をやって、ボタンを確認した後、令状を取ろう。あの子にも礼を言っておいてくれ。ボタンが見つかっていなければ、工場の捜索はできなかった」

「分かりました。……それにしても、どうして二人が社長を?」

「知るか。本人たちに聞かんと分からん。翁を脅迫した唐が船に乗っていたんだ。引っ張る理由はある。じっくり話を聞かせてもらうさ」

「それもそうですが……。あ、それから、李さんの遺体を運ぶのに使ったと思われるタープテントの袋を手に入れようとしたんですが、既に処分されているようです。焼却炉の灰を詳しく調べたらそれも出るかもしれませんけど」

「分かった。それも捜査員に伝えておこう。どうやって手に入れようとしたかは、まあ聞かないでおく」

「盗もうだなんて考えてはいませんでしたよ。ちゃんと副社長に了承を得て見せてもらいましたから。いくらか彼女も勘違いはしているかもしれませんけど。それはまあいいとして、それじゃあ楊さんもこの場で一緒に待っていた方が良さそうですね」

「そうしてくれ。三十分以内には行けるはずだ」

 西原の言葉通り、電話を切った二十分後には二台のワンボックスで、六人の警察官がやってきた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る