2-3

「ただいま帰りました」

 横山が事務所に帰ってまず目が合ったのが、ついさっき脳裏に浮かんだ人物だった。

「ああ、横山さん、お帰りなさい。なんだかまた簡単には行かない事件のようですね」

 そう声をかけたのは佐々岡和也だった。

 佐々岡は、庄司が長崎県警の刑事だった頃から庄司と付き合いのある新聞記者だ。この盆休みを利用して、事件の取材で関わった悠の引っ越しを手伝うという名目で、長崎から広島に来ていた。

「ちょうど庄司さんから佐々岡君に連絡してもらおうと思うとったんや。なんともグッドタイミング!」

 横山が手をひとつ叩いて、ソファーから立ち上がった佐々岡に、もう一度腰かけるように促した。

「所長もちょっとええですか?」

 自分のデスクに座っていた中本にも声をかけ、横山の隣に座ってもらった。

「李さんに限らず、会社が行方不明になった実習生を捜さない理由が分かりましたよ」

 横山が、アステリズムで松本から聞いた話をしようとしたが、続く言葉は佐々岡に奪われた。

「不正行為の規定でしょう?」

「おっと、さすが新聞記者やね」

 横山はそう感心していたが、事情を知らない中本は何の話だか見えていないようだ。その中本に横山が不正行為の規定について説明をした。

「なるほどね。それじゃあ捜さないわけだ。参ったね……」

 納得する中本に、佐々岡が「まだある」と横山の説明に補足した。

「行方不明者の多発で処分を受けた事例は、確かにこの数年一件もありません。しかし、失踪者が多い受け入れ団体というのは、大抵他の規定で処分されていることが多いんです。特に多いのが賃金未払い。それから、実習計画との齟齬そご。これは実習内容の差異や、極端な時間超過なんかですね。つまり実習生たちは仕事に就いて、『聞いた話と違う』『奴隷のように働かされる』と我慢できなくなって逃げ出している場合には、不明者の多発ではなく、その原因の方で処分されているというわけなんですが……。今回のオオタ加工の場合は、恐らく今一番厄介な部類の会社になるでしょうね」

「厄介というのは?」

 中本は外国人技能実習生について、その劣悪な就業環境と失踪者の数で問題となっていることと、彼らなしでは日本の産業が成り立って行かない状態であるということぐらいしか知らなかった。その内部で実際に起こっていることについては想像の域を出ない。

「一見まとも、ということです。特に事業所が小規模であればある程、その問題は表には出にくい。元々従業員が少ないですからね。上がる声も小さいんですよ。例えば賃金ですが、外部に報告される物にはちゃんと自治体の最低賃金を上回る時給で支払われている。もちろん、実際の給料もそうなのでしょうが、そこから引かれる金もありますからね。寮の家賃だったり、他の福利厚生の名目での積み立てだったりなんかがそうです。具体的には社員旅行とか」

 佐々岡は「社員旅行」という言葉を強調した。

「それじゃあ、浜田に行ったというのも?」

 嫌な物を見たような表情で聞いた中本に対して佐々岡は頷いた。

「金を取れるだけじゃない。外聞的には、実習生たちと交流を図って心のケアに努めていると映るわけです」

 実習生関連の事件が起こる度に、実習生の生活面でもケアが必要だと盛んに言われている。それは受け入れ企業だけに留まらず、地域住民もその動きの中にある。

「そして、これは私の同僚が取材した先であった事例なんですが……」

 佐々岡は、パーティションの向こう側、祥子と悠の気配に気を配り、声を抑えて続けた。

「セクハラなんて次元ではなく、夜の相手をさせていたケースもあるようです」

 オオタ加工が実際どういう対応を取っていたかは分からない。会社側が自身に不利益を及ぼすことには口を噤むだろう。姿をくらました李から真実を聞き出すしか、その原因を知ることはできない。

「それで、横山さんから見た会社の印象はどうでした?」

「最初に感じたんは、暗さと重苦しさですわ。実習生が失踪した直後やいうこともあるかもしれんが、従業員は全員苛立っとった。そんな中でも副社長は軽口を叩いて、社長はゴルフときた。あの会社を家庭的と言うんなら、完全に家庭崩壊した家族ですわ。それから失踪者。李さんが今年に入って二人目。二年前には三人が失踪しとるらしい。絶対何かありますよ。それで思ったんやけど、佐々岡君の知り合いで、実習生の問題を調べとる人はおらんやろうか。もしおったら、その人から依頼してもらえりゃあ……」

 佐々岡にも横山の意図は伝わったが、それも難しいだろうと佐々岡は首を振った。

「ジャーナリストは自分で動いてこそ、ですからね。しかし、私の知り合いということではなくても、私自身に言って頂ければ何とかしますよ。例の特集記事の御恩もありますし」

 佐々岡が言う恩とは、悠が巻き込まれた事件に関する情報を中本から提供してもらったことだ。佐々岡が書いた事件の特集記事は、地方紙でありながら全国的に大きな反響を呼んだ。

「佐々岡さん、それは有難い話ですけどちょっと待って下さい。俺にいい考えが浮かびました。親父からは小言を言われるかもしれませんが……」

 中本は佐々岡の心遣いに感謝しつつも、その申し出を断った。

「ある意味正攻法で行きます。唐さんからの依頼を受けて、依頼料に関しては分割ででも彼女に支払ってもらいます。もし支払いが滞るようなら、職場に乗り込んで請求します。ただし、彼女が帰国した後に。恐らく残業代などまともに計算して払っていないでしょう。そこから出させればいい」

 中本はそう言うとニヤリと笑った。

「そりゃまた……」

 横山も中本の狙いが分かったようで、目を輝かせてその案を聞いた。

「とは言っても、できるだけ穏便に進めて行こうとは思っています。確かに実習生を取り巻く問題は多くある。李さんの失踪はその中のほんのひとつだし、彼女の人生は彼女だけのものです。彼女の失踪を日本の経済、産業状況を映す鏡として利用したくはない。佐々岡さんも、申し訳ないですけどその点はお願いしたい」

 佐々岡は中本のその言葉に笑顔で頷いた。

「中本さんらしいですね。でも、今回も手伝えることがあったら何でも言って下さい。明日には佐世保に帰りますけど……」

 方針が決まると、中本は祥子を呼んだ。

「唐さんにメールして下さい。捜索の依頼を唐さんから受けます。契約内容を説明するので、できれば通訳ができる人を介してもう一度会いたい。事務所に来るのが難しければ、こちらから寮に行っても良い。そういう内容でお願いします」

 横山と佐々岡は、祥子に指示を送る中本をじっと見ていた。

 企業のトップには、時に自分の信念を貫いて選択する覚悟が必要になる。その責任の重さに耐え切れずに潰されるようではトップの席は務まらない。もちろん信頼できる部下がいてこそ、その覚悟が意味を成す。所長の中本はまだ若いが、中本探偵事務所という組織の歴史の長さと、受け継がれた企業の信念が、四代目になる所長の中本にも自信を与えていた。

 横山はその組織の中に身を置けている幸せを、佐々岡はそこで働く仲間と出会えた幸せを、中本のまっすぐな視線に感じていた。

 祥子がメールを送り終えたのを確認して、中本が手をひとつ叩いた。

「全員集まって下さい」

 事務所の中央で、佐々岡を含めた面々と向かい合って立つ中本が、改めて李の捜索について決意を話した。

「俺は、今回のようなケースは少なくないと確信しています。佐々岡さんには『彼女の失踪を利用したくない』なんて言いましたが、事件に巻き込まれる前に李さんを発見し、その結果、今の制度や企業の体質に波紋が広がるのであればそれは仕方ないと思う。ただし、李さんや唐さんがそれを望まないのであれば、その意思を優先するべきです。とにかく、まずは二人の希望を叶えること。実際の捜索活動は唐さんと契約を結んでからになりますが……。祥子さん、唐さんが言っていたSNSには気を配っていて下さい」

 唐が言っていたSNSとは、「吼吼吼ホウホウホウ」と呼ばれる中国で一番利用者が多いインスタントメッセージの送信や、音声チャットができるコミュニケーションアプリと、それに付随した一連のサービスだ。

 李のスマートフォンは、浜田までの移動で使った専務の車の中に置き去りにされていたらしい。だが、そのアカウントにさえ李がアクセスすれば、こちらからのメッセージは受け取ることができる。そのメッセージは、既に唐が複数回送信している。

 横山が面接に行っている間、李について吼吼吼でいくつか分かったことがある。

 李には五歳年上の姉の謙謙ケンケンがいて、彼女も実習生として大阪で生活した経験があった。李はその姉を誇りに思っているようだ。子供の頃からその姉の影響で日本の音楽が好きになり、本人も前々から日本で生活したいと願っていた。それを示すように、学生時代から始まっている彼女のブログには数多く「日本」の文字があった。

 夢を見た期間が長いほど、その夢が明確であるほど、打ち砕かれた時のダメージは大きい。叶ったと一瞬でも錯覚したらなおさらだ。

「李さんにとって日本が人生の闇になってほしくない。明日は俺と祥子さんで唐さんに会いに行きます。庄司さんと横山さんは、入管等、関係機関をあたってみて下さい。では、我々で李さんを必ず見つけよう」

 再び中本が手を叩いて、この日の業務は終了した。

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