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 李についていくつか聞いた後、唐にはひとまず帰ってもらった。方針が決まったらメールを送るようにしてある。

 中本は、調査員の横山と庄司が帰ってくるのを待った。今二人は、外出先の文化ホールから動こうとしなくなった認知症の老婆を、家へ帰らせる手伝いに行っていた。加藤というその老婆は、症状が出ている時は横山を夫と、庄司を戦争で亡くした兄と思い込んでいる。九十歳をとっくに超えているが、横山は五十五歳、庄司は五十二歳だ。その老人の相手をする度に、老け込んでしまいそうだと漏らしているが、実際は二人ともその仕事を苦に思っている様子はない。

 その二人が事務所へ戻ってきたのは、三時少し前だった。横山の手には、事務員の女性二人を喜ばせるには充分な効果を持った洋菓子店の紙袋が下げられていた。

「ただいま帰りました」

 横山がそう言うが早いか、祥子がその紙袋に吸い込まれんばかりの勢いで無遠慮に覗き込んだ。

「オーウ……。ドント・ジャッジ・ザ・スーベニア・バイ・イッツ・ペーパーバッグ……」

 中を見た祥子が、ことわざをアレンジした言葉を呟いて、あからさまに肩を落として給湯室へと消えていった。

「お二人ともお疲れさまでした。随分手間取ったようですね」

 中本が横山と庄司を労ったが、当の二人に疲れた様子はなかった。

「今日は珍しく新しい話が聞けましたわ。どうも加藤さんは、密かにお兄さんの同級生に想いを寄せとったらしい。庄司さんにしつこく『あの人、今日は来ないの?』なんて聞くんやから」

 横山が苦笑する庄司を見て笑った。

「へえ。認知症っていうのも不思議なもんですね。そんな昔のことを、昨日のことのように話すんですから。……ところで祥子さんは? なんだか落ち込んで消えていきましたけど」

 その祥子が、給湯室から人数分のコーヒーを盆に乗せて顔を出した。

「別に落ち込んでませんよ。ちょっと残念がっただけです」

「これかい? 加藤さんから貰ったキュウリやけど。祥子ちゃんはキュウリ好きやなかった?」

 祥子は、自分が洋菓子店の袋に釣られたのが恥ずかしくなったらしく、話を行方不明になった中国人技能実習生の話題に変えた。

「それよりも所長、李さんの件どうするか決めないと」

 中本が李の情報を一枚に纏めた紙を、それぞれに手渡した。

「安佐町にあるオオタ加工という自動車部品工場に、技能実習生として今年の四月から働いている李紅という二十四歳の中国人女性が、昨日浜田で行方不明になっています。浜田へは同会社の従業員数名で早朝から行っていたようで、行方が分からなくなってすぐに社長と専務が捜索を行ったようですが、今日もまだ寮……これは会社から百メートルの場所にあるそうですが、この寮に帰らないようです。行方が分からなくなった当日以降に捜索は行われておらず、心配した同僚の中国人女性が捜索の依頼に来たわけですが……」

 中本は一呼吸おいて、横山、庄司、祥子、悠と、中本のデスクの周りに立って話を聞いていたメンバーの顔を見渡した。

「俺はこの話を断ろうと思う」

 中本がそう言うと、祥子が非難の声を上げた。だが、庄司は中本に賛成のようだ。

「祥子さん。私も断るべきだと思いますよ。実習生には、とてもじゃないが費用を捻出できないでしょう」

 中本がそれに頷いた。

「そこなんですよ。しかし、このまま放置しようと言っているわけじゃない。俺も捜しだしたいさ。そこで、会社側から依頼を受けるように持っていきたいと思っているんだけど……。実は唐さんを帰してからすぐに会社に電話をしてみた。さすがに日曜日だし、しかも盆休みだ。誰もいないかと思ったら、専務だって言う人が電話に出たよ」

「それで、どうやったんです?」

 横山が紙から視線を上げて中本の顔を見たが、その表情だけで上手くいかなかったことが知れた。

「全く聞く耳を持たないというか……。電話を受けた瞬間から苛立ってましたよ。李さんの名前を出した瞬間、セールスの電話を断る奥さん方みたいに『今忙しいので』と言われて切られました。確かに機械の音が響いてましたから仕事中だったんでしょうが、あの様子だと正攻法で会社を訪ねても門前払いになります。とりあえず今日は作戦を練りたい。横山さん、何かいい案はないですか?」

 このメンバーの中では、横山が一般企業での経験が最も多い。横山は、中本が父親からこの仕事を引き継ぐ前から中本探偵事務所に籍を置いていたが、若い頃は職も住まいも転々としていたらしい。あちこちの方言が混ざった独特の喋り方はそのせいだ。

「確実に企業の状況を見るには、そこで働くことが一番やけど、そんな時間はないやろうから、とりあえず面接にでも行ってみたらええんやないですか? 求人も出っ放し。相当人の入れ替わりも激しいみたいやし、面接も雑やと思いますよ」

「なるほど。面接なら嫌でも話をしないわけにはいきませんね。横山さん、お願いできますか?」

 自分で出した案ながら、白羽の矢が自分に立つとは思わなかったのか、横山は目を白黒させた。

「わしがですか? こういうのはてっきり祥子ちゃんに向いているもんやと……」

 どうやら祥子もその気だったようで、うんうんと頷いていた。

「所長、私を信用していないんですね……」

 大袈裟に肩を落として見せた祥子に、中本は「そういうわけではない」と声をかけた。

「祥子さんは依頼人の唐さんに会っていますから。彼女に口止めをしておけば問題ないのでしょうけど、コミュニケーションが充分に取れないですからね。こちらの意図が伝わるかどうか不安なので。その点横山さんなら経験も多いでしょうし、唐さんにも顔を知られてもいない。そういう理由です」

 中本は、「祥子一人だと何をやらかすか分からない」という不安要素は伝えなかった。

「分かりました。ほんじゃあ、コンビニに行って履歴書を買ってきますわ」

 横山がそう言って出かけようとすると、祥子も横山について行った。

「私も行きます。お菓子食べ損ねましたから」

 どうやら祥子の頭は切り替えられても、洋菓子店の袋を見て、その中身を収める準備をしていた胃袋は切り替えられなかったようだ。

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