六 海の二人

6-1

「まだ二人の現在地は分からんのか?」

 警察署では、西原が苛立ちを隠さず、机を指先で叩いていた。

 中本からの報告を受けた直後から、Nシステムで社長の車のナンバーを検索にかけているが、まだヒットしていない。専務の車は、オオタ加工近くを走行していた地域課の警官からの報告で、自宅に停まっていることは確認されていた。

 Nシステムにヒットしないということは、中本から聞いた岡山へ出張中という話には疑問符が付く。電車を使ったということも考えられなくもないが、オオタ加工の立地から考えて、その可能性は限りなくゼロに近いと西原は睨んでいた。

 ただでさえ証拠はおろか、死体すらない殺人事件だ。警察が動いたと発覚して、さらなる証拠隠滅を図られれば事件の解決は不可能になる。かと言って受け入れ仲介業者の翁には接触している。外聞の悪いその内容を他人に漏らすとは考えにくいが、翁も普通の神経の持ち主ではないだけに、時間が経てばどう動くか読めない。それほどのんびりと周りを固める時間はない。

 西原は捜査員に待機を命じて、携帯電話に手を伸ばした。


 中本が運転する車の中で、後部座席に座る楊は静まり返っていた。唐だけではなく、李も既に殺害されていることが濃厚となり、しかもその犯人が自分の雇い主らしいとなれば当然のことだ。

 その沈黙を破って中本の携帯が鳴った。西原からだ。中本は楊のことを考えて、スピーカーにはせず祥子にその電話を受けさせた。

「はい、中本の携帯です。……ええ、木戸です。所長は今運転中で。……そうです。帰っている途中です」

 祥子も普段より低いトーンで話している。

「所長、岡山へ出張というのは嘘に違いないって。どこか思い当る場所はないかって西原さんが」

 中本はそれを聞いて、自分の迂闊さに舌打ちをした。少し考えたら唐がいなくなった直後だ。出張と言いつつ処分しているに違いない。

「楊さん、唐さんがいないのに気付いたのは何時?」

「気付いたのは八時ぐらいですけど、私が目を覚ましたのが七時でした。それから唐さんが出て行った気配はありませんでしたから、きっとその時にはもう唐さんは出て行っていたと思います。あ、私が昨夜寝たのは一時ぐらいです。その時は唐さんもいて、唐さんは先に眠っていました」

 こんな時でも楊の答えは的確だった。中本は、改めて楊がオオタ加工のような所で働いていたのがもったいないと思っていた。

「それで、社長たちが出張に行くと言って出かけたのって何時くらいだったのかな?」

「えっと、私が出たのが十一時過ぎでしたから、十一時ちょうどぐらいだったと思います。専務が社長の車を運転して出て行きました」

 確かに楊が出る直前だったと言っていたのを中本は思い出した。完全に明るい時間だ。その時間帯であっても、人目につきにくい場所と言ったら、ひとつしか思い浮かぶ場所はなかった。

「祥子さん、海ですよ。五日市のマリーナに行ってもらって下さい。先週の月曜日にも社長が行っているはずです」

「分かりました。西原さん、五日市のマリーナから船で海に出ているかもしれないって話です。李さんがいなくなった翌々日にも行っているみたいなので。……はい、分かりました。伝えておきます」

 祥子が電話を切って中本の携帯を中央のカップホルダーに置いた。

「西原さんが今日は事務所で待っていてくれって。とりあえずマリーナで防犯カメラの映像を確認してみるそうです」

「そうですか。西原さんも、まだ本人たちに話を聞く気はないんでしょう。追い詰める材料が水戸さんの証言だけじゃどうにもならない」

 ここまで何ひとつ証拠は見つかっていない。何か出てきてくれと中本は祈ることしかできなかった。

 次に西原からの電話が再び車内を包んだ沈黙を破ったのは、県境を越えて広島県に入った時だった。同じように祥子が電話を受けたが、用件だけを伝えて早々に電話は切れたようだ。

「所長、当たりだそうですよ。社長の車がマリーナの駐車場にあって、社長たちの姿は見えないそうです。ただ、管理棟が営業時間過ぎて閉まっているから、これから開けてもらうように手配するそうです」

 時刻は五時半。あと三十分ほどでオオタ加工の寮に着く。中本の頭の中では、横山の言った一言が繰り返されていた。

 ――我々にしかできんこともあるやろうし。

 社長と専務がいない間にできることがないか。中本は事件のあらすじを追って、数少ない物証を得る策を練っていた。

 あの日、李が酒に酔ってトイレに行った。専務と唐以外のメンバーは、先に温泉に移動する。唐をキャンプサイトに残し、専務が李の様子を見にトイレに行くと、彼女はトイレの中で苦しんでいたのだろう。専務トイレの扉を乗り越えて中に入り、李を襲った。

 最初から殺すつもりはもちろんなかったはずだ。暴れて声を上げる李の口を塞いだか、あるいは首を絞めたか。殺してしまった後どうしたらいいか分からなくなった専務は、ドアの鍵を閉めたままドアの上を乗り越え、車を走らせ社長と二人で戻る。李をタープテントの袋に入れて、社長の車へ乗せている所を散歩中の水戸に見られた。

「タープか……」

「ん、所長、どうしました?」

 窓の外の流れる景色を見ていた祥子が中本の言葉に反応して、中本は自分が声を出して呟いたことに気が付いた。

「ああ。なんとか物証が押さえられないかと思ってね」

「まさか社長が留守の隙に盗みに……入るわけないですよね、スミマセン」

「当たり前でしょう、副社長は家にいるかもしれないんですし。……そうか。その副社長、利用できないかな」

 横山の話では、副社長は口が軽い。社長もそれを承知していて、月曜日の行き先をゴルフと言っていたに違いないと中本は見ていた。

「祥子さん。副社長が社長たちの行き先を岡山だと思っているようなら、俺が専務の友人を装ってキャンプ用具を借りにきたことにします」

「分かりました。『オレオレダチ』ですね」

「なんですか? その、どこかで聞いた響きのヤツは」

「『オレオレ、息子のダチだけど……』って言って騙すヤツですよ」

「そう言う呼び方があるほどメジャーなんですか。それは知らなかったな」

「でしょうね。今、私が考えましたから」

 社長の車が停まっている五日市のマリーナから、オオタ加工までは車で三十分以上かかる。西原から車が出たと教えてもらえば、余裕を持ってその場を離れることはできるだろう。

 社長が帰ってきたら副社長は中本が来たことを話すだろうが、それで二人が焦ってくれれば、他の証拠を晒すかもしれない。賭けには違いないが、中本は何としても自分の手で手掛かりを見つけたいと願った。

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