お題 「色」−①
そこから新しい家で過ごす二人の生活が始まった。小さな家といえども二人で暮らすには十分で、それよりも広大な庭をどうにかすることの方が大変だった。
前の持ち主はよほど庭園にこだわりを持っていたのだろう。柵に囲まれた庭は住まいよりも広く、ここに花が咲き乱れればさぞ美しい庭園になるはずだ。だが何年も手入れのなかった庭は荒れていて、茶色に枯れた雑草が伸び放題になっていた。
「まずはこれを何とかしなきゃな。こんな家じゃ人じゃなくてお化けが住んでると思われちまう」
「そうねぇ。でもヴィクターが一人で全部綺麗にするのは大変じゃない?」
「俺を誰だと思ってんだよ。いずれ街一番の凄腕庭師になる男だぞ」
そう言ってヴィクターが快活に笑う。その実、確かに彼は庭師としての実力を着実につけていた。少しだけ変わった外観の庭だが、咲く花の持ちが良く、今まで頼んでいた庭師よりも花が綺麗に咲くと評判だ。
まだまだ家を買い取るほどではないが、少しずつ依頼も増えて生活には困らない程度にはなり、花の種や道具も買えるようになってきたところでヴィクターは本格的に庭仕事に取り掛かった。
まずは雑草を抜き、地面をならしてそこに肥料を加えた土を配置する。そこに種まきや苗を植えていき、毎日欠かさずにお世話をした。
毎日黙々と仕事と庭弄りに精を出し、女遊びもやめた。
そして季節は一つ巡り、また春を迎えた。
「ラエラ、そろそろ起きろよ。もう暖かくなってきた頃だぞ」
出窓の前に置かれた簡易なベッドに丸まって眠るラエラに声を掛けると、薄っすらと目が開いてエメラルドグリーンの瞳がヴィクターの方を向く。
「あらもう起きる時間なの? なんだかつい最近眠りについた気がするのに」
「冬の間ずっと寝ていたくせによく言うよ。ほら、ちょっとこっちに来てみろ」
そう言いながらヴィクターがラエラの手を引いて庭へ促す。目をこすりながら庭に出たラエラの緑の瞳が、庭園を見た瞬間に大きく見開かれた。
目の前に広がるのは鮮やかな色。春を迎え、植えた花々が一斉に咲き誇る庭園はたくさんの鮮やかな色に満ちていた。赤や黄、青、紫、ピンクに白。それぞれの花たちがそれぞれの色を自慢気に誇示しているかのように花弁を広げている。
庭の外観も見事で、濃い色の花から白の花までがグラデーションになるように植えられているので、まるで庭自体に小さな虹ができたようだ。
ニッと口の端を持ち上げて得意気な表情を浮かべているヴィクターの眼下で、ラエラが庭を眺めながら胸の前でキュッと両手を握った。
「まぁすごいわヴィクター! お庭の中に虹が見えるなんて。こんな素敵なお庭は初めて見たわ」
「ああ、まあな。一本一本も綺麗だけど、こうやって色を掛け合わせるともっと良くなるだろ? お互いの色を引き立てあってより一層綺麗に見えるように考えてみたんだ」
「ええ。ヴィクターが花の一つ一つをとても大事に考えてくれているのがわかるわ」
そう言ってラエラが屈んでちょんとチューリップをつつくと、赤い花弁がふるりと震えた。嬉しそうに顔をほころばせるラエラを見てヴィクターも微笑む。この庭は彼女のために作った庭だ。花達が生き生きと幸せそうに咲く庭園。
くるりくるりと回りながら庭を堪能するラエラを優しい気持ちで眺めていると、背後で土を踏む音がした。
「おお、庭が見違えるほど美しくなったな。お前さんも庭師だったか。しかもあまり他に見ない個性的な作りときた。お前さん、面白い庭を作るな」
背後から声をかけられてヴィクターは振り向いた。見ると、庭の垣根から大家の老人が人好きのする笑みを浮かべながらこちらを見ている。
「じいさん、来てくれたのか」
「この家はワシの管理している中でも特にお気に入りの家だからな。しかしあの時この家の内見に来た男の子がまさか可愛い奥さんをつれてこの家に住むようになるとはな。長生きはするもんだ。そちらのお嬢さんとはいつ一緒になったんだい」
「奥さん?」
にこやかに話しかける老人の言葉に、ラエラとヴィクターは同時に顔を見合わせた。わざわざ彼に確かめなくても、ラエラの姿が老人に見えていることは彼の視線がヴィクターの隣に向けられていることからもよくわかる。
ラエラのことをなんと説明するべきか逡巡していると、ヴィクターが口を開くよりも先にラエラがパッと破顔して嬉しそうに老人の前に出た。
「ヴィクターの作るお庭は素敵でしょう。私の自慢なの」
「ああ、若いながらもなかなか面白い庭を造る。今度ワシの家も頼ませてもらおうかのう」
「本当に? 嬉しいわ。良かったらこれからもヴィクターと仲良くしてあげてくださいね」
「な、仲良く? ワシが?」
ラエラがニコニコと笑いながら老人の手を取ると、彼女の押しの強さに驚いたのか老人が目を白黒させる。だがヴィクターを見てすぐに相好を崩した。
「なるほど、お前さんも駆け出しの庭師だろう。家族を養うには仕事が必要だ。ワシの方からも知り合いにお前のことを紹介しておいてやるから」
「本当か? あ、ありがとうじいさん」
「なぁに、お前がこの家に内見に来たこんくれぇ小さい頃から見てきたんだ。ワシにとっては孫みたいなもんよ」
「そんなには小さくねぇよ」
親指と人差指で豆粒のような形を作りながら快活に笑う老人に、ヴィクターは呆れ笑いで返す。
片手をあげて庭を去っていく老人に、ラエラは嬉しそうに手を振っていた。
「あの人、お前のことが見えているみたいだったな。一体どういうことなんだ」
「多分私が前よりももっと人間の体に近づいたということだと思うわ。最初に言ったでしょう? ヴィクターが私にたくさん愛情を注いでくれれば、女神さまが人間の体をあげると仰っていたもの」
「ということは、もしこのままずっとここで暮らせばラエラはいずれ完全な人間になるということか?」
「ええそうよ。これでずっとヴィクターと一緒に暮らせるわね。私達もう家族なんだわ」
そう言いながらラエラが両手を広げてヴィクターの体を抱きしめる。その温かい背中に手を回しながら、ヴィクターはふるりと唇を震わせた。
愛に飢えていた孤独な少年は、ようやく根の張った確かな愛情をこの手に抱くことができたのだった。
※
老人は本当にヴィクターを知り合いに紹介してくれたようだった。その日以降、すぐにこの家に訪問者が現れた。来客は茶色の巻き毛を一つに結んだ年若い娘だった。家の門の前で手を組みながら緊張した面持ちで立ちすくんでいる。
「こんにちは、お嬢さん。何か御用ですか」
じょうろを片手に持ったままヴィクターが庭から声をかけると、娘は驚いたように顔をあげた。
「あの、こちらに庭師が住んでいるって聞いてきたんですけど……」
おずおずと告げる彼女は、ここからそう遠くない屋敷の一人娘だった。ヴィクターを見て思っていたよりも若い男が出てきたことに驚いたのか娘は一瞬目を見開いたが、すぐに頬を染めながら視線を落とす。
「依頼ですか。ご要件は」
「実は以前より花の持ちが悪いことが気になっていて。一年中咲く花を選んで植えているのですが、綺麗な花を咲かせてもすぐに枯れたり散ってしまうのです。よろしければ一度庭を見ていただけませんか」
「もしかすると土が合っていないのかもしれないな。意外と花自体が弱っている可能性もある。君さえ良ければすぐにでも庭を見てやりたいんだがいいか?」
「は、はい。ぜひお願いしたいです」
娘が慌てて顔を上げて礼を言う。ヴィクターが微笑で返すと、パッと顔を赤くしてもじもじしながら手を組んだ。
「あの……あなたのことは町の噂でよく聞いていました。実際にお会いしたのは初めてですけど、その、素敵なお庭を造る庭師の方だって」
「そーかい。それはどうも」
「はい……それで、あの、もしよろしければ庭を見ていただくついでに家にもあがっていただけませんか。タダで見ていただくのも申し訳ないですし」
「別に庭を見るくらいならどうってことないですよ。花の状態が気になるのは庭師としての性みたいなもんです」
「で、でもそれでは私の気がすみません」
娘が胸の前で両手を握りしめながらもきっぱりと言い切る。ヴィクターはもう彼女の真意がわからないほど子供ではない。内心で少しのやりにくさを感じながら気を持たせないようにそそくさと準備に戻ろうとすると、家の中から顔を覗かせたラエラが来客を見てパッと顔を輝かせた。
「まぁヴィクター、お友達が来てくれたの?」
「いや客人だ。庭を見てもらいたいんだと」
「あらそうなの? じゃあ早く支度をしないと。えーと、そこのあなたはこちらで待っていてくれる? そうだ、良かったらお庭を見せてあげるわ。ヴィクターの作ったお庭は本当に素敵なのよ」
そう言いながらラエラがふんわりと笑って娘の手を取り、ぐいぐいと家の方へ連れて行こうとする。驚いてオロオロする娘を見てヴィクターが呆れた笑みを浮かべた。
「ラエラ、彼女が困っているぞ。それにお前、なんだか髪が乱れていないか? 葉や茎が髪にたくさんついていて格好がつかないぞ」
「本当に? もしかしたらさっきお庭で寝ていたからかもしれないわ。お庭があんまりにも綺麗だからつい寝転んでしまいたくなるの」
「それはいいけど身なりは気にしろよ。客人の前だ」
ヴィクターが花ガラを積むように優しい手つきで髪についた葉を取り除いてやると、ラエラがくすぐったそうにふふふと笑った。二人の睦まじいやり取りに娘が目をパチクリとさせる。
「あの、私、申し訳ありません……まさか一緒に暮らしている人がいたなんて」
「どうしたの? あなたが謝ることなんて何もないわ。さ、早くこちらへいらっしゃい。庭が一望できる出窓があるの。そこからだとヴィクターの造ったお庭がより一層素敵に見えるのよ」
「は、はい。ではそちらで待たせていただきます」
ラエラの勢いに驚きながらも娘がうなずいてラエラの後をついて行く。
家の中に入り、出窓の前のソファに案内された娘は窓の外の景色を見て感嘆の息を吐いた。
「本当に綺麗な庭ね。まるでお花達が笑っているみたい」
「お、詩人だな」
出窓に腰かけて庭を眺める娘のもとに、ヴィクターが笑いながら声をかける。娘が微かに頬を赤らめながら視線をそらし、窓際に置かれているヒヤシンスの鉢に目を留めた。
「このヒヤシンス……とても綺麗。あなたは本当に花を育てるのが上手なのね」
「庭師にかけてもらう言葉としては最大級の賛辞だな。ありがたく受け取っておくよ」
「ええ、普通のヒヤシンスよりも花弁がみずみずしくて色が鮮やかだわ。それにこの子、花を咲かせるのが楽しいみたい。ちょっとあの子にも似ているわね」
娘が笑いながら部屋の奥に目を向ける。視線の先のキッチンでは、ラエラが鼻歌を歌いながら紅茶を淹れていた。
その後ろ姿を見てヴィクターの胸中に温かいものがこみ上げる。
「ああ、そいつはちっと特別なんだ。他の花よりうんと綺麗だろ?」
「ふふ、あなた達ってお互いにお互いのことが自慢なのね。羨ましい関係だわ」
そう言って娘がくすくすと笑う。自覚していなかった娘の指摘に顔を赤くしながら、ヴィクターはそそくさと外出の準備を始めるのだった。
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