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 この町はまだゾンビだらけで、軍の到着は時間がかかるようだ。ふと、自分の親のことを考えた。数年前に母親がいなくなって以来口数の減った親父と年相応に反抗期の俺が最後にした会話は何だったか。今日は親父は仕事のはずだ。街から離れた郊外の工場。トミーの方を見やる。トミーは5人兄弟の4番目で、両親はこれまた離れたところで農業をやっている。

「トミー、お前家族は……」

「大丈夫さ。俺の家族は俺仕込みのゾンビパニック知識が詰め込まれている。連絡が取れないくらい、心配することない」

 トミーはこちらを見ずに答えた。

「大丈夫」

 まるで自分に言い聞かせてるようだった。スマホはいつのまにかモバイルバッテリーに繋がれていて、覗き込むと画面はゲームではなく、家族のグループチャットに電話をかけ続けた履歴が表示されていた。かける言葉がみつからず、無言のまま俺たちは出発した。

 世界の終焉かと思ったら、その終焉の終わりが見えてきて俺たちは冷静になり始めていた。家族のことももちろん心配だが、俺たちは今後どうなるのか。もちろん見た目は完全にゾンビで、胸を触ってみても心臓は動いていない。しかし殺されるのは怖いという感情だけが残っている。

 車を走らせ数時間後、トミーが声をあげた。

「SNSが回復している!」

 人類がゾンビに打ち勝ち始めた兆しだった。耳が腐り落ちるほど聞いたCDからラジオに切り替えると、ガリガリ言いながらも放送を再開している局があった。アナウンサーがこの2日間の惨劇の様子を読み上げ、軍がゾンビの掃討を始め人類を保護していることを伝えた。この惨劇は、どうやらアメリカ大陸のみで確認されているらしい。行きしな、軍に制圧された街を見た。人々は並んで軍に管理されていた。うずたかく死体が積み上がって、生きているゾンビはいなかった。

 途中、生きているガソリンスタンドで給油をした。人もいなけりゃゾンビもいない、郊外の寂れたガソリンスタンド。ジャンケンで負けた俺が給油を終え車に戻ると、ついに復活したSNSを2人が眺めていた。生きている人々が、生存の喜びとこの惨状でハイになってインタビューに答えていた。

 ネオゾンビになってよかったことは、睡眠と食事が要らなくなったことだ。ゾンビあるあるの人を襲いたい気持ちもなく、お腹のすいた感覚がない。昼夜問わず車を走らせることもできる。時々ひとりさまようゾンビをみつけては声をかけてみるが、ただのゾンビばかりでネオゾンビはみつからなかった。

 もうそろそろ旅の終わりが見えてきた頃、ゾンビ発生から4日目か。トミーの家族から連絡が入った。トミーの家族は全員無事と確認が取れたらしい。保護された場所は違えど、状況が落ち着けば家に帰れる。トミーは肩を震わせて泣いていたようだった。俺とパトリックの暖かい目(もちろん澱んでいる)に気づくと、

「なんだよ、妹の変顔で笑ってんだよ!」

 そう言ってかざしたiPhoneには、無事に保護され真面目な顔して敬礼をする妹が写っていた。トミーは死んだ涙腺を有効活用したつもりだが、顔の筋肉は正直に泣き顔を表していた。俺の親父の消息は未だ掴めていない。死んだのだろうか。家族の無事を知り、安心しきった2人にはなかなか出せない話題だ。

 夜になり、気温が下がる。何となく体が動かしやすく感じるのは体の腐敗が遅れるからだろうか。ゾンビの体と腐敗は切り離せないのか、もともと悪い顔色がもっと悪くなってきた気がするのだ。

「あと少しでアラスカにつく。そうすればずっと毎日が冷凍庫の中だ」

 2人も同じ不安を抱えている。ガソリン節約のために車の中は生暖かいままだ。時々吹く風だけでどうにか凌いでいる。「真夏なら俺たち動く間もなく腐乱死体だったろうな!」とジョークを飛ばしていたトミーもだんまりだ。いくつか州を通り過ぎ、やがてアラスカにたどり着くというところだった。

「まずい、検問だ」

 パトリックが広い道の先にそれをみつけた。俺たちは随分視力が悪くなってしまっていたらしい。もう引き返すには怪しく思われてしまう距離に迫っていた。

「どうする?」

「どうするって……」

 ごちゃごちゃ言ってる間にも、どんどん検問所は近づいてくる。他に車がいないおかげで、俺たちは何も考えられないまま、ついに検問所に到着してしまった。

「現在州を跨いでの移動は禁止だ! ここでは現在アンチゾンビ剤の配布を行っている。証明書は持っているか?」

 銃を持った軍人が、必要以上に大きな声でこちらへよびかける。俺たちは顔を見合せた。そういえば、ヘリからそんな音声が聞こえていた気がする。

「聞こえてるか? 移動は禁止だ!」

 ヴゥゥン!パトリックがエンジンをふかした

「掴まれ!!!」

 急発進する車に呆気に取られたようだが、応戦しよう銃をこちらに向けて構えるのが見えた。しかし俺は片手で体を支えるのが精一杯で、カーチェイス&銃撃戦を観戦する余裕などない。

「無理だよパトリック捕まるって!」

「大丈夫だ別荘はすぐそこだ!!」

 軍はもちろん悪路にも耐えうるジープに乗っているのだが、こちらはただのワゴンだ。完全に分が悪い。俺たちはミキサーよろしくシェイクされ、原型を保ってたとしてもおいつかれるのがオチだ。

「パトリック! 俺は信じてるぞ!!! 6時の方向に敵だ!!」

「俺、死にたくねぇよ!」

 デカいパトリックとミラーをのぞきやかましく実況をするトミーに挟まれ俺は絶叫する。

「俺たちは1度死んでるはずだ! それより見ろよ軍と戦うなんて夢にも思わなかったぜ! ネオゾンビバンザイ!」

 木々のあいまを縫い、ジープとつかず離れずの距離でチェイスだ。窓やミラーに映る彼らはどう見てもこちらに銃口を向けている。

「もうおしまいだぁ!」

「みてろ! 俺は毎年この森で兄貴たちと戦術ごっこをやってたんだ。4年前の兄貴、マジでありがとう!!!」

 細い木の間を抜けた。サイドミラーが弾け飛び、トミーが悲鳴をあげる。そしてそのまま追いかけてきたジープが、木の間を抜けられず勢いのまま衝突して止まり、荷台から体を乗り出してこちらに銃口を向けていた軍人が勢いのまま吹っ飛んでるのが見えた。

「おい、殺しちまったんじゃ!?」

「よく見てみろ。あそこは落ち葉が厚いんだ」

 後ろを振り返ると、吹っ飛んで地面に落ちた軍人が立ち上がっているのが見えた。俺たちを無理に追いかける様子はない。

「前見てみな。俺たちのサンクチュアリだ。」

 軍人たちが見えなくなる頃、いつの間にか森は開けていて、厳重なフェンスに囲まれた家が見えてきた。レンガ造りのかわいらしい家……というより小さな城のようだ。

「俺んち自慢の要塞だ。追手が来る前に入れたらもう誰にも脅かされることはない」

 後ろを警戒しながら久しぶりに車から降りた。ネオゾンビになってから腹が減ることも便所に行きたくなることもなく、ずっと男3人で密着して過ごしていた。手足を伸ばすと、関節がパキパキ言うが、爽快感はなかった。血が通っていないことを実感する。

「確かに要塞みたいだな。で、どうやって入るんだ?」

「フェンスに触るなよ、電流が流れているかもしれない」

「えっ!?」

 フェンス近くをうろうろしていたトミーが慌てて飛びのく。

「ここら辺は野生動物も多いから、数日おきに弱い電流を流しているんだ。人間が触れても痛いで済むが、俺たち一応死んでるっぽいから、どうなるかわからん」

 パトリックは出入り口に立ち、考え込んでいる。

「何に悩んでるんだ?」

 手元を見てみると、そこにはカメラと暗証番号を打ち込むためのテンキーのような機械が入っている。

「顔認証か……?」

 もちろん俺たちは死んでいるので、生体認証は使えない。

「本当に俺の悪ノリなんだが、たしかこれ間違える度に電流が流れるんだよな」

 どうやらただのセキュリティではなく、パトリック兄弟特製イタズラ特盛らしい。

「死ぬことはないだろうけど……」

「さっき死ぬかもって……!」

「言葉の綾だ。殺すための電流じゃなくて驚かすための電圧だ。」

 パトリックはスマホに顔写真を表示させ、慎重にカメラに向ける。カメラが光りピピッと音が鳴ると、テンキーをこれまた慎重に押す。数字はどんどんおされ、やがて12桁になった。

『ビビゴン!』

 奇妙な音が機械から鳴った瞬間、パトリックがビクンと体を震わせ膝から崩れ落ちた。

「パトリック!!!」

 悲鳴をあげ俺とトミーは駆け寄り、パトリックの巨体をゆする。青白さを通り越し土のような顔色で、目は白く濁りうつろだ。

「や、やめてくれよ……ここまで3人でどうにかしてきたじゃないか……」

 トミーの嗚咽が聞こえる。俺は呆然とパトリックを見つめるだけだ。濁った目の上に被さる栗色のまつ毛が揺れ……

「びっくりした?」

 パトリックがのっそり起き上がった。俺たちはまた悲鳴をあげ、パトリックをぶん殴り抱きしめた。ぬめる肉体を揺らしながら笑うパトリックを立たせ、車に戻った俺たちはやっと敷地内に入ることができた。

 パトリックが鍵をかけ、敷地側についていたブレーカーのようなものを操作すると、ヴゥンと音がした。柵に通電したらしい。

「これで野生動物やゾンビは入ってこられない。米軍だってあれ以上追いかけてこないってことは恐らく父さんからの連絡が行ったと思う」

 パトリック家の別荘に無事入れた俺たちは、テレビでゾンビ騒動の顛末を知った。制圧はどんどん進み、人間たちはどうにか陣地を取り戻している。パトリックのお父さんからの連絡では、俺たちネオゾンビに関して軍に進言したが、最初は息子がゾンビになってしまってついに耄碌したかと思われていたらしい。しかし森で俺たちを追いかけた衛生局(軍じゃなかったらしい)の証言から、ネオゾンビについて把握した。しかしゾンビとの見分けがつかないせいで、それは秘匿されることとなった。

 さて俺たちは意思疎通のできるゾンビとして収容の名目でこの別荘に引きこもり続けている。食料も必要としない俺たちはどのように生命維持を行っているか未だ解明されていない。政府は俺たちを『とりあえず人』として扱っている。モルモットになる見返りとしてこの安寧は守られている。いつかまた同じ危機に陥ったときの打開策を研究するには俺たち従順なネオゾンビが必要なのだ。治療法を発見するのが先か、寒冷地の中でも徐々に崩れていく体が完全に崩壊するのが先か。このモラトリアムをただ楽しむということだけがここの決まりだ。ゲームをして、動画サイトをめぐりSNSをする。今までと変わらない、俺たちはこれまでと変わらない、生ぬるい幸せの中で過ごしている。

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ゾンビパニック逃避行 北路 さうす @compost

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