silky heart

 自宅のドアを開ける。昨日が昨日なので、またこのドアがいきなり見知らぬ場所に繋がったりしやしないかと思ったりもしたが、外は外であった。ただ、様子がおかしい。見覚えのある建物と見覚えのない建物が混在していて、建物の密集している真ん中に袋小路上の通路が埋もれているかと思えば、見覚えのない場所にまっすぐな、遠くへと続く道が伸びていたりする。


「というわけで、かろうじて駅までは来ることができたが」

「うむ。で、駅とはなんじゃ」

「そこから説明しないといかんのか。列車という乗り物が中継される場所だよ」

「よく分からん」


 駅には掲示板があるわけだが、でかでかと「全面運休」と書き込まれていた。まあ、そりゃあそうだろう。世界が根こそぎ変わってしまったのだ。まともに鉄道を走らせられるはずがない。


「とりあえず、服を買わないと」

「それか、吾の部屋に戻るかじゃな」

「そうだねぇ」


 ネグリジェ姿のまま僕の部屋に連れ込んでしまった――いや別に変なことはしていないが――都合上、着替えなんぞないわけで、今は僕のタンスにあった新品の服を着せてある。間に合わせ感が著しい。で、タクシーに乗ろうかと思ったのだが、タクシーではないものが走っている。人力車のようにも見えるが、人が引いているのではない。車のようなものそれ自体が、走って口を利く。


「これはリキシャという生き物じゃよ。吾の世界では珍しいものではない」

「そうなんすか」


 よく分からんが、交渉したら日本円でいいというので、リキシャというのに乗せてもらって街へ出る。


「よくお似合いですよ」


 そこそこ高級めのアパレルショップの、なんか地球の人間のようなそうではないような外見の店員にお愛想を言われた。よくこの社会情勢下で服なんぞ売っているものだと思うが、もしかしたら似たような事情で地球ファッションを求めているひとびとが多いのか何なのか、店は賑わっていた。さて、それで仕上がりだが、アザレアは透き通るような薄い色の肌に、しかし髪は黒髪で、名前の印象に反して、日本人形のような感じの端整な美しさを身に備えており、日本の流行ファッションの服をよく着こなしている。すごいことなのかもしれないが、本人はけろっとしている。


「お会計、五万六千八百円になります」

「うっ。か、カードで。JCB使えますよね」


 分割払いにしてもらった。二回までなら手数料無料である。そんなこたどうでもいいが。


「セツナ、吾は満足じゃ。では腹を満たしに行くぞ」

「ラーメンとかでいい?」

「ラーメンとは何じゃ」

「そこから説明しないといかんのか」


 最近流行りの、博多風とんこつラーメンの店に入る。替え玉一杯100円。


「満腹である。大儀であった」

「大儀であった、じゃないよ。四杯も替え玉しやがって」

「面白そうに見ておったくせに」


 綺麗な日本人形みたいな女の子が不器用な手つきで箸を握ってずるずるととんこつラーメンをすすっている図にはなんかいわく言い難い「萌え」のようなものがあったのは事実で、そう言われると文句も言いにくい。


「あ、あそこに甜橙てんとうを売っておるの?」


 現在、地球であったらアルタ前であったあたりである。アルタ前であるから、名物の果物屋がそこにある。店員が明らかに人間ではない、タコの頭をした怪人のようなものに変わっているが、百果園ののれんは出ているから、ここは新宿名物の例の店ということで間違いはないだろう。


「あれは甜橙っていうか、日本語で言うとバレンシア……いや、そんながっつくな。というか、金を払う前に食べ始めるんじゃない。すいません、はいこれ五百円。もう一つ分ください」


 ここの名物は串に刺したフルーツ、特にメロンやスイカやイチゴだが、柑橘類はくし切りで出てくる。今の季節だと、バレンシアじゃなくてネーブルかな。


「……すっぱい!」

「え? そうなの?」


 えらく顔をしかめて、んー、っていう表情で、ずい、と僕の前に食べかけの甜橙を差し出す。


「試してみい。酸っぱいから」

「どれ……」


 女の子の食べさしを差し出されるのは気恥ずかしいのだが、突き返すわけにもいかんだろう。一口かじる。普通に甘い。と思う。なんか当たり前のようにデートなどしているが何しろ異なる世界の存在であるわけで、地球人とアザレアとでは味覚が違うのだろうか。


「それに種が多いな。なんじゃこれは」

「種? おかしいな、こういうところの果物はたいてい、種無しのものが売られているはずだけど」

「まあ、よいわ。それより、吾は少々歩き疲れたぞ」

「どうせいと言うんですか。お茶でもする?」

「そうじゃな」


 アルタの近くにも本来的には喫茶店くらいなんぼもあるのだが、三軒回って全部休業していた。まあ、当たり前だ。ゴビ砂漠すら大変なことになっているのに、百果園が営業していることの方が奇跡的なんだ。


「やーすーみーたーいー。のじゃ」

「しょうがないな。それじゃ」


 僕は、たまたま(?)目の前にある、「ご休憩 四千五百円」という札の出ている、ご休憩のできる場所の方を見る。


「……ここ入る?」


 ごくり。


「なんじゃ、休憩のできるところがちゃんとあるのではないか。感心じゃな」

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