ゾンビパニック逃避行

北路 さうす

1

 クラスのはずれ者の俺とパトリックとトミーは、いつも通り湿った廃校舎の体育館倉庫でトミーが兄貴からくすねてきたマリファナを吸っていた。ほんわか気持ちよくなった俺は、窓から飛び込んできた人間はマリファナの見せる幻覚だと思っていて、右腕に噛みつかれるまで現実に起こっていることだと認識できていなかった。

「うぎゃああああ! いてぇ!」

 噛みついてきた野郎はどんなに蹴ってもたたいてもびくともしない。パトリックとトミーが無理やり引きはがそうとするが、ただ俺の痛みが増しただけで、絶叫する俺と慌てた2人と気の狂った噛み付き男の唸り声で体育館倉庫はカオスだった。中途半端に残ったマリファナのおかげか痛みは引いたり激しくなったり。永遠のように時間は感じられ、俺は笑いだしてしまった。トミーの後ろに新たな人影が見えたが、本当に誰かいたのかはわからない。ついに俺は右腕を食いちぎられ、失神してしまった。

 

 ふと気がつくと、俺の目の前には血に染まったパトリックのでけぇ腹があった。パトリックが気に入って5枚を着まわしているハンバーガーを持つコミカルな豚が描かれたシャツは、シャツ越しに噛みつかれ今やさび色で穴だらけの「共食いスプラッタシャツ」と化している。俺はぎりぎりのところで生き残ったのであろうか。パトリックは、トミーは死んでしまったのだろうか。動こうにも、出血が多いためかうまく体が動かせない。周りを見回すと、荒らされた室内に飛び散った血、そしてドアの前に立つ男女の後ろ姿が見えた。

「おいオリバー、気がついたのか!?」

 小声でパトリックが話しかけてきた。床に倒れたまま、頭を動かしてみる。俺の真上にパトリックのデカい顔があった。俺はどうやらパトリックに膝枕をされているようだ。野郎の股間に近い場所なんてこの世で最も最悪だ。

「俺も今気がついたんだが、やばいぞこいつら。ゾンビだ。」

 パトリックはやや血の気の引いた真剣な顔で、ゾ・ン・ビとゆっくり口を動かす。

「なわけあるか。あの動きをみてみろよ。やばいヤク中だろ。」

「違うんだ、お前が気絶したあと、俺も腹を噛まれて、トミーも首に噛みつかれて……必死に引きはがしたが、あいつら体は冷たいし目は濁りきってるし、生きてる人間じゃねえんだよ。」

 興奮して腹がブルンブルン揺れ、噛み跡から内臓がまろび出る。何かの汁が俺の顔にかかった。人間は思ったより頑丈なのだとぼんやり思った。

「なんかそんな薬あっただろ。ゾンビなんて非現実的すぎるし、今は脱出の方法を考えなきゃ、俺が失血で死んじまう」

「わぁー!!!」

 唐突な大声に驚きそちらに顔を向けると、トミーが立ち上がってこちらを向いていた。体はドアの方を向いているのに。パトリックが言うにはゾンビの2人組が噛みついたせいで、トミーの頭は皮1枚で胴体にくっついている状態だ。まさに動く死体、ゾンビである。

「ぎゃああああ!! トミーがゾンビに!!」

 パトリックが起き上がったため、俺は床に落下し派手な音を立てて転がった。

「世界が逆さだ!! どうなってんだ!?」

「パトリック落ち着け! 静かにしろよトミー!!」

 しかし思いも虚しく、ゾンビ2人組がこちらを向いた。生気のない顔、目は白く濁り血走っている。口からはダラダラとヨダレを垂らした恐ろしい形相だ。ああもうダメだ、俺たちヤク中に殺されちまうんだ……と思ったが、ゾンビ2人組は再びドアに向き直り、ユラユラ揺れているだけだった。

「あいつら、もう襲ってこないのかな」

「おい、俺どうなっているんだ!?」

 起き上がろうとしたが、うまくいかなかった。腕が無くなっただけでこんな動きにくいのか、はたまた失血のせいか。床でうごめく俺を見かね、パトリックが左腕を引っ張り立たせてくれた。

「なぁ、俺らってもうゾンビになってるんじゃないか?」

 そんな非現実的なことがありえるかと言いたかった。ヤク中の起こした事件だと信じたかったが、首の取れかけているトミー、腕のない俺が普通に動いていて、さっきまで狂暴だった侵入者たちが俺たちに見向きもしなくなっている。認めたくないが、俺たちはもう‘‘仲間入り‘‘してしまったのだろう。

「おいトミー、ちょっと落ち着け。俺たちもう死んでるみたいだぞ」

 パトリックがトミーの首を持ち上げ、もとのようにすげる。トミーは自分で自分の首を支えながら周りを見回す。

「俺の生きている時代にアポカリプスが来ちまったのか!? まだ魔法使いトテックの完結を見届けていないというのに!?」

 トミーはお気に入りのジャパニーズアニメへの愛を叫びながら両手を離しかけて頭がぐらつき、慌てて頭を持ち直す。もしこれが俗にいうゾンビパニックなら、この建物の外は、町はどうなっているのだろうか。

「どうする、ここから出ないことには何も始まらないぞ。」

 パトリックもトミーも同じ気持ちのようだった。しかし、俺はひとりでは歩けないくらいふらふらだし、トミーは首がぐらぐら、パトリックは腸がぶらぶらだ。ドアの前にはゾンビが2体。

「そこの……えーと、ゾンビさんたち?」

 俺も暫定ゾンビだ。とりあえず話しかけてみることにした。ゾンビ2体は、俺たちの立てる音に多少反応するものの、それだけだ。こちらを気にかける様子はない。そばによって話しかけてみても、一瞥もくれずドアの前で揺れている。

「どうなってるんだ。俺たちもゾンビなら話が通じそうなものだが」

「俺たち、もしかしてゾンビを超えたネオ・ゾンビになったんじゃないか?」

 トミーが突拍子もないことを言いだす。

「シカトされてる方がまだ信ぴょう性高いって」

 パトリックはそこらに散らばっていた校舎の破片から手頃なものを選んで、トミーの首に添え木を作ってやっていた。

「いやいや、流石にゾンビになってまで俺らを無視するのか……? 否定はできないか」

 トミーがうんうん考えている間に、パトリックは隅にころがっていた長めのパイプを俺の右脇に挟みかろうじて残った二の腕にひもで結び付けた。

「これで多少は歩きやすいかな。とりあえず脱出しなけりゃ何も始まらないよ。俺たちはもう襲われる心配はなさそうだしね」

 パトリックの言う通り、この廃校舎体育館倉庫は誰にもみつかりにくい反面外の様子が全くわからない。一生ここで話の通じないゾンビと缶詰するつもりはない。ドアの前でたたずむゾンビをパイプでつついて隅に追いやる。ゾンビたちはうーうー唸り少し歯をむき出し威嚇するそぶりを見せたが、大した抵抗なくドアの前からどけることができた。鍵を外し、ドアを開ける。視界がぼやけ、なかなか指先に力が入らずもたついてしまう。失血のせいだと思い込んでいたが、ゾンビ化の影響なのかもしれない。ゾンビなんて映画やドラマの話でしかなかったのに、まさかこんな事態になるなんて。どうにか開け放したドアの前でため息をついた。

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