ムレタ・シークエンス 後編


 ギャラクシー・バッファローの群れはあと三分で太陽系を滅ぼすことができた。彼らは外宇宙から飛来した宇宙怪獣である。寿命はない。食事もいらない。ただ本能の赴くままに突き進み続け、その間にあるすべてのものを破壊する。たまたま群れをなし、たまたま文明の光に反応するだけの、あまねく宇宙生物に降りかかる死の概念の具現であった。


 彼らには知性も悪意もない。ただ突き進むだけだ。先ほどもそうやって、どこかの銀河系を滅ぼしてきた。そして今、一瞬の輝きに反応し、期せずして彼らは第三太陽系へと突入しようとしていた。草原を駆けるように、彼らは宙を飛行し、反動を受けずにあらゆる障害物を突き進むことができた。今、そうして彼らは無色透明のバリアを割り、ついに太陽系へと侵入した。プルート・シールド、突き破ったバリアの名を彼らは知らない。それどころか、かつてここが二度滅ぼした惑星系であることさえ、バッファローは知らなかった。


 バッファローは惑星重力の影響を受けない。天体のように星の外周を回るなく、まるで一本道があるかのように、彼らは直進し続ける。人工太陽までの道中に、不運な惑星が幾つかある。最初に彼らの前に立ちふさがったのは人工海王星であった。総人口三百億人。リゾート惑星と知られるその星は、事前告知により今日一日、あらゆる活動を停滞させていたにも関わらず、不運にも道中にいたという理由だけで破壊された。今、第三太陽系の総人口の約1割が失われた。当然ながら、バッファローの群れは振り向きもせず、太陽を目掛けてなおも直進し続けている。


 次に立ちふさがったのは人工土星だ。謎めいたリングが外周を覆っているが、それは壊す対象が少し増えるだけであって、元々知性のないバッファローの群れにとっては、特段考える必要のない物体だった。だが。


『……?』


 視界の端に、なにか光るものがあった。バッファローの視界……モノクロの宙の中に、強烈な文明光が一瞬煌めいた。先ほどの太陽の光には及ぶべきもない小さな反応であったが、自我を持たないバッファローの興味を惹くには十分であった。このまま直進すると光を通り過ぎてしまう。あの星を迂回していかなければならない。あるいはこの時、はじめてバッファローの群れは眼前の矮小な星の存在を認知したかもしれない。


 そうやって、バッファローの群れはついに土星リングの周りを回るように進路を変更し始めた。バッファローが直進をやめた。歴史的な瞬間であった。




 ▶ ▶ ▶




「群れの進路、直進コースから外れました!」


 女性オペレータの甲高い声が、会議室内に響いた。リアルタイム会議中のサターン社にも届いただろう。サンズィは思わず心の中でガッツポーズを決めた。


「このまま慎重にホロ投射を後退し続けろ。追いつかれたり、途中で消えることがあれば関心を失うかもしれん」


「そうなれば、次に狙われるのは人工太陽ですね……」


 現場監督の声色に、先ほどの自信はなくなっていた。無理もない。サターン社は当然土星にある。つまり、今彼らの外周を、超巨大宇宙怪獣の群れがぐるぐる回っているのだ。奇跡的に被害を免れているだけで、いつ彼らが犠牲になってもおかしくはないのだ。今、第三国連議会以上に命を削っているのが、サターン社の現場であった。


「いいぞ、いいぞ……その調子だ。彼らの進路が変わっていくぞ……」


 バッファローの群れが、土星の外周90度を回り切ったあたりだった。直進の時と異なり、彼らの進行はやや緩慢になっていて、予定以上に時間がかかっていた。そのため、サターン社内では、実は精密な調整が人力で行われていた。


「このまま直進されても……太陽はぶつかるだろ。もっと、もっとだ。もっと引き付けて……ああっ!」


 その時だ。恐れていた事態が起きた。ギャラクシー・バッファローの群れの一体が、土星リングの外周に接触したのだ。ホロ投射が停止されたメッセージが、残酷にモニタ表示されていた。


「投射装置は繊細なんだ。ちょっと刺激を受けただけでも、ホロ描写に影響が出てしまう……いま投射できる箇所は……バッファローの視界外だ!」


 現場監督は耐えきれず、口汚い言葉を放った。だが、この場に咎められるものはいないだろう。


「ギャラクシー・バッファローの進路予測……出ました。人工太陽、直進コースです……」


 オペレーターの弱弱しい声がサンズィの胸に突き刺さった。


「諸君らは……限られた時間の中で、最大限の活躍をしてくれた。出来うることをすべてやってくれた。たとえ太陽系が滅びようとも、君たちが誇りある英雄であったことは、この私が保証する」


 サンズィは賛辞を口にしながら、あまりに虚しい発言だったと自省した。太陽系が滅びたあと、恐らくヘリオス社の連中が戻り、新たな第四太陽系とやらを再建するだろう。彼らにとって都合のいい楽園を。その中に、活躍してくれた皆の名前は残されはしない。英雄たちの雄姿は、宇宙の久遠の闇に葬られようとしている。


 彼は無力感に苛まれながら、祈るような気持ちでモニタを見た。しかし、モニタ上に表示されるのは、残酷にも人工太陽への直進コースに切り替えたギャラクシー・バッファローの群れであった。幸いにも、これまでの奮闘で、少なくとも人工土星を奴らの進路から外すことができた。あとは太陽が貫かれ、そのまま水星……議会ごと貫かれ、我々は死ぬだけだ。


 ふざけるな。何か、なにか他に手はないか。サンズィは血眼になって手元の端末を操作する。だが、バッファローの群れが1分足らずで太陽に直撃しようというこの場で、最早打つ手は皆無であった。なんでもいい。なにか、奇跡が起きてくれ。サンズィは、最早名前の失われた旧世代の神に祈った。




 果たして、祈りが通じたのか。それとも、べつの執念が働いたのか。


「バッファローの進路、変更……? されました!」


 オペレーターの驚愕の声に、サンズィは我に返った。すぐにモニタを見る。だが、進路変更された理由が分からない。


「なにが……バッファローの進路に何がある……?」


「……地球です!」


 サンズィはすぐさま、仮想望遠鏡にて地球の方角を見た。そして絶句した――地球が煌めいている。人工太陽ほどの輝きではないが、土星リングの部分ホロ投射をゆうに超える光が、地球から放たれていた。


「電力供給は……切られているはずだよな?」


「はい。ですが、パラメータを見る限り、地球全土に電気が生きわたっています。地球内に発電施設を製造したとしか、考えられません……!」


 文明仮死シークエンスを実行するにあたり、最も強く反発したのが地球従来に合った企業群であった。彼らは連盟を結成し、ヘリオス社をはじめとする宇宙企業に反発し……負けた。惑星内の発電機能をすべて凍結・破壊され、外惑星からの電力供給なしでは企業活動ができないようにされていた。それは昨日までの話であった。


 600年もの間、彼らが企業活動するために、秘密裡に非常用電力の発電施設を作り続けていたとしたら――。


「地球、破壊されました」


 煌めきに満ちた星が星屑に変わるのは一瞬だった。ギャラクシー・バッファローの群れはそのまま直進し続けている。その先に人工太陽はない。他の惑星もない。そして。


「次の進路予測、でます! バッファローの進路上にある物体――アーク・スエルテです!」


 バッファローは無知性のまま、人類にとっての裏切り者を進路上に置いていた。偶然にも、今日この時、人工太陽系の星環はこのようになっていた。


「ハ、ハハ……」


 サンズィは脱力し、思わずへたりこみそうになった。すんでのところで耐え、姿勢を正した。


「……地球の犠牲が、企業戦士たちの犠牲がなければ、第三太陽系は滅亡していたことだろう。たとえ邪な執念だとしても――私はあれが地球の意志だったのだと思いたい。かつての母なる惑星に、私は感謝したい」


 サンズィは地球の方角を向き、右肩を上げた。そのまま腕をくの字に折り、右手を己のこめかみに当てる。それは、第三太陽系では失われて久しい、彼が先祖から受け継いだ、敬礼の姿勢であった。


 彼の真摯な姿勢を目の当りにし、第三国連議会の職員たちもみな、同様の姿勢を地球に向けた。一瞬戸惑いながらも、サターン社もそれに倣った。




「さあ、バッファローの群れがついに太陽系から離れた」


 ギャラクシー・バッファローは一か所に留まらない。太陽系を突き進んだ彼らは、同じように他の惑星系も突き進んでいくのだろう。いつか太陽系に戻ってくるその時まで。


「これまでの主導者であった、各企業の有力者が一斉に消えた。これからの太陽系の運営について、考えなければならない」


 損害への補填、人工海王星と人工地球の復旧、各企業への復興支援……課題は山のようにある。だが、一つ一つこなしていけばいいのだと、サンズィは思った。タイムリミットは、自分の死後よりもずっと後なのだから、と。




 第三太陽系にはやるべきことがあった。大破壊からの復興。やるべきことは多々にあったが、幸いにも今回は、三分の時間制約はなかった。



【ムレタ・シークエンス】完


 

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