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 石見海岸での聞き込みは、金曜日まで全く成果は上がらなかった。槇本の呼びかけで、当日バーベキューをしていたオオタ加工の六人を見たという人は何人か見つかったが、李の失踪については、全く手掛かりが得られなかった。

 李が失踪したのと同じ土曜日に、再び中本と祥子も加わって、最後の聞き込みを行うことにした。

 八月二十一日、金曜日。時刻は午後七時半。事務所に独り残る中本は、佐世保にいる佐々岡と事務所の電話で話していた。

「それじゃあ、組織自体解体されているってことですかね?」

 佐々岡には、李の姉を大阪の風俗店に紹介したブローカーを調査してもらっていた。その結果が電話で届いたところだ。

「そうです。元々組織と言っても、メンバーはたったの三人でしたし。彼らが本国に帰ってからの足取りは今調査中です。ただ、再入国していないのは間違いないですね」

「風俗店の店主の方はどうです?」

「まだ服役中です。彼の面会に訪れたのは、彼の家族だけのようです。念のため李さんがきたらすぐに知らせるようにお願いしました」

 李の姉を雇っていた店主は、当時の裁判では執行猶予付きの判決だったが、それから一年と経たず同じ不法就労助長の罪で懲役三年の刑が与えられ、刑期は残り一年あった。

「そちらもまだ収穫なしですか?」

「ええ。明日の聞き込みで成果が出なかったらお手上げですね。依頼主と相談してどうするか決めないと……」

 どうするか、とは、捜索を続行するか打ち切るかだ。打ち切るとは言っても、実際に人員を稼働させる捜索を打ち切るだけで、中本に集められる情報は集めるつもりでいた。

 その中本の携帯が震え、楊からのメールの着信を知らせた。

 中本は受話器に耳を当てたまま、楊から届いたメールを開いた。

「佐々岡さん、どうやら依頼主が諦めたらしい」

 中本は送られてきたメールをそのまま読んで佐々岡に聞かせた。

「私たちは中国に帰ることにしました。唐さんは日曜日の飛行機で、私は水曜日の飛行機で帰ります。今までにかかったお金は明日払いに行きます。十二時頃に行こうと思いますがどうでしょうか?」

 中本は読み終えて嘆息した。

「なんだか虚しいですね」

「ええ。やり切れないですよ。……しかし、どうして突然帰国する気になったのか気になります」

 中本は唐のことを思い出していた。彼女の口が重かったのは、その性格からではなく、何かを隠していたからなのではないか。中本の心には常にその疑念があったが、焦って聞き出す必要はないと考えていた。しかし、残された時間が短くなった今は、そう悠長なことは言っていられない。

「中国に帰る前にもう一度、二人から話を聞いてみたいですけど……」

「日本人に対する不信感っていうヤツが根付いていると、なかなか厳しいですよ。何を日本人に訴えても、最後には日本人の味方をする。そういう風に思われて壁を作られていたら、それを壊すのは相当に難しい。それに、彼女たちは李さんを捜して欲しいと言いながら、少なからず、自分たちも今の境遇からも救ってもらいたいという意図があったはずです」

 中本もそれは感じていた。だからこそ力になりたいと願っていたが、残念ながら彼女たちは、李の捜索だけでなく日本そのものを諦めたようだ。

「全く無関係の俺たちに頼るしかなかったんですよね。この一方通行な感じがもどかしいですよ。企業側は真実を語らない。実習生たちにはそのチャンスさえ与えられない」

「私たちに見えているのはそれこそ氷山の一角です。この問題は企業と実習生たちの間だけの問題じゃないですよ。日本の産業のありかたや、若者の就労に対する意識、協力国との意思統一。……我々マスコミにかかる責任も大きい。真実を伝えるにも、その真実が見えにくいですし、多くの思惑が絡んでいます。ひとつひとつの問題をできるだけ明確にすることから始めないといけないんでしょうが、それもなかなか……」

 中本は佐々岡との電話で実習制度の将来を憂いながら、楊に了承した旨のメールを送った。

「やはり背景にあるのは経済の不安定さですか。リーマンショック後に失った労働力を景気が好転してきたことで再び掻き集めて、安い賃金で多くの成果を求める。経験がない新規労働者ですから低賃金なのは仕方がないでしょうが、報酬と勤務状況の不均等は今の若者には耐えられない。職を変えても状況は好転せず賃金も安いまま。企業と労働者、消費者で景況感が違うのは誰の責任ですかね……」

「中本さんも社会に対してはなかなか手厳しいですね」

「悪いのは社会だけじゃない。少なくとも、今の政治や行政ばかりを悪者にする人に成長はないでしょうね。……っと、話しが逸れてしまいましたけど、今や労働力は集めやすい場所から集めて、使い捨てにする傾向がありますよね。実習制度はその流れで本来の目的から外れて悪用されている。これこそ誰の責任なのか」

 この電話で論じたとして事態は好転しない。たった一人の失踪者を見つけられない中本には、そのことが痛いほど分かっていた。

「中本さん、やはり一度編集長にかけ合ってみますよ。もったいない、と言ってはなんですが、ただ打ち切るには惜しいです」

 打ち切りたくない。その気持ちは中本も同じだった。

「それも含めて明日、楊さんと話をしてみます」

 佐々岡だけではなく、槇本も無償で手伝ってくれている。それだけこの問題に社会が危機感を持っているということだろう。

 話が終わり、受話器を置いた中本の手のひらには、じっとりと汗が滲んでいた。その汗をジーンズで拭い、スマートフォンのグループメッセージで明日の合流時間の変更を横山、庄司、祥子の三人に知らせたが、捜索の打ち切りを打診されたことは伏せた。

 中本は立ち上がって、給湯室に置いてある小型の冷蔵庫を開けた。発泡酒に手が伸びかけたが、その手を引いてヤカンごと冷やしてある麦茶を手にした。冷蔵庫の扉を開いたままにそのヤカンの麦茶をマグカップに注いでいると、事務所入り口のドアが開いた。

「あっ、所長、冷蔵庫開けっ放しじゃないですか」

 入り口から顔を見せたのは祥子と悠だった。

「あれ? 二人してどうしたんですか」

「それよりもさっさと冷蔵庫を閉める!」

 そう言ったのは悠だった。中本はヤカンを戻して冷蔵庫を閉めた。

「……もしかして飲んでます?」

 二人の頬が少し赤いのは夏の日差しのせいではないらしい。

魚迅うおじんで少しだけ。そろそろ帰ろうとしてたんですけど、メッセージが入ったから寄ったんですよ」

 祥子の口から出た魚迅は、事務所のはす向かいにある寿司店で、中本の先々代から利用しているなじみの店だ。

「所長、明日なんですけど、唐さんたちも一緒に浜田へ行ってもらったらどうでしょう?」

「……祥子さん。メッセージには書きませんでしたけど、唐さんは日曜日に日本を発つそうです。俺たちに付き合うような時間があるかどうか」

 祥子がそれを聞いて、目を見開いた。

「だったら余計にですよ。連れて行きましょう! 私の勘では、唐さんは絶対に何か隠してます!」

「その根拠は?」

「トイレです!」

 中本も祥子の勘の鋭さは承知している。実際にこれまでにも何度となく助けられていた。

「詳しく言って下さい。それだけじゃ分かりませんよ」

「えー。どうしようかな。楽しみは後の方がいいでしょ? 明日現場で本人に話させればいいんですよ」

 面倒くさい。中本はそう思った。

「分かりましたよ。明日は実習生の二人にも一緒に来てもらいましょう。祥子さんは予定通り明日十一時に来てくれればいいですから。悠さんはゆっくり休んでいて下さい」

「はい。祥子先輩、お土産楽しみにしてますよー」

 中本は早々に話を切り上げ、ほろ酔いの二人を追い返して自分も家路についた。

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