ムレタ・シークエンス 中編
アイガワ・サンズィにはあと三分以内にやらなければならないことがあった。混乱する現場をまとめ、迫りくるギャラクシー・バッファローの群れから太陽系を守る手段を摸索する必要があった。死神の足音が、刻一刻と迫りつつあった。
「……アーク・スエルテの出航記録、ありました。乗客の名前もリストアップできます。ヘリオス社の重役ばっかりだ……! こんな簡単な偽装で逃げのびようとしていたなんて……」
さきほど声を上げてくれたオペレーターだ。確かに、対バッファローにリソースが集中する今日であれば、最低限の偽装でも十分目くらましになったのだろう。ましてや、彼らには後始末をする必要がないのだ。バッファローによって残された人類ごと証拠が消滅するのだから。
「……みんな、聞いてくれ」
重々しく、サンズィは語り始めた。
「今、我々にヘリオス社の連中を追及する余裕はない。最短で追手を出しても、その前にバッファローに潰されてしまう。今、最優先するべきは、間近に迫りくるギャラクシー・バッファローへの対抗策を模索することだ」
「でも、あんな化物どもにどう対峙すれば……」
「できる」
サンズィは断言した。
「我々第三太陽系の人類は、幾度に渡りバッファローの脅威を退けてきた。その過程の中には、文明仮死シークエンス以外の手段も摸索されてきたはずだ。ただ今より、議会長権限によって諸君ら全員の閲覧権限を最高位まで変更する。実行時間を加味して、今より1分間、あらゆるバックログから対抗策を探し出すのだ」
職員全員に話しながら、サンズィは片手間で全員の権限を変更した。
「この私も今から諸君らと同じく、過去と向き合う事とする。以上だ。死力を尽くして、この危機に立ち向かおう」
サンズィの演説は淡々としていた。だが、職員ら全員は自らの使命を理解したようだった。それぞれが持ち場につき、思いつく限りの方法で調査するだろう。
(さあて、私もご先祖様の記録を覗くとしよう)
彼はインスタントコーヒーの苦みに耐えながら、仮想キーボードを叩き始めた。
▶ ▶ ▶
1200年前、初代太陽系が破壊されたとき、人類はバッファローに対して完全に無知で無防備だった。そこから200年の時を経て、ヘリオス社主導で人工太陽が完成し、各惑星開発企業らの尽力によって人工惑星も次々と生み出された。この時、散らばった人類がそのまま最初の宇宙移民となる。第二西暦300年、そこまでが第二太陽系が刻めた時間である。
今から700年前、第二西暦300年にギャラクシー・バッファローが再び太陽系に接近した。おそらく、その間の接近については、文明光の未発達によって発見されなかったのだろう。今度の人類は、持ちうる限りのすべての軍事力でもってバッファローに対抗することを選んだ。主導者は時の国連議会長サナベ・サンズィ……アイガワ・サンズィの祖先であったが、やはり影から支援していたのはヘリオス社であった。
惑星間ミサイル、熱を奪う宇宙微生物、人工太陽をエネルギー源とする超巨大レーザー砲……この第三太陽系では閲覧禁止となった様々な兵器が投入され、ギャラクシー・バッファローへと向けられた。当然のことながら、ギャラクシー・バッファローに打撃を与えられた兵器は一つとしてなく、抵抗虚しく第二太陽系の人類もまた滅びの道を辿った。その後、サナベは無能な戦争指揮者だったとして、第一級戦争犯罪人と指定され、現在の国連の地位を低下させる要因となった。
その後600年前……第三西暦100年の時点で、第三太陽系はほぼ現在の形まで開発されていた。へリオス社が蓄積したノウハウによって、第二時代よりも倍の時間で太陽系一つを再現できたのだ。同時に、人類はバッファローへの対抗策を考え続けることができた。戦争とは別の、戦いを回避する方向の試案が。
国連議会長の座についたのは、なにもサンズィの一族ばかりではなかった。100年の間に様々な人間が担当し、当時の技術で可能な限り、様々な回避策を考案し、一部は実現に向けて企業への開発命令などが下されていたようだ。そして第三西暦124年、議長は奇しくもサンズィの先祖、ムレタ・サンズィの時代に、再びギャラクシー・バッファローが太陽系を来訪した。
ムレタの元には、複数の選択肢があった。各企業との協議の末で、実行されたのは人工太陽停止プランであった。これにより太陽への直接攻撃の進路を免れ、バッファローは人工冥王星と人工海王星を滅ぼしたのみで太陽系を去っていった。この責任でムレタは議会長の座を追われることとなったが、結果的にこの時の施策がベースとなり、文明仮死シークエンスとして成立することになったのだった。
(ここだ。ムレタの中にあった選択肢、その中に糸口があるはずだ)
サンズィは、己のルーツを辿ることで、バッファローへの対抗策を探ろうとしていた。ここまでに要した時間は30秒。最先端の端末性能もさることながら、サンズィ自身の集中力のなせる技であった。
▶ ▶ ▶
「議会長! 気になるプランを見つけました。国連と企業間のやり取りを中心に遡っておりましたが、その中に一つ、実現可能そうなプランがありました。今から700年前の――」
「ムレタ・プランか。ちょうど私も同じ資料に当たっていた」
オペレーターの一人が声をあげたのは、サンズィが選択肢の中身を精査し終わった後とほぼ同時だった。
「彼が考え付いた――あるいは先人が残したプランの中で、実行された人工太陽停止プランに唯一肉薄するプランがあった。ムレタは議会長を退いた後、私財を投じてサターン社とやり取りを重ね、土星リングにその機能を埋め込もうとしていた……そうだな?」
「その通りです。続けて言えば、土星リングはここ600年の間に何度も改修工事が行われていますが、仕様書を見る限り、現在でもムレタ仕様は残っているようです」
「よし」
現在の土星リングの仕様……そこまではサンズィの手が回っていない情報であった。オペレーターは実際有能だった。めぼしい情報にあたらなかった他の職員たちも、各々が思いつく手段から何かしらの手がかりまでたどり着いていたことだろう。だが、今現在取りうる中で、これが一番最速で、有力な情報だとサンズィは直感した。
最初に迷惑を仕掛けていたサターン社の土星リングに、まさか頼ることになろうとは。運命の皮肉を感じながらも、サンズィは決断を下した。
「サターン社へと連絡を取れ」
▶ ▶ ▶
「エ? バッファロー接近情報は誤報だったんじゃないんですか?」
カメラ通話に出たのは、サターン社内においてはさほど地位のない現場監督者だった。曰く、社の有力者は皆臨時の休暇に出払っているのだという。
「あの……アーク・スエルテの搭乗者リストに、サターン社上級役員の名前が」
「なるほどな」
オペレーターからの耳打ちに、サンズィは得心した。サターン社もまた、第三太陽系を見捨てた側だったのだ。現場には何も知らない作業員を残して……いま、彼らを糾弾する余裕はやはりなかった。
「今から情報を共有する。バッファロー危機はもはや避けられない状況下にある。速やかに対策を建てたい」
オペレーターに指示し、バッファローのリアルタイム接近情報がサターン社の現場に共有された。遺伝子に刻まれたバッファローへの恐怖によって、あちらの現場からは悲鳴のオーケストラが鳴り響いたが、その様子を見て、サターン社現場監督は襟を正した。
「文明仮死シークエンスは失敗したんですね。今から取りうる手段がある、だから弊社に連絡をよこした、そういう理解でいいですか?」
「そうだ。かつて、ムレタ・プランと呼ばれたバッファロー回避策があり、土星リングにそれが眠っていると聞いた。今も使えるか?」
「ムレタ・プラン……!」
その名を聞いて、サターン社の現場内はざわついた。なるほど、向こうではそれなりに知名度のあるプランだったのか。そうサンズィは感じた。
「ムレタ・プランは今でも可能です。概要はご存じですか?」
「いや、貴社の土星リングに備わっているというのみで、概要までは知らないのだ」
「時間がありませんね……簡単に図示します」
現場監督は拡張現実ボード上に手書きで説明を書き始めた。最初に描いたのは大雑把な星環図である。中心に太陽があり、幾つかの星を省いた星の位置が記された。次に、太陽系から迫りくるバッファローの大群が三角で描かれる。
「土星リングが巨大なホログラムプロジェクション装置であることは流石にご存じだと思います。内部的には、大量の装置が細かく円状に配置されていることで、土星周囲自在な方向にホログラムを投射することができます」
彼は、説明をしながら土星の周りに円を描いた。
「バッファローの侵入経路に対し、片方向にだけホロ投影をします。ギャラクシー・バッファローは光に反応するため、理論上群れの進行方向を捻じ曲げることができます。群れの進行に追従するように、ホロ投影する位置を少しずつ曲げていきます。曲げて、曲げて……そうやって、人工太陽から逸れる方向まで彼らを誘導します。結果、太陽系の一部は損壊するでしょうが、太陽系全体を守ることができます。これがムレタ・プランです」
「言われてみれば単純な方法だ。だが、やってみる価値はあるな」
サンズィは頷いた。
「バッファローの情報はリアルタイムで貴社に連携する。可能な限りバックアップも行う。他に懸念事項は?」
「急停止したばかりなので、機器の調子が万全ではないかもしれません。が、こればかりはやってみるしかないですな」
サターン社の士気は、最早国連内のそれと大差はなかった。
「よろしい。本時刻を以って、本作戦をムレタ・シークエンスと名付ける」
サンズィの言葉に、全員が頷いた。
「――よろしい。早速決行だ!」
第三太陽系の存亡をかけたシークエンスが始まった。丁度、三分を切ったところであった。
【後編に続く】
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