バニラソルト
「刹那。真木刹那」
「セツナじゃな。それで、
「何者っていう何者でもないけど……学生。地球人。この説明で分かるかどうかわからないけど、月が一つしかない世界から来た。ここは月が三つある世界なのかな」
「いや? 一つとか三つとか、おかしな事を申すな。月の数は二つに決まっておろう」
「なるほど。ちょっと脈絡が繋がった気がする」
ぼんやりした灯りの中に浮かぶ、アザレアと名乗った、変な喋り方をする少女の姿を見る。白い、なんだか刺繍やらレースやらの多い、でも薄手の寝巻き。よく知らんけど、ネグリジェとかそういう類のものだろうか。
「どういうことじゃ」
「多分、君の世界と僕の世界が、混ざり合うかくっつくか、そんな感じになってるんだと思う」
「……成程の。驚くべきことじゃな」
「と、言う割にはそんなに驚いてないね」
「何か大きな変事が起こるであろうことは、分かってはいた。この世界を統べていた、大いなる魔王が滅びたのじゃから」
「魔王は君なのでは?」
「滅ぼされたのは父じゃ。異世界からやってきた勇者と呼ばれる存在にな。その末の子であった吾がそのあとを継いで、名目だけの魔王に担がれた」
「お兄さんとかお姉さんは?」
「みんな勇者に滅ぼされた」
「ご愁傷様です」
「それで。それはそれとして、吾は眠いのじゃが。話があるなら朝になってからにしてくれんか」
「僕はどこに行けばいい?」
「知るか。とにかく出ていけ。乙女の
「はい……」
しょうがないから回れ右をして、ドアを開けて出てみたが、広い通路が続いていてまったく分からない。
「あのー。客間の一つか何か、お貸しいただけると幸いなんですが」
「世話が焼けるのう……」
アザレアは起きてきて、僕が閉めたドアを開け直した。
「来い」
「はい」
で、二人でドアをくぐったら、今度は僕の部屋に出た。
「あれっ」
「よかった。帰ってこれた」
「よくない。吾はどうやって戻ればいいのじゃ。眠いんじゃと言うのに」
「さあ……」
「客間はどっちじゃ」
「ないよ、そんなもん」
「使えぬ奴じゃ。しょうがない」
アザレアは勝手に僕のベッドに飛び乗り、そして。両手で印を組み、何やら呪文の詠唱をした。彼女の周囲に、半透明の障壁のようなものが作り出される。
「なんだ、それ」
「バリアを張った。誰も入ってはこれぬ。というわけで、吾は寝る。話はあとにしてくれ」
「それは僕のベッドなんですが」
「ぐぅ」
わざとらしい寝たふりを始めるアザレアを前に、どうしようもないので僕は床で寝ることにした。せめて枕が欲しい、と切実に思った。
「お早う」
「おはようございます……」
既に日が上っていた。体のふしぶしが痛む。頭も。ちなみに、窓から見えるが太陽の数は一つである。二つにも三つにも四つにもなっていない。
「
「なぜ僕が……」
「吾は姫育ちであるから、自慢ではないが身の回りの世話など何もできぬ。お前以外、誰もここにはおらんじゃろう。よって汝が吾の世話をするよりほかはないのじゃ」
「そういうもんかな……」
仕方がないので、買い置きの食パンを二枚トースターに突っ込んで、オムレツの支度をする。一人分なら卵三つってところだが、五つにした。大きく焼き上がったオムレツを二つに割いて、別々の皿に盛りつける。あと簡単なサラダに、市販品のドレッシング。
「質素な食卓じゃな」
「君は君の世界の支配者の娘だったかもしれないけど、僕は一庶民だからね」
「昼餉は肉を出すがよいぞ」
「ずっとここにいるつもりなの?」
「実は、魔王城はもうほとんど無人で、世話を焼いてくれる者も残ってはおらぬ。いっそ好都合である」
「僕の都合は……?」
「知らぬ。吾は魔王であるぞ。その世話をできることを光栄に思うがよい」
「そういうもんだろうか」
テレビをつけてみた。テレビ東京とNHK教育以外の局は、ぜんぶのチャンネルで特番をやっている。いま起きている世界的な大異変について。ニューヨークの沖に謎の巨大な島が現れたり、ゴビ砂漠のど真ん中に突然湖が現れたり、なんかあっちこっちでどえらいことになっているらしい。行方不明者が多数いたかと思えば、どこから来たのかも分からない謎の人々が大勢出現したり、地球は大混乱に陥っている。
「難儀なことじゃな」
「アザレアも多分、“どこから来たのかも分からない謎の人々”の一人だと思うんだけど」
「そうかもしれん。新しい世界じゃ。吾は探検がしたいぞ。
「僕には大学の授業があるんだが」
と、言ってはみたが、電話してみたら全面休講だそうだ。そりゃそうか。
「しょうがない。じゃあ、とりあえず、外へ出てみるか。何がどうなってるかも分からないけど」
「うむ。苦しゅうないぞよ」
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