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 廃校舎を抜け出したのはいいものの、学校は地獄の様相を呈していた。クリーム色の壁には赤黒い血が飛び散り、どの教室をのぞいても”動いている”死体か普通の死体しかなかった。動くものは皆どこからか血を流していて、生気のない目でうろうろ意思のない歩行をしている。

「こりゃ誰も生きてないみたいだな」

 パトリックが数名のゾンビを捕まえてちょっかい出しているが、全員がほとんど抵抗もせずされるがままだった。トミーはスマホをいじりながら後ろをついてくる。

「SNSは全滅だけど、まだゲームが動いてるからそこまで広範囲なゾンビパニックじゃないのかもしれないな」

「こんなときにゲームかよ!? のんきなもんだな」

「ゲームが死んだときすなわちこの世の終わりなんだよ」

 俺もスマホを取り出してみたが、SNSは軒並み通信が込み合っていて、全然更新ができない。父親に連絡を……こんな非常時に連絡なんて取れないか。俺のスマホに入っている連絡先なんて、唯一の肉親である父親、パトリック、トミー、あとはバイト先くらいだ。自分の交友関係の狭さに助けられたのは初めてだ。

 職員室の扉は鍵がかかっていた。パトリックが何度か体当たりをするとどうにか扉は開き、中から数名の教師がゾンビとなって出てきた。職員室に入りあたりを物色する。何か武器になるものはないかとロッカーを開けると、中に同級生のマーガレットが入っていた。

「きゃああああ!」

「うわあああ!」

 マーガレットは俺を押しのけロッカーの外に出る。が、よろめいてその場で倒れてしまった。

「いやだ!! 食べないで!」

 腕をぶんぶん振り回しけん制しているようだが、彼女の足にはもうゾンビに噛まれた跡があり、振り回している手は色の抜けた生気のない色をしていた。

「残念だが、お前ももうゾンビみたいだぞ」

 振り回していた腕をぴたりと止め、マーガレットはこちらを見た。土気色の顔と濁った眼が、彼女がゾンビ化していることを確信させた。マーガレットは自分の色の抜けた腕を眺め、恐る恐る噛み跡の残る足を見た。血は流れておらず、噛み跡周辺は腐ったように紫色に変色している。無言でしばらく床を見つめたあと、彼女は棚についたガラスの扉に自分の顔を映し、事態を飲み込んだ。

「私もう、死んでいるのね」

 すすり泣く声をあげるが、涙はもう流れてこないようだ。

「だが朗報もあるぞマーガレット! 俺たちは選ばれしネオ・ゾンビなんだ!」

 トミーが横から嬉しそうに声をかける。マーガレットは聞きなれない単語に少しだけ顔を上げた。

「俺たち旧校舎で……まぁだべってたんだが、そこでゾンビに襲われてこうなっちまった。でもこの通り話もできるし、確実に死んでるけど、生きているときと大した違いはないさ。まぁ首はぐらつくけどさ!」

 トミー渾身のギャグもマーガレットには届かず、彼女の泣き声は止まらない。

「ほかのゾンビとは会話が通じなかったんだ。さっきもこの部屋に先生たちのゾンビがいただろう? そういう普通のゾンビとは話もできないんだ。いつからゾンビが発生したのかわからないから俺たちも今からそうなるのかもしれないけど、それでトミーは話の通じるゾンビをネオゾンビって言っているんだ」

 先生方の引き出しを物色しながら、俺もマーガレットに話しかける。俺たち以外に会う初めてのネオゾンビだし、不真面目でさぼり気味な俺たちと違って、マーガレットはさぼりなどしない真面目な生徒だったはずだ。ゾンビパニックの発端や俺たちの知らない状況を知っているかもしれない。できれば一緒に同行してもらいたいと考えていた。

「SNSも全部使えないのね。世界終わっちゃったのかなぁ」

 マーガレットはすすり泣きながらも自分のスマホを触りながら状況を飲み込んできたらしい。友達と連絡を取ろうと試みていた。もちろんSNSは反応せず、ずっと読み込み画面のままだ。それでもマーガレットはあきらめずに、次々とSNSを開いては更新を続ける。ロッカーの鍵を破壊してあさる音と、SNS更新音が職員室に響く。

 全てのロッカーを開け、教員の引き出しを開けきっても、結局職員室にはハンドガン2つと弾薬が1箱しかなかった。1つをパトリック、1つをトミーが持つ。俺は腕が取れているから銃なんて撃てば1発ごとにひっくり返ってしまう。代わりにとパトリックが自前だというナイフを渡してきた。

「親父のだけど、まぁ家に沢山あるし」

 パトリックの家は代々軍人の家系で、母親も父親もたたき上げの軍人、長兄は現役で空軍に所属し、次兄は根っからの戦略マニアで大学入学を控えている。パトリックはその一家にかわいがられた大いなる末っ子だ。いつサバイバルが必要になってもいいように一般人にしては過分な知識と技術を持っている。

 トミーはライターやら筆記用具やら誰かの昼食であろうドーナツまで拾って、床に転がっていたリュックに詰め込んでいる。この危機的状況サバイバルで役に立つかもしれない!と濁った目を見開いていたが、俺たちはもうDEADなんだからサバイブはできないだろう……

 職員室から出るときには、マーガレットも状況を飲み込んだようで、俺たちに同行することを快諾した。職員室のドアを開けると、先程出ていった先生ゾンビ達がまだ廊下をさまよっていた。壁にぶつかっていることに気づかず頭を擦りながら前進しているゾンビを見て、トミーはゲームのようだと笑い声をあげていた。

「ほんとに襲ってこないのね……話もできないしあなたたちとも違う」

 マーガレットは俺たちの後ろを歩きながら、時々すれ違うゾンビを押してみたりして反応を確かめていた。もちろん、ゾンビは少し唸ってよろけるだけで、俺たちの方を見る素振りもない。

「あなたたち、今日もマイケル先生の授業サボってたのでしょ?」

 マーガレットによると、ランチの後にマイケル先生の授業を受けていると、急に隣のクラスの生徒たちが、それに続いてゾンビがなだれ込んできてこの惨劇になったらしい。人波に揉まれながら、どうにか逃れたと思った職員室でマーガレットは誰かに噛まれてしまったらしい。

「ランチの後っていったら、俺たちが噛まれた時間と大差ないんだな。ということはやはり俺たちは新しいゾンビであって、ゾンビになりゆく者ではないんだな」

 トミーはしたり顔で解説を始める。仮にネオゾンビと呼んではいたが、ゾンビ化の過渡期である可能性も考えていたらしい。

「軍が助けにきてくれて、不思議な薬で人間としてまた生き帰れるのがベストかと思ってたけど、やはり新しいミュータントでヴィランをなぎ倒し大活躍ってのも夢があるな!」

「お前のそのポジティブ見習いたいよ」

 パトリックがトミーの額を指で弾く。衝撃でぐらつく頭を慌てて抑えるトミーをみて俺たちは爆笑した。空気の抜ける音がふしゅふしゅ言うだけだった。

 俺たちは学校から脱出を試みることにした。トミーの語る終末論的には、ここはゾンビに占拠されてしまっているようだから、軍に閉鎖されている可能性があると。仲間を探すにしても、誰かに助けを求めるにしても外に出なければどうにもならない。ゾンビたちを小突きながら校舎から出たところで、ゾンビ達とは違う奴らを発見した。

「生存者だ」

 先導していたパトリックが手で静止する。俺たちもみつからないようにのぞいてみると、クラスのクイーンビー・メアリーとジョック・トム、そして取り巻きたちの合わせて5名が草むらに隠れながら移動を試みている様子だ。俺たちとは違って健康的な肌色と透き通った瞳。ゾンビでもネオゾンビでもなく、生存者だとすぐにわかった。

「同じクラスの子達じゃない! 合流したら心強いわ!」

「おいやめろ!」

 急に飛び出そうとしたマーガレットをすんでのところでパトリックが引き止める。

「どうしてよ!? 彼女たち困ってるじゃない! ゾンビに襲われない私たちが彼女たちを助けるべきでしょ?」

「俺たち話は通じても見た目明らかにゾンビじゃねえか! 話しかける前に逃げられちまうよ!」

「離してよ! メアリーはそんな子じゃないわ!」

 マーガレットは俺たちの静止を聞かず、パトリックを押しやって手を振りながら生存者たちの方へ向かっていく。血の気の引いた顔、濁った眼、噛み跡のある足を引きずりながらひょこひょこ歩く様は、どう見てもゾンビそのものだ。

「メアリー! 生きてたのね!」

 マーガレット自身は、声を張り上げ手を振りながら駆け寄ったつもりなのだろう。しかし自分達に近づくマーガレットを発見した生存者たちは、悲鳴をあげながら銃を向け、哀れなマーガレットは両足と腹部が抉られてしまった。彼らは怖々と地面に這い蹲るマーガレットに近寄る。

「このゾンビ……同じクラスのマーガレットじゃない。可哀想だから早く楽にしてあげて」

「メアリー、トム、止めて……私、ゾンビだけど敵じゃな……」

 マーガレットの頭はトムのショットガンにより弾け飛び、そのまま動かなくなった。流石のネオゾンビでも、頭部が吹き飛べば天に召されるらしい。俺たちは新しいゾンビではあるが、無敵ではないことが証明された。俺たちは悲鳴をこらえ、そのまま様子を窺う。

「どうやら、俺たちの言葉は人間には伝わらないらしいな」

 パトリックがポツリと呟く。マーガレットはかなりの大声で叫んでいた。道路の反対側というたいして離れていない距離を考えると、彼らにも声は聞こえていたはずだ。人間と会話が成立しないということは、俺たちに人間と共存して暮らしていくという選択肢が無くなってしまったということだ。こちらが人間に危害を加えるつもりはなくとも、人間からは普通のゾンビと俺たちのようなネオゾンビの見分けはつかないのだ。鳥肌が立った気分だ。俺たちは死ななくて済んだのではなく、ゾンビにかわって人間追われる側になってしまっただけなのだ。結局生存難易度は変わらない。

「どうするよ、俺たちまでノコノコ出ていったら絶対ああなっちまうよな」

結局俺たちは、発砲音に近寄ってきたゾンビから逃げる彼らを見送るまで何もできなかった。鍵を盗んだのか教師のひとりが乗っていた大型車に乗って走り去っていく様子を見送り、引きつぶされたゾンビたちをよけながらマーガレットのもとに近寄る。俺は腕の棒でマーガレットをゆすってみるが、やはり反応はない。

「死亡確認……俺たちもう死んでるから、何て言うんだろうな」

 動かないマーガレットを眺めながら、俺たちは途方に暮れていた。

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