川崎の同期生 中編

「そういえばあの子、ちょっとゆかりんに似てたね」

 砕けた口調で弥生さんはそう言った。宵闇が降りてきた川崎駅前は、味付け程度ではあるものの風にも冷気が混じってきた。

「自分が好きなものを他人ひとに話すときの熱量とか。周りがどう感じてるかなんてお構いなしに自分の主張を最後まで伝えきって、満足しちゃう。自信満々で、ちょっと独善的なんだけど、ちゃんとそれが可愛さになってる」

「ちょっと、じゃないでしょ。あれはかなり、もう独裁者のレベルだよ。でもたしかにそういうとこはよく似てるかもしれない」

 小さな拳を口に添えて、弥生さんは声を出さずに笑った。すぼめた唇から間欠的な吐息が漏れる。



 あっけにとられていたヒマリとハヤトに、弥生さんは自ら進んで自己紹介をした。

中嶋弥生なかしまやよいって言います。皆川さんとは同じ大学でけっこうニアミスしてました。私の親友と皆川さんが同じゼミ取ってたから。私とは、まあ顔見知りってとこかな」

 如才のない挨拶に僕の出る幕はなかった。

「あーびっくりした。まさかにいちゃんにこんな綺麗な彼女さんがいたなんて、って思ったから。ひとを謀るのも大概にしろってくらい」

 ヒマリは大袈裟に溜息をついた。まったく失礼なやつだ。僕にだって彼女くらいいる。近くにはいないけど。

「もしかして弥生さん、さっきのユーフォの演奏会、観てました?」

 ヒマリの不躾な質問に、弥生さんは涼しげなしぐさで肯いて応えた。

「じゃ、じゃあこのあとご一緒しません? 私たち、これからサイゼに行ってさっきの感想会をするんです。弥生さんの感想も聞きたいな。あとリュウにい、皆川センパイの昔話とかも」

 あ、もちろんお時間があれば、ですけど、と付け加えるヒマリ。馬鹿。順番が逆だよ。

「私の時間は大丈夫だけど、お邪魔じゃない?」

「とんでもない」

 ヒマリは音を立てるくらいぶんぶんと手刀を振った。そのうしろでハヤトも同じことをしている。なんなんだ、こいつらは。

「じゃ、行きましょう。善は急げです。ちなみに私はあおい日葵ひまり。ヒマリって呼んでください。皆川センパイの高校の後輩で、いまはセンパイと同期入社組です。私は本社で、センパイは子会社。あとうしろのは大文字だいもんじ隼人はやと。同期入社の同僚で、私の彼ピです」

 よろしく、とだけ言って頭を下げるハヤト。彼ピというより乾分こぶんだよな。


 サイゼではヒマリが随分と口惜しがっていた。弥生さんがとてもひとつ違いには見えないと言うのだ。それはヒマリの謙遜でも勘違いでもなく、僕から見てもみっつは違ってみえた。

「強いて言えば、住んでるところ、かな」

 弥生さんはそう微笑んだ。

 いまはフィンランドのエスポーという街に住んでいるらしい。アアルト大学に在籍して、もう三年めになるんだとか。二年半前、大学三年の秋から駅弁大学を休学し、自費留学で単身フィンランドに渡ったという。道理で後半は大学でも見かけなかったわけだ。

「今回はね、親友の結婚披露宴に呼ばれての帰国だったの」

「親友って、まさかあの……」

 思わず横槍を入れてしまった僕を咎めるでもなく、悪戯っぽく笑いながら応えてくれた。

「そ。あの、ゆかりん」

 一年前に一度だけ会ったことのあるゆかりんの彼氏を、僕は思い出した。あれは杜陸もりおかでの最後の夜だった。酔いつぶれたゆかりんを迎えに来て、そのまま僕を深夜バスの停留所まで送ってくれた気さくなひと。

「そっかあ。ついに結婚したか」

「ゆかりん、すっごく綺麗だったよ。籍は二月に入れてて披露宴は一昨日おとといようやく。二次会でたくさんお話ししたけど、とっても幸せそうだった」

 研究室でともに切磋琢磨した同級生が結婚した。なんだか随分と遠くに来たような気がした。僕たちもいずれそうなるんだろうか。半年に満たないつきあいの遠距離恋愛えんれん彼女の顔が脳裏に浮かんできた。

「少し東京観光してからあっちに戻ろうって思ってたんだけど、ホテルでTV点けたらユーフォやってるじゃないですか。しかも新作! 相変わらずめっちゃエモいし。で、思わずいろいろ検索とかしてたら、今日のイベントがみつかって」

 ヒマリの瞳が輝いた。

「弥生さん、ユーフォガチ勢なんですね」

「ガチ勢です。中学のときに一作目をみて、そのままハマりまくりました。もちろん、原作も全部読んでます」

「 ホ ン モ ノ で す ね 」



 結局そのまま四人で三時間ほど歓談し、このあとは横浜の中華街に行くというふたりを駅で見送ったのがついさっき。羽田の近くのホテルに連泊してると言った弥生さんを案内がてら、京急線の川崎駅に向かって歩いてるのがいまの僕らだ。

「しかしゆかりんが結婚ねえ」

「旦那さんの方もよく知ってるけど、あのふたり、もうけっこう長いから」

「にしたって、だいぶ変わったんだろうな、ゆかりんも」

 そりゃあね、と言って首を回す弥生さん。なんていうか、凄くオトナの女。

「でも変わったって言えば、皆川さんだって随分と変わったよ。すっごく良い感じになってる。正直言って杜陸もりおかにいたころはぜんぜん気にしてなかった。なんか普通の男の子がいるな、ってだけで」

 まぁそうだよね。あの頃の僕は、ほんっと個性もなんもなかったから。当時すでにひと皮もふた皮も剥けてた美女からすれば、モブ以外のなにものでもなかったんだろう。ま、その辺は……

「今だって変わんないよ。僕の平凡さは」

 急に歩みを止めた弥生さんが僕の手を掴んで引き寄せてきた。

「そんなことない。そんなことないよ皆川さん。いまの皆川さんはとても魅力的になってる。落ち着いててガツガツしてなくて、でも内側から隠しきれてない色気がにじみ出てきてる。いろんなことがちゃんとわかってるオトナの男の匂い」

 面食らった僕は、人通りの少ない歩道で立竦むしかなかった。僕の両手を掴んで顔のすぐ下から見上げてくる美女が、瞳を潤ませながら言葉を重ねる。

「私、本気なの。皆川さん、いますぐ私、あなたに抱いて欲しい」

 前面を押しつけてきた弥生さんの柔らかい質量がみぞおちの左右を圧迫してくる。掴まれた手が腰にいざなわれ、質感のあるふたつの半球を後ろから包み込むように置かれた。

 フェロモンの元栓を全開にした美女が、首筋に顔を埋めて懇願を囁く。

「お願い。私とセックスしよ」


 ちょっ! 待ってくれ。ぜんっぜん、アタマが追いつかない。

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