お題「住宅の内見」−②

 ヴィクターの部屋は屋敷の屋根裏にあった。天井は低く、少しだけ埃っぽかったが、部屋の一番奥に備え付けられた窓から太陽光が入ってくる為にそれなりに明るかった。

 部屋にあるのは簡素な一人用のベッドとチェストに机。屋根の形に合わせて壁も斜めになっている為に若干の閉塞感があったが、さすが屋敷の屋根裏部屋ともなれば少年一人が暮らすには十分すぎるくらいの広さがあった。

 ヴィクターは一番太陽の光が入ってくる窓枠にヒヤシンスの鉢植えを置いてやった。明るい日差しを浴びて、こころなしかヒヤシンスの花弁が嬉しそうにふるりと震えたように見えた。


「じゃあお前の本体はここに置いていくから。お嬢様のお使いが済んだらすぐに帰ってくるから、部屋は好きに使っていていいぞ」


 そう言いながら少女の方を向くと、彼女は露骨にしょげた顔をしてヴィクターに視線を返してくる。


「私はお留守番? 私をお使いにはつれていってくれないのですか?」

「つれていってやりたい気持ちはあるけど、さすがに鉢植えを持って町中を歩くのは変だろ。残念だけど、我慢するしかない」

「あ、じゃあこうするのはどうかしら。私の一部をヴィクターに持っていってもらうの。それなら私も動ける気がします」

「お前の一部って……髪の毛か? それとも本体の花びらか? 外出の度に体や花を傷つけるのは俺は嫌だぞ」

「まぁそんなことしないわ。これを持っていってほしいの」


 そう言ってヒヤシンスの少女は自分の髪に散らされた白い小花を手のひらにのせてヴィクターのシャツのポケットの中に入れた。何の変哲もない花飾りのはずだが、胸ポケットの中が不思議とポカポカ温かくなったような気がする。

 ヒヤシンスの少女もなにかを感じとったのか、嬉しそうに両手を胸に前で握りしめてニコニコと笑った。

 

「これで動けるようになった気がするわ。さぁ早くお外に行きましょう? 早くしないとお嬢様がご立腹になってしまうでしょうから」

「そんなこと言って、お前が外に行きたいだけだろ。他の人達に姿は見えないとはいえ、あんまり無茶な行動はするなよ。えーと」


 そこでヴィクターは初めて少女に名前がないことに気がついた。正体はヒヤシンスの花とはいえ、見た目は人間の少女そのもの。名前がないことには不便極まりない。

 口をつぐんだヴィクターの目に、窓際で甘い香りを放つヒヤシンスの花が映った。その鮮やかだが品のある紫色は彼女を表すのにピッタリだ。

 自分より高い視線を見上げながらヴィクターは右手を少女に差し出す。キョトンとしながら見返す彼女に照れ隠しにコホンと咳払いをしてヴィクターは彼女の手を取った。


「ほら、行くぞ──ラエラ」




🪻


 昼下がりの町中は大勢の人達で賑わっていた。

 美しく整えられた石造りの道沿いには季節の花を飾った店や家々が建ち並び、あちらこちらで呼び込みの声や世間話をする声が聞こえてくる。

 ヒヤシンスの少女──もといラエラは初めて見る光景を蒸気した頬で嬉しそうに眺めていた。

 お目当ての店は少しだけ遠い場所にある。お嬢様はきっとしびれを切らしながら待っているだろうけど、ヴィクターはラエラが景色を楽しめるようゆっくりと歩いてやるのだった。


「あら? あれは何かしら。お花畑があるみたいだけど」


 カラカラと目の前を横切っていく馬車を目を見張りながら見送ったラエラが前方を指差す。彼女が指さした方を見ると、そこは住宅街だった。赤い屋根や白い壁をした家々がお行儀よく建ち並んでいる。ラエラが指したのはその中の一軒だった。

 その家は他の家と違って少しだけ小さかった。代わりに広い庭が設けられ、その一画にチューリップが咲いていた。赤や黄、白のチューリップが陽の光に照らされて鮮やかな色彩を放っており、寂れた住居の灰色さと相まってまるでそこだけ塗られた塗り絵みたいに思えた。


「ここだけチューリップが咲いてるのは面白いな。そういう趣向の庭なのだろうか」

「そうね、勝手に咲いてきたお花なのかしら」

「いや、これは人の手が入っているな。とても綺麗に咲いている」

「あら、私よりも綺麗だって言うの」


 ヴィクターの言葉にラエラがプッと頬を膨らませる。お嬢様に対しては妬かないヤキモチも、花に関しては別なのだろう。


「まさか。俺が育てた方が綺麗に決まってるだろ」


 なんとなくくすぐったい気持ちになりながらラエラをたしなめていると、背後から笑い声が聞こえた。驚いて振り向くと、見知らぬ男がヴィクターを見て微笑みながら会釈をする。


「お前さん、この家に興味があるのかね。それとも庭に惹かれたのかな」

「おじさん、誰だ? もしかしてここはおじさんの家なのか?」

「おっとこれは失礼した。私はこの家の管理を任されている者でね。早い話、この家の引き取り手を探している者だよ。よかったら中を見てみるかい」

「え? い、いや俺は客じゃない。お金も持っていないし……」

「はは、そんなこたわかってるさ。でもお前も男なら将来的には所帯を持つだろう? 未来に向けての下見だよ」


 そう言って男がウインクをする。どうしたものかと返答に窮していると、ラエラがそっとヴィクターの袖を引っ張った。


「私、中を見てみたいわ」


 その一言で、お嬢様の用事は少しばかり先送りになることが決まった。





🪻


「ここはもともと庭好きの人が住んでいたみたいでね。人が住むところより庭の方が広いせいか不人気でなかなか売れないんだ。今は荒れているが、人が住むようになって手を入れればそれはそれは綺麗な庭になるだろうに」

「あのチューリップはおじさんが植えたのか?」

「ああそうだよ。庭に花が咲いたらこんな風になるイメージを持ってもらいたくてね。あいにく私の力量じゃ、精々隅の方にチューリップを植えることくらいしかできなかったけれど」

「ふうん」


 返事をしながらもヴィクターはこの庭が季節の花々でいっぱいになっているところを想像した。自分が手入れをした庭を見て喜ぶ人がいる。それは少年のヴィクターにとっての大きな夢だ。そして庭を見て喜んでいる想像上の人物が屋敷のお嬢様であることは、誰にも言えないヴィクター少年の甘美な空想だった。

 男に礼を言い、ラエラと二人で中に入らせてもらう。家の中はこじんまりとしていたが、窓の方角がいいのか陽の光がよく入ってきて明るかった。住居の中も外も人間よりも植物が喜びそうな空間だ。以前ここに住んでいた者は庭師だったのだろうか。

 案の定ラエラは喜び勇んでまっさきに部屋の出窓に向かっていった。出窓の椅子に腰掛けてウキウキと外を眺めている。こう見ると、姿かたちはヴィクターよりもだいぶ歳上なのに子供っぽく見える。花に子供も大人もないかもしれないが。


「ヴィクター、私ここが気に入ったわ。すごく素敵なお家ね。この窓の下でお昼寝をしたらとっても気持ちが良さそう」

「でもここには住めないぞ。家を買うなんて、それこそもっとお金持ちにならなきゃ。大人になってからも、買えるかどうか」


 少しだけ表情に陰りを見せたヴィクターを、ラエラは小首を傾げて見ていた。だがすぐにパッと顔を輝かせると、ヴィクターの肩に手を置いて額に軽くキスを落とす。

 屈んだラエラの毛先がヴィクターの手をくすぐり、彼は咄嗟に手を引いた。

 

「ばっ、お前、またそういうことを」

「大丈夫よ。だってここは人目がないんですもの」

「あのなぁ、そういうことじゃないんだよ」


 呆れた視線を送りながらも、励ましてくれようとするラエラの気持ちは十分に伝わってくる。

 得意気なラエラの表情を見ているうちに、ヴィクターはいいことを思いついた。ニコニコしながら胸の前で両手を握りしめるラエラを見て、ヴィクターもまた笑みを浮かべるのだった。




 


 無事にお使いを果たし、頼まれたお菓子をお嬢様に渡した後──帰宅した頃にはとっくに三時を過ぎていた為に遅いと怒られてしまったが──ヴィクターはラエラと共に屋根裏部屋に戻ってきた。

 ヴィクターのベッドに腰掛けて足をぶらぶらさせているラエラを置いて、そのまま納屋に走る。使われていない木箱をいくつか持ってくると、屋根裏部屋の窓の下に並べた。その上にメイド長にもらったお古のテーブルクロスとレースのカーテンを引けば、即席の出窓の完成だ。

 ライラは不思議そうな顔でヴィクターがやることを眺めていたが、 先ほど見た家の出窓と同じものができたことを知るとパッと顔を輝かせた。


「これはさっきのおうちと同じものかしら? 寝っ転がったらとても気持ちがよさそうね」

「お前も花とはいえ一応女の子だからな。ここをお前専用のスペースにしよう。ちょっと無骨であんまり綺麗じゃないけど、我慢してくれ」

「いいえとっても嬉しいわ、ありがとうヴィクター」


 そう言ってラエラは木箱に腰掛けて楽しそうに窓の外を眺め始めた。

 部屋の大きな光源である窓を譲ってしまうはなかなか勇気のいることだったけれど、嬉しそうなラエラの横顔を眺めながらこの生活も悪くないなとヴィクターは思うのだった。

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