五 失踪

5-1

 八月二十二日、土曜日。李が姿を消して一週間が経つこの日、十二時に中本探偵事務所を訪ねて来たのは楊だけだった。唐の姿は今朝から見ていない、と楊が中本に告げた。

「朝起きた時にはもう姿がありませんでした」

「荷物は?」

「荷造りしていた物は全部置いてありました。ただ、いつも持ち歩いていたリュックはありませんでした。昨日までは唐さんも一緒にここへ来るって言っていたのに、今は電話をしても繋がりません」

 そう話した楊は、持ってきた現金の十万円だけを置いて、浜田への同行はできないとだけ言い、すぐに帰ろうとした。それを祥子が引き留め、「このお金は唐さんが置いて行ったんじゃない?」という質問を発すると、楊は事務所から出ようとしていた足を止めた。

「どうやって手に入れたお金か聞いてる? まともなお金じゃない気がしない?」

 祥子が楊に聞くと、彼女は首を横に振った。

「聞いて……いません。でも、唐さんは水曜日の夜に出かけて、朝まで帰ってきませんでした。その時にお金を手に入れたみたいで。木曜日に仕事が終わって、唐さんと街に遊びに行きました。その時のお金も唐さんが全部出しました」

「唐さん、危ないことをしてなきゃ良いんだけど……。所長、私たちはこっちで唐さんを捜しましょう。なんだか嫌な予感が」

 中本は祥子よりも具体的に「危ないこと」を想像していた。昨日祥子が言っていた「トイレ」というキーワードを中本なりに考えて導き出した答えがある。中本はそれを口にして祥子の考えを確かめることにした。

「水曜日に石見海浜公園に行った時、俺たちは祥子さんにトイレの中を見てきてくれるように頼んだでしょう? だけど、唐さんは専務が捜しに行ったと言っていた。考えてみたら不自然だ。トイレの様子を確かめに男の専務が行くわけがない。もし唐さんが楊さんに嘘の説明をしていたとなると、唐さんは何か見たことを隠している。そして、大金を手にしている。短絡的かもしれないけど、何かを見て大金を手に入れているとなれば、俺には恐喝って二文字しか浮かんでこない」

「やっぱりそう思っちゃいますよね。……だとしたら、相手は専務かな?」

 祥子は伏し目がちに推理を口にしたが、楊が「それは違うと思う」と否定した。

「唐さんが出かけた水曜日の夜、専務は遅くまで仕事していました。唐さんが出た時間も。だから、お金を唐さんに渡したのは専務じゃない」

「そっか……。この際、あの専務であってくれた方がまだ安心だったのにな。もし、唐さんがまたお金を要求しに行って帰ってこないんだとしたら……」

 祥子は最悪の事態を口にしなかったが、その可能性があることは、中本も楊も感じていた。

「楊さん、寮に戻りましょう。何か手掛かりが残されているかもしれない。……今日、社長や専務は?」

「私が寮を出る少し前に出かけました。専務が今日は一日岡山に出張だと言っていましたけど」

「専務の電話番号は分かるかい?」

「はい。……これです」

 楊が専務の番号を表示させたスマートフォンの画面を中本に見せた。中本はそれを見て電話をかけようとしたが、途中で思い直した。

「楊さんからかけてもらった方が良いな。李さんがいなくなった時、トイレに捜しに行ったのが専務だったのか、唐さんだったのか確認してもらいたいんだけど」

 楊はそれを了承して、通話ボタンを押した。気を利かせてスピーカーで発信したが、流れてきた音声は、相手の携帯の電源が入っていないことを告げた。

「仕事だから電源を切っているのか、それ以外の理由か……」

 中本は時刻を確認した。時間的には昼休憩の頃だ。終日出張だということは、移動中ではないはずだ。

「仕方ないですね。確認は後にしましょう。社長と専務の二人がいないのは、寮を見るのには好都合です。あまり時間はないかもしれない。急いで寮へ行きましょう。部屋に上がらせてもらうことになりますけど」

 中本がそう言うと、楊は頷いてスマートフォンを収めた。逆に中本はスマートフォンを取り出して庄司に電話をかけた。

「庄司さん、中本です。今日はそちらへ行けなくなりました」

「何かあったんですね?」

 中本は、唐が李を捜していた時に誰かを見て、その誰かを脅迫していたかもしれない、と自身の推理を口にした。

「今日もその相手に会いに行っているかもしれない。そういうことですか」

「その相手の手掛かりがないか、これから寮の部屋へ行ってきます。一応西原さんにも伝えておきます」

「その方がいいですね。電話ではなく、直接警察に行った方がいいですよ。その十万円も渡して指紋を採取してもらうといい」

「そうします。……すみません、そちらは任せっぱなしになってしまって」

「こちらは大丈夫です。槇本君が仲間を十二人も連れて来てくれましたよ。若いっていうのは羨ましい。志を共にする仲間が多い」

「十二人……」

 遊び半分の感覚だとしても、それだけの数が手伝ってくれているのが、中本には素直に嬉しかった。

「槇本君にくれぐれもよろしく伝えておいて下さい。ではこっちもそろそろ出ますので」

「ええ、分かりました。お気を付けて」

 中本が通話を終えると、中本の話を聞いていた楊が心配そうに口を開いた。

「唐さんは大丈夫でしょうか……」

「大丈夫。……とは無責任に言えない状況だとは思います。とにかくできることをやりましょう」

 そう言った中本に、祥子がプリントアウトした紙を数枚渡した。

「李さんの資料です」

 祥子は、西原に伝えるという電話での中本の言葉を聞いて用意していたようだ。

「ありがとう。祥子さんも先輩らしくなってきましたね」

「でしょ? そんな風に言われても調子に乗らないですしね」

 そう言いながらも、祥子はスキップして事務所の外に向かった。

「さ、急ぎますよ、所長!」

 中本がその様子に苦笑して楊を見ると、彼女も少し笑っていた。

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