過去に3分間戻れることが許されたなら
どこかのサトウ
過去に3分間戻れることが許されたなら
彼女を助けると決めた大塚は、三分以内にやらなければならないことがあった。
タイムリープという言葉をご存知だろうか。もし過去に3分間だけ戻ることができたのなら、君は何を望むだろうか。
「三分間待ってやる」
常識からしてあり得ない。だがそんな非常識なチャンスを大塚は得た。目の前にいる薄色サングラスをかけた神を自称する謎の男が、拳銃の弾を入れ替えている。
一攫千金を狙う人は多いかもしれない。宝くじの抽選番号を覚えていたら、有名な競馬のレースで一着になる馬を知っていたら、株価が暴落して朝刊の一面を飾ったのはいつだっただろうか——
残念だが、大塚は知らなかった。知っていたとしても3分以内でその準備をしなくてはいけない。携帯を取り出して調べるにしても、残り時間ではきっと難しいだろう。
即断、即決ができない自分が恨めしい。
そもそもたった3分で人生ががらっと変わるような瞬間などあっただろうか。
いや、ない。過去の自分に手紙を書くのはどうだろうか。
いや、だめだ。自分の性格からして、誰かの冗談としか思えない。そもそも注意されて心を入れ替えられるなら、今悩むこともなく充実した生活を送れていただろう。
なら他の誰かになら、この権利の使いようがあるのではないだろうか。
大塚がそう思い頭を過らせれば、その記憶は瞬時に呼び起こされた。突如高校に来なくなった女子生徒のことを。
詳しい理由は伏せられていたが、同窓会でクラスの女子が話をしていたあまりにも物騒な内容を彼は今でも鮮明に覚えている。
「牧村、襲われたんだって——」
「怖いよね。確か大和田の奴に告られて、振ったのに後つけられたりしてたんでしょ? 警察に相談しても、事件が起こる前では——とか言われて、ダメだったんでしょ?」
「えっ、まじ? 最悪じゃん」
「しかも若者によくある痴情の絡れみたいな処理のされ方だったらしいじゃん」
牧村——、牧村鈴音は清楚であり可愛かった。少し小柄だけれどもスタイルが良く、制服のブレザーがとても似合っていた。彼女がいるだけでクラスの男子は春のような期待を募らせていたし、その甘い声は耳を喜ばせるほどに心地よく、あの艶めいた唇から目が離せなくなるくらいには——誰もが、心引かれていた。
当然、彼女が同窓会に顔を出すことはなかった。きっと素敵な女性になっていただろう。髪を結い上げたイブニングドレス姿の彼女を、一度でも視界に収めれば彼女との距離をぐっと縮めようと誰もが行動を起こすに違いなかった。
遠目でも良いから見てみたかった……
彼がそう思った瞬間、突然景色は夜に切り替わった。周囲は闇に包まれ、だが遠くに都心のビル群が煌めき、赤い明滅をゆっくりと繰り返している。暗闇に目が慣れ始めると、ここがどこだかの大凡の位置がついた。
河川敷公園の駐車場だ。この時間帯は門が閉じられおり、薄暗く人気のない場所だ。
「——さい、やめてっ! 誰かっ!」
悲鳴が微かに聞こえた。その瞬間色褪せた記憶がはっきりと蘇った。聞き間違えるはずがない。牧村の声がした方へ走ると、大和田が激しく抵抗する牧村に覆いかぶさろうとしている最中であった。
「鈴音ちゃん、可愛いよ。そんなに必死になって——僕と付き合うっていうなら、無理やりはしないよ。でも、嫌って言うならわかるよね?」
男女の体格差から、一瞬で芝生の上に組み敷かれてしまう。
大塚は走った。もう1分以上が経過している。3分経てば、自分の存在がどうなるのかはわからない。だがそんなことを考えるよりも、大塚はやらなければならないことがあった。
「私は、私は貴方のような卑怯な人に屈しません!」
「そんなこと言って強がっても、身体は正直だって言うよね」
「っ……」
布が何度も引き千切られ、破かれる音がするたびに、大和田は目的に集中していった。——だが周りが見えなくなったことで大塚の接近を許した。
手頃な大きさの石を拾い、大塚は暴漢をぶん殴った、転がった大和田の露出していた下半身を破壊の呪文を唱えて踏み潰すと、河川敷に汚いサイレンが鳴り響いた。
ボロ切れに成り果てた衣服から下着を露わにした牧村を抱えて全力で走った。現場から1秒でも遠ざかるために、転ばないように必死に足を上げ、何度も何度も地面を蹴った。
残り時間はもう1分も残っていないだろう。
「っ走れっ、牧村……もう時間がない! これがっ、俺にできる、限界だ……人通りのある、と——」
最後まで言い切れぬまま、次の瞬間、両手に抱えていた確かな重みと温もりを失った反動は、容易く制御不能となり盛大に転倒をすることになった。
もし時間を跳躍し歴史が変わったとするなら、跳躍する前の世界線はどうなってしまうのだろうか。主観的に考えれば、消えてなくなってしまったと言って良いだろう。なら自分が今まで積み上げてきたものは、記憶は果たしてどうなってしまうのだろうか。
その答えのひとつが今、彼の身を以て証明される。
そこは白い部屋であった。身体が鉛のように重く、大塚は起き上がることができなかった。周囲を確認したところ、どうやら病院のようだ。つまりは長い夢を見ていた……ということなのだろう。
「大塚さーん、検温ですよー」
白い服を着た看護師の女性が視界に入ってきた。目が合うとほんの一瞬目を見開いたあと、ベッド横に備え付けられたコールを躊躇なく押した。
「意識が戻られたんですね。体調はどうですか」
「苦しいです。身体も、動きません」
「ずっと寝たきりでしたからね。リハビリ、頑張りましょうね」
可変ベッドが徐々に変形していくと、身体が座った状態へと変化して体を起こすことができた。
「お水を飲まれますか?」
「お願いします」
医療スタッフが慌ただしく病室を出入りしたあと、徐々に落ち着きを取り戻していった大塚は今までのことを考え始めた。
ずっと寝たきりだった。それは何時からなのか。きっと牧村を抱えて走ったあのときからだろう。どうやら相当悪い転び方をしたようだ。
だが首の骨を折ったとか、そういう最悪の状況ではなさそうだ。リハビリを頑張れば元の生活に戻れる……はずだ。
そして、もしこれが
……何もできない時間が過ぎていく。
再び周囲に目をやると、誰かが花を飾ってくれているようだ。殺風景な病室ではそれだけが大塚を楽しませてくれた。
面会椅子の近くにあるテーブルには物が置かれていることから、家族の誰かが定期的に見舞いに来てくれていることもわかる。
……気付いたがここは個室ではないか。入院費はどうなっているのだろうか。保険とか入っていただろうか。そもそも働いていないから収入が、それ以前の問題として高校は卒業できたのだろうか。
考えれば考えるほど、将来の不安が彼に重く伸し掛かっていった。
そんなとき、コツコツコツコツと踵の高い靴音が足早に近づいてきた。扉の前で立ち止まるが、しばらくしても入ってくる気配がない。
「すぅ〜〜〜〜、はぁ〜〜〜〜、よし!」
深い深呼吸のあと、覚悟を決めたようだ。
「…………………………よし!」
ちょっと、いや、かなり間があったけど、よし!
「あぁっ、やっぱり一度姿見で確認を……」
自信のなさそうな声を出して、靴音が足早に遠ざかっていく。
大塚は今、彼女に救われた。人生という代償を支払って得たあの3分間の行動は、決して無駄ではなかったのだと目頭が熱くなった。
牧村がお見舞いに来てくれた事実が、彼女が無事に大和田の魔の手から逃げ仰せたことを物語っている。
あの過去への3分間が彼女を救った。救うことができた。こんなに嬉しいことはない。
ノックのあと、ゆっくりと扉が開く。桜色のアフタヌーンドレス姿の牧村がそこに立っている。もしかしたら同窓会か何かの途中だったのかもしれない。彼女らしい春のような装いが、元の世界線では永遠に失われた春の訪れを告げていた。
「綺麗だよ。牧村——君を、ずっと見ていたい」
彼女の白い頬が色付ていく。耳まで、真っ赤に——
〜〜 終わり 〜〜
過去に3分間戻れることが許されたなら どこかのサトウ @sahiri
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