三分で変な前髪直したい

ふさふさしっぽ

本文

 遠藤優香には三分以内にやらなければならないことがあった。

 あと三分で電車が来る。

 それまでに、この変な前髪を直すのだ。


 遠藤優香は中学二年生。一時間に一本しか来ない電車に乗って、隣の市の中学校に通っている。この一時間に一本しかない電車には、優香の憧れの先輩、一ノ瀬明彦も乗っている。

 電車は一両編成で、いつもそれほど混んでおらず、必ず顔を合わせることになる。


 もう、なんでこんな変な前髪なの!?


 優香は泣きそうになりながら駅のトイレに駆け込んだ。

 今日は寝坊して、髪の毛のセット時間をかなり短縮したため、もともと癖のある前髪が、ひさしのように立ち上がってしまったのだ。駅まで全速力で走ったので、向かい風を受けて、こうなってしまったのかもしれない。まるでドラ〇モンのス〇オだ。

駅に息を切らせながらたどり着き、髪を整えようとコンパクトミラーを開いて愕然とした。


 こんな前髪、先輩に見られたら生きていけない……!


 優香はトイレの洗面台で水を使って前髪を撫でつけた。


 なんで? なんで直らないの?


 優香の髪質のためか、水分を含んでもひさしはひさしのままだった。

しかも前髪だけ濡れて、もっとおかしくなってしまった。


『一番ホームに、電車が参ります……』


 どうしよう、もう電車が来ちゃう。乗るのをやめちゃおうか。


 優香は逡巡した。乗らなければ、一時間の遅刻だ。皆勤賞を逃してしまう。

 とりあえず、ひさし前髪から滴り落ちる水滴をぬぐうため、ポケットからタオルハンカチを取り出そうとして、優香はこれだ、と思った。

 ポケットにヘアピンが二本あった。

 普段体育の授業のときなど髪を一つに結ぶとき、おくれ毛を留めるために使っているヘアピンだ。


 これで前髪をサイドに流して留めちゃおう。おでこ広いから抵抗あるけど、ひさしよりましだ。


 優香はヘアピン二本を使って、前髪をサイドに流し、固定した。

 同時に電車がホームに入ってきた。優香は急いで電車に乗る……と、男の人にぶつかった。

 顔を上げると、それは憧れの先輩、一ノ瀬明彦だった。優香と同じで、いつものとおり一人で乗っていた。

 扉が閉まり、一両編成の電車が発車する。


 せ、先輩がこんな至近距離に! わあああ、どうしよう!


「あ、あの、せ、先輩、お、おはようございます……」


 今まで一度も話したことはなかったけれど、とりあえず挨拶した。


 私の前髪、おかしくないよね?


「ああ、おはよう。君、いつも同じ電車だよね」


 一ノ瀬は何気ない爽やかな口調でそう言った。


 やった、先輩、私のこと、覚えててくれた。前髪もおかしくない!


 飛び上がりそうなほどうれしくなった優香は、会話を続けようと、話題を頭の中で探す。このチャンスを逃すわけにはいかない。なにか気の利いた話題を……。


「あ、あの、今日はいい天気ですね」


「ところでどうしたの、それ」


「え」


 一ノ瀬が優香の足を指さす。優香は自分の足を見て我が目を疑った。


 私、パジャマ脱がないまま来ちゃったーー!!


 今朝急ぐあまり、パジャマの下を脱ぎ忘れたのだ。しかもそのパジャマは母親がスーパーの二階の衣料品売り場で買ってきた、いかにもおばさんが着るようなパジャマである。微妙なデザインの花柄だ。


 一ノ瀬が優香の足元を見ながら、


「よっぽど急いでいたんだね。靴を履くとき、気が付かなかったの」


 ははは、と笑った。馬鹿にするような笑いではなく、好意的な笑いに優香は思えた。


「ですよねー。普通気が付きますよねー」


 もうどうにでもなれと優香も笑い声を上げた。あ、電車の中だったんだ、と気が付き、慌てて口元を押さえる。電車内の座席はめずらしいことにほぼ埋まっており、優香と一ノ瀬は扉付近のつり革に並んで立っていた。

 一ノ瀬がちょっと間をおいてから小声で、優香にささやいた。


「いや、実は俺もやったことがある。パジャマの上から制服着てた。ありえないと思うけど、やっちゃうんだよね」


「え? 先輩もですか?」優香も小声で返す。


「この電車逃すと遅刻確定だから、寝坊するとガチで焦る」


「私も一緒です。今日起きたらあと十五分しかなくて……」


 変な前髪も、パジャマもどうでもいいや。電車がゆっくり走ってくれればいいのに。遅刻でもいい。皆勤賞とかどうでもいい。


 少しでも、この時間が長く続くことを願う優香だった。



おわり。

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