4-3
電話をしている槇本が持ったペンは手帳の上で静止していた。度々眉間に皺を寄せ、「マンマン」と言っているのは「ゆっくり話して」と言っているのだろうと中本にも推測できた。
電話を終えた槇本の額には玉のような汗が浮かんでいる。気温の高さもだが、早口で話される中国語に神経をすり減らしたのだろう。Tシャツの袖でその汗を拭うと、槇本は深く溜息を吐いた。
「電話に出たのは母親でしたが……。娘からの連絡はないそうです。受け入れ業者からは連絡があって、彼女の荷物は送ると言われたそうですが。それと、彼女のお姉さんについてですけど、そんな娘はいないと言われてしまいました」
「それって、どういう……」
李が他の実習生に話したことが作り話だったということなのか。中本はそう考えていたが、槇本の意見は違っていた。
「中国では日本以上に、女性がその身体で商売をする事は恥とされますから。李紅さんも姉と同じようになると思ったのでしょうね。大学まで出してやったのに親不孝な娘だと嘆いていました」
「つまり、荷物以外に情報は何も得られなかったということですか……」
「申し訳ありません。お姉さんのことを口にしたらかなり機嫌を損ねてしまったようで。もう詳しいことは話してもらえそうも……」
嘆息した中本に、槇本が頭を下げた。
「槇本君が謝ることじゃないさ。俺もちょっと迂闊だった」
「ネットの知り合いにも情報を回してみます。土曜日の五時ぐらいですよね……」
あまり役に立てず意気消沈する槇本に、中本は逆に申し訳ない気持ちになった。
「すまないね。ここのトイレに行って、そのまま浜辺には戻らず駐車場で誰かの車に乗って行ったらしい」
中本はスマートフォンで海浜公園の航空写真を表示させて、李が辿ったと思われるルートを説明した。
「どこの駐車場かは分からないんだけど、車に乗り込む所を犬の散歩をしていた女性が見かけたらしいんだ」
「犬の散歩ですか。それなら毎日同じ時間に歩いているかもしれませんね。時間があるヤツと手分けしてその人を捜してみますよ」
「所長、わしもここに残って聞き込みを続けますわ」
横山がそう言うと、庄司も手を上げた。
「私も残ります。何かこう……上手く言えんのですが、違和感が砂のように歩く足に纏わり付いてくる」
「よかった。俺も二人にお願いしようと思っていましたから。とりあえず今日は全員で六時ごろまで海岸、遊歩道、駐車場で手分けして話を聞いてみましょう。その散歩をしていた人以外にも目撃者はいるかもしれませんし」
盆を過ぎた平日。この日は日没まで好天が続き、猛暑日となった。
槇本を含めた五人は汗を流しながら公園内を歩き回った。だが、中本たちの期待も虚しく、誰一人として犬の散歩をする人はいなかった。駐車場もキャンプ場がある西側は閑散としている。
「平日だからかな。ここまで人がいないとは……」
中本が時計を確認すると、当初の予定を一時間過ぎ、既に七時になろうとしていた。これまでに話を聞けたのは僅か四組で、李を見たという話は聞けなかった。それでも現状手掛かりが掴めそうなのはこの公園しかない。
「天気が良すぎたんと違うやろうか。人間もやけど、犬もこんな暑い時に散歩したくないんじゃ?」
横山は首に巻いたタオルで汗を拭いながら言った。
「確かにそれはありますね。しかし、土曜日には夕方に散歩していた人がいるんです。あの社長の話は嘘だとは思えなかった。……横山さん、庄司さん、厳しい仕事になりそうですけれどもよろしくお願いします。槇本君も遅くまでありがとう」
「いいえ。実家暮らしでバイトもしていないお気楽院生ですから」
まったく人は見かけによらないものだと、槇本を見て中本は改めてそう思った。
駐車場でその槇本と別れ、中本と祥子は、横山と庄司が部屋を取った浜田市内のビジネスホテルへと向かった。
「できるだけ早く成果が上がることを祈ってますよ。槇本君にも申し訳ない」
広い公園で、駐車場も点在している。そんな環境に二人しか調査員を置けないのはやむを得ないとはいえ、槇本や、彼の仲間たちに頼りすぎるわけにもいかない。
「監視カメラが働いていてくれてりゃ、こんな苦労もせんで済んだんやけど。まあ、ビールが旨くなるのは間違いないやろうね」
横山の言葉に、庄司も笑って頷いている。
「経費に含まれるのは宿泊費だけですからね」
祥子が「ビール」という言葉に喉を鳴らして、横山に分かり切った忠告をした。厳しい状況でも笑顔を絶やさない。そんな調査員たちに中本は心の中で感謝の言葉を呟いた。
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