5-2
「その寮、私も同行していいかな?」
警察署の中の小さな会議室。この警察署では最年長の刑事である西原の前に、李の資料と、チャック付きビニール袋に入れられた一万円札十枚が置かれていた。
「それは楊さんに聞いて下さい」
中本に向かって許可を求めて来た西原に中本がそう言うと、スキャナーで指紋採取をしていた楊が少し緊張したように肩を強張らせた。刑事が一緒に行動するとなれば、慣れない人間ならば緊張もするだろう。
「楊さん、大丈夫よ。こんな顔してるけど、この刑事さん優しいから。あなたたちを守ってくれるよ」
「祥子ちゃん、こんな顔ってことはないだろ」
そう言って頭を掻いている西原に、楊は頷いた。
「はい。一緒に来て下さい。私は唐さんが心配です」
「よし、決まりだな。稔君、君の車に乗せてもらうことにしよう。私はこれを鑑識に渡してくる。先に車で待っていてくれ」
西原はそう言うと、長机の上に置かれた一万円札と、楊の指紋採取に使ったスキャナーを持って立ち上がった。会議室の扉を開けて三人を外に促す。
「庄司さんはどうしてる?」
「李さんが姿を消した現場で聞き込みをしています。まだ目撃証言は得られていませんけど……」
「そうか……。捜査員を動員したいところだが、まだ事件にもなっていないからな。私だけで勘弁してくれ」
「気にしないで下さい。事件になんてならない方がいい」
西原はそれに無言で頷いて階段を上って行った。
「私、何か疑われているのでしょうか?」
反対に階段を降りて行く中本の後ろで楊が呟いた。
「ん? どうしてだい?」
中本は歩く速度を落として楊の横に並んだ。
「私だけ指紋を取られました」
「なんだ、そういうことか。俺たちの指紋はもうデータベースにあるから取る必要がなかっただけだよ。あの一万円札には楊さんの指紋も付いているからね。検出された指紋から楊さんの物を除外する必要があるから指紋を採取しただけさ」
中本の答えで安心したようで、楊の表情から緊張が少し取れた。
「そうなんですね。日本と中国では警察も全然違う。中国の警察はもっと……なんて言っていいのか分からないですけど……」
「いや、分かるよ。こっちでもたまにニュースで目にするからね。とにかく心配するようなことはない。今は唐さんと李さんの無事を祈ろう」
警察署の外に出ると、八月の熱気が身体に纏わり付いてきた。
「ねえ、所長。途中アイスクリームでも買って行きません? 楊さんもアイスクリーム、好きでしょ?」
「はい。日本のアイスクリームもお菓子も、全部美味しいです」
やはり祥子には敵わない。中本はそう思った。中本ではそこまで気が回らない。
「それじゃあコンビニに寄って行きましょう。それにしても楊さんは日本語が本当に上手いですね。中国に居た時から勉強を?」
「はい。独学ですけど」
「独学か……凄いな」
中本は、度々テレビ番組で親日家の外国人が、独学で日本語を勉強したという話を聞いたことがあるが、その度に感心していた。義務教育から英語を習っていながら英語を話せない日本人が多いのとは大違いだ。
「日本のアニメが好きなんです。唐さんも同じアニメが好きだって言っていました……」
「へえ、そうなの。なんのアニメ?」
「とても古いものです。『うそつき姫と魔女』」
中本と祥子にはそのタイトルを聞いてもピンとこなかったようで、二人とも首を傾げていた。
「知らないですか? 姫に化けている魔女が教育係のおばさんに向かって、いつも心の中でこう言うんです……」
「『小娘のクセに』」
その声は中本たちの後ろから聞こえた。振り返るとそこには西原が立っていた。
「随分昔のアニメを知っているんだな。君たちが生まれるずっと前に放送されていた。……ん? どうした、早く行こう」
西原が呆然と立っている中本に向かって急かした。
「いや、西原さんがそういうのを見ていたなんて意外で」
「ふん。私にだって子供の頃はあったんだよ」
「それにしたって、女の子が見そうなタイトルじゃないですか。ねえ、楊さん」
中本に楊はただ笑っていた。楊も西原がそのアニメを見ていたイメージではなかったようだ。
移動中の車内でも、後部座席に座る西原と楊はそのアニメの話をしていた。すっかり楊も西原に心を許した様子だった。
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