2-2

 工場を出た横山は、駐車場の車内から中本へ報告の電話を入れた。

「すんません、所長。我慢できませんでしたわ。ありゃあ酷い。残念ながら社長はゴルフで不在やったですがね。もうちょいしたらパートの人らが終わって出てくるようなんで、それ待って戻りますわ。なんや話が聞けるかもしれんですし」

「ははは。仕方ないですよ。ある程度は予想してましたから。また別の作戦を考えましょう。詳しい話は戻ってからお願いします」

 中本は、横山でダメだったのなら仕方がないとそう笑っていた。それに対して横山は嬉しくもあり、その信頼に応えられなかった悔しさもあった。

 中本や横山の仕事は、形のないものを商売にしている。形あるものを作って、それを売るオオタ加工のような仕事とは対照的だ。

 横山は近年「モノづくりの国日本」をテーマにしたテレビ番組をよく目にしていた。決められたレギュレーションに沿って、独自の方法での品質の良し悪しを直接同業者が対決するドキュメンタリーが特に好きで見ている。その番組に出てくる技術者たちは皆輝いて見える。形あるものを作り、それが社会に貢献しているという実感を持つことに、横山は憧れすら抱いた。

 そんな彼らと、今日目にしたオオタ加工の従業員とでは何が違うと言うのか。

「結局やらされとる仕事っちゅうことやろうなあ……」

 横山は、作業をしていた従業員の、光のない目を思い出していた。無表情で、淡々と一日同じ作業を繰り返す。この仕事を自分で選んで働いている日本人はまだいいだろうが……。

 車の窓を全開にして風を通すようにしていたが、八月の日差しは容赦なく車の屋根を熱する。横山は車から出て、タバコを咥えた。

 フィルター近くまで吸い終わったタバコを車の灰皿にねじ込んだ時、工場から事務員の女性が駐車場に向かって降りてきた。彼女は駐車場に横山の姿を見つけると、首を傾げながらも微笑んだ。

「まだいらっしゃったんですね。どうかなさいました?」

 横山にそう声をかけると、彼女は自分の車に左足だけを突っ込んでブレーキペダルを踏むと、イグニッションボタンを押した。

「ちょっと聞きたいことがありまして」

 初めからエンジンをかけ、エアコンを効かせてから乗り込むつもりであったのだろう彼女は、快く横山の話に耳を傾けた。

「何かお仕事のことで? 副社長から断られたと伺いましたけど」

「先週の土曜日から、李紅さんという実習生の方がいなくなっとりますよね? 私はこういうもので……」

 横山が名刺を出して彼女に渡すと、一瞬驚いた顔を見せたが、それでも再び笑顔になった。

「そういうことでしたか。おかしな会社だと思われたでしょう?」

 つい正直に頷いて、横山は短く刈りあげている後頭部を掻いた。

「いや、まあ。副社長が今年に入って二人目の行方不明だと言っとったが、それも仕方ないか、とは」

 事務員の女性はチラリと工場の方を見て、横山に提案をした。

「会社の人に話している所を見られたら面倒なんで、場所を変えません? 横山さんの職場、可部だったら『アステリズム』って喫茶店知っていますよね?」

 アステリズムは所長の中本もよく利用している自家焙煎の喫茶店だ。祥子が給湯室の棚にコッソリしまい込んであるコーヒー豆も、そのアステリズムで買っているものだ。

「ええ。もちろん。ではそこで?」

「そうしましょう。私の家もあっち方面なので。保育園に子供を迎えに行くまで、もう少し時間もありますから」

 横山が同意したのを確認すると、彼女は充分にエアコンが効いた車内に乗り込み、車を走らせた。

 横山も中本にアステリズムに行くことを報告して、彼女の車を追った。


 周囲に銀行やスーパーが立ち並ぶ可部の中心部に、横山の目的地であるアステリズムはある。

 店舗がある二階へ上がり入り口のドアを開けると、コーヒーの香ばしい匂いが身体を包む。横山が店内に入ると、オオタ加工の事務員がテーブル席から横山に手を振った。

「私はもう注文していますので」

 向かい合う席に座った横山に、彼女はそう言って開いていた雑誌を閉じた。

「横山さん、こんにちは。アイス?」

 ウエイトレスの女性が横山に声をかける。横山はこの店にきて、未だにメニューというものを見たことがない。もちろんメニューはあるのだが、飲むのはホットかアイスのどちらかしかない。

「ああ、アイスで」

「横山さんも良く来られてるんですね。あ、私は松本っていいます」

 松本と名乗った事務員は、運ばれてきたグラスの氷をストローでカラカラと鳴らした。

「松本さんは今月末に退職されるとか?」

 アーモンドフレバ―を加えたアイスラテを一口飲んで、松本は頷いた。

「これでも一年は我慢したんですよ。いつだったかな、春ぐらいか。若い男の子が、仕事に来た初日の一時間で、勝手に帰って二度と来なかったっていうのもありましたよ。だから、横山さんが面接の途中で断って帰られたって話を聞いた時も、私驚きませんでしたもん。逆に、ああ、まともな人だったんだなって」

 松本はそう言って笑ったが、横山はその一時間で帰った若者と同じように見られているのかと、少々居心地が悪かった。

「わしの場合は、初めから面接が目的やなかったから……」

「そうでしたね。それで、私に分かることならなんでもお話ししますけど、紅さんのことを話せばいいんですよね?」

「ええ。松本さんも土曜日は浜田に?」

 松本はその質問に手を大きく振って否定した。

「まさか。せっかくの休みにまであの人たちに会いたくないですよ。社長は全員に声をかけてましたけど、結局行ったのは社長の家族と実習生の人たちだけ」

 横山は、中本から受け取った紙を取り出した。浜田に行ったのは六人と書いてある。

「すると、実習生が三人と、社長、副社長、それから専務というわけですか。専務っちゅうのは?」

「専務は息子さん。なんかお互いに親離れ、子離れができてないって感じ。でもまあ、専務はよく働くことは働いていますよ。人がいないから仕方がないんでしょうけど、土曜も日曜もほとんど働いてるんじゃないかなあ」

 横山は、中本が昨日電話した時に専務が出たと言っていたのを思い出した。

「そうか。確かに昨日も働いとったみたいやもんなあ。その専務が社長と二人で、当日李さんを捜すだけは捜したみたいやけど、なんか詳しい話は聞いとりゃせんかね?」

「捜してなんかないですよ、絶対。前に副社長が言ってたことがあるんです。あの人お喋りでしょ? だから、社長たちが内緒にしているようなことでも話しちゃうんですよね」

 松本はそう言うと、ストローに一旦口を付けて続けた。

「うちは従業員数が少ないから、一年で受け入れられる実習生は三人までなんです。私がオオタ加工で働き出してすぐの頃聞いたんですけどね、その前の年に受け入れた三人が、一年も経たないうちに全員失踪したらしいんです」

 松本はオオタ加工で一年間働いていると言っていた。入った当時の一年前ということは、今から二年前ということだ。

「三人ともって、一度に?」

「いいえ。みんなバラバラだったみたいですよ。その時も一切捜さなかったって。で、その理由が酷いんです」

「理由?」

「入管法の不正行為っていうのに、行方不明者の多発っていうのがあるんですよ。それに引っかかると、三年間受け入れ停止になるって。ちょっと待って下さい。……これ。これです」

 松本はスマートフォンの画面を横山に見せた。

 そこには不正行為とされる賃金の未払いなどの項目と、受け入れ停止年数、過去にその処分を受けた事業者数が表示されていた。

「なるほど、こういうのがあるわけなんや。……しかし、行方不明者の多発で処分を受けた事業者はずっとゼロやね。あんだけマスコミでも失踪者が後を絶たないっちゅうてやっとるのに、多発って数の定義が甘いんやろうか……」

 松本は一度スマートフォンを手元に戻すと、画面を切り替えて再度横山に見せた。

「そこにも捜さない理由があってですね……これです。『ただし、受け入れ先に失踪の責任があること』ってあるでしょ? 失踪しても見つからなければ会社に責任があるかどうか分からないってわけです。だから、会社にとっては見つかって欲しくないんですよ」

 松本が言っている通りだとすると、オオタ加工から捜索の依頼を取るなどということは不可能だ。横山は頭を抱えるしかなかった。

 入管に失踪の報告はしているだろうが、入管も警察も積極的に不明者を捜索などしない。何かの事件が起きた時、その身元を照会してやっと不明者だと分かる程度だ。

 会社から依頼を受けられないとなると、この調査はやはり中止になるだろう。我々は探偵だ。依頼があって初めて仕事が成り立つ。ジャーナリストではないのだから、このまま調査を続けるわけにはいかない。そう頭の中で考えを巡らせていた横山がハッとした。

「ジャーナリストか……」

「どうかしました?」

 テーブルの一点を見つめて呟いた横山に、松本が怪訝な顔をした。

「いや、何でもありません。今日は貴重な時間をありがとうございました。もしかしたらまたお話を伺うこともあるかもしれん。よかったら連絡先を教えちゃあもらえんやろうか」

「ええ、構いませんよ」

 松本はそう言うと、横山に自分の電話番号を表示させたスマートフォンを見せた。

「仕事はあの時間……三時四十分までですので、それ以降だったら大体受けれます。メールだったらいつでもどうぞ。返せるのは副社長が事務所に居ない時だけですけど」

 横山は礼を言ってその番号とメールアドレスを手帳にメモすると、二人分の会計を済ませて事務所へと戻った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る