5-3

 中本たちが寮に入ると、まず積まれた段ボール箱が出迎えた。

「唐さんと私の荷物です。火曜日に全部送る予定です」

 リビングの奥にある対面キッチンには、大きなゴミ袋が口を広げて幾つか置かれていた。普段掃除をする余裕もなかったのか、故郷へ送る荷物よりもごみの方が多い。

「この冷蔵庫や洗濯機なんかは初めから寮にあったものかい?」

 中本の質問に楊は頷いた。

「そうです。エアコンやテレビも」

 どうやら不便な暮らしはしていなかったようだ。

「これで家賃は?」

「十二万円をみんなで割ります。……今月は六万の予定でした」

「十二万か……普通に借りたとしてもこの場所では高いような気もするけど、これだけ設備を用意されていたら文句は言えないな。ギリギリのラインだ……」

 中本は唐が李の捜索を依頼してきた理由が分かったような気がした。李が心配だっただけではない。なんとかこの寮に戻ってもらわなければ、自らの負担が増えるからだろう。

「唐さんが明け方に返ってきた時、何か気付いたことはあったかな?」

 西原が楊に向かって優しく聞くと、楊はその日のことを話し始めた。

「気付いたことというよりも、今までの唐さんとは全く違っていました。とても嬉しそうに笑っていましたし、今まで見たことないくらい楽しそうでした。最初は中国に帰ることになって、それが嬉しかったんだろうと思いましたけど……」

「そうじゃなさそうだと気付いたんですね?」

「はい。唐さんが夜出かける時に、こう言っていたんです。『私が帰ってこなかったら捜さないで』って。どこに行くか教えて欲しいと言っても教えてもらえませんでした。そして、寮に帰ってきた唐さんが、中国に帰ると言い出して。私にも中国に帰るといったら、中国に帰る前に日本でやりたかったことをやろうと」

「その時のお金も全部唐さんが出したんだったね?」

 楊は頷いた。

「そのお金はどうしたのか、私は聞きませんでした。でもなんとなく分かりました。誰からか普通じゃない方法で貰ったお金だって」

 西原はメモを取ることなくじっと楊の話を聞いていた。

「大体いくらぐらい貰っていたか聞いたかい?」

「五十万円って言っていました。でも、上手くいけばもっと手に入るとも話していました。中国に帰る前に、もう一度お裾分けすると言って」

「なるほどね。話の流れは分かったよ。今日の唐さんの服装とか覚えてるかな?」

 楊は首を横に振った。

「私が寝ている間に出て行っていますから」

 西原はそれを聞くと、玄関に積まれている段ボールに目をやった。

「あの中に唐さんの服も荷造りされているのかな? もしよかったら見てもらえないか。そこに入れられていなくて、クローゼットにもない服を着ているはずだから」

「でも……」

 黙って人の荷物を見るということに楊は躊躇しているようだった。

「唐さんのためです。お願いできませんか。もし後で唐さんに怒られたら、私も一緒に謝ります」

 西原はそう言ったが、中本にはそれが嘘だとすぐに分かった。西原は二度と唐は戻らないと確信している。

「分かりました。見てみます」

 楊は唐の荷物を調べ始めると、西原は中本たちと小声で話した。

「稔君、やはり唐という実習生はもう殺されているかも。五十万というのはコンビニのATMで引き落としができる限度額だ。そして、脅迫した相手にとっては痛くも痒くもない金額だろう。最初にあっさり唐を帰して、警戒されることなく次の取引を持ちかけられるような隙を見せている」

 中本や祥子が口に出さなかったことを、西原は易々と口にした。

「そうあっさりと言われると溜息しか出ません。やはり生きている望みは少ないですか?」

「連絡がつかないとなれば尚更。拘束して生かしておく必要はない。コンビニの防犯カメラを確認していけば当たりを引けるかもしれんが、事件として認知されていない以上、捜査員をつぎ込むわけにもいかん。……それとも、事件を仕立て上げるか。唐には悪いが」

「仕立て上げる?」

「私の始末書一枚で済めば安いもんだろ。唐が楊の金かキャッシュカードでも盗って逃げていることにすればいい」

 その策を聞いて祥子が心配そうに西原を見た。

「そんなことして始末書だけで済みます?」

「大丈夫さ。後でよく探したら、楊が纏めた荷物の中に紛れ込んでいたことにでもすればいい。間違いなく今はそんな窃盗よりも重大な事件が起きている。それを解明することの方が重要だ。僅かな可能性だが、まだ唐が生きているってこともあり得なくはない。だが、それも時間が経てば可能性はもっと低くなる」

 西原はそこまで言うと、楊が近づいてきたのを見てその話を切り上げた。

「唐さんが着ている服、分かりました」

 楊はスマートフォンの画像フォルダを見ながらそう言った。そして、一枚の写真を西原に見せた。

「これです。ズボンもシャツもこの写真の服だけありません」

 淡いブルーのタイトなジーンズにグリーンのポロシャツ。西原はその写真を自身のメールアドレスに転送してもらった。

「ありがとう。十九日から二十日に出かけていた時も、こういう格好だったかい?」

 西原の質問に、楊は記憶を辿った。

「いいえ、全然違いました。ちょっと待って下さい。その時着ていた服はさっきクローゼットにあったのを見ました」

 そう言って二階に駆け上がった楊は、すぐに真っ白い服を胸に抱いて降りてきた。

「唐さんがお金を持ってきた時に着ていた服です。これを唐さんが着ている写真はありませんけど……」

 楊がそう言って持ってきた服を床に広げて見せると、その服を見た中本と祥子は顔を見合わせた。

「唐さんがこれを?」

 祥子が思わずそう聞いたのは、最初に会った時に受けた唐の印象とあまりにかけ離れていたからだ。その服は胸元に白いフリルの付いたチューブトップのワンピースだった。丈も短く、小柄な唐が着たとしても膝上二十センチ程度しかないだろう。

「着てたのはこれだけ?」

 祥子に楊は頷いた。

「今日の格好とも随分違いますよね。私でもこれ着るのは躊躇しちゃうな。ジーンズと合わせてならなんとか着れるけど」

 そう言って祥子はそのワンピースを自分の身体に当てがった。

「祥子さんには入ら……っと、いや、なかなか似合うんじゃないですか? そういう服も」

「……所長。世の中にはですね、言ってはいけない言葉っていうものがあるんですよ。そんなんだからいつまで経っても……」

「祥子ちゃん、こっち向いて」

 中本に掴みかかろうとしていた祥子に、西原がデジカメを向けた。反射的に足を交差させてポーズを決めた祥子にシャッターを切る。

「ありがとう。それじゃあ、もう一回その服を床に置いてくれるかな」

 祥子が床にその服を置くと、西原はダイニングチェアーを借り、その上に立って服の全体を撮影した。

「何か唐さんが日常的に使っていた物とかないかな? 具体的に言えば指紋が採取できるものが欲しいんだが。例えば食器とか、歯ブラシ、化粧品なんかでも良い」

 西原がそう言うと、楊が洗面所から唐が使っていた歯ブラシとコップをタオルに包んで持ってきた。

「これが唐さんの物です。……あの、私は水曜日に帰られるでしょうか?」

 中国に帰ると決めてから、この事件に関わってしまった不運を恨んでいるのだろう。楊のその言葉からは、日本から早く出たいという気持ちが溢れていた。中本はやるせなさを感じながら、西原を警察署まで送るため、祥子と楊を残して一旦寮を後にした。

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