ムレタ・シークエンス

IS

ムレタ・シークエンス 前編


 第三太陽系にはあと三分以内にやらなければならないことがあった。人工太陽の停止、人工土星リングの停止、第三人口地球惑星への電力供給一時停止……これらすべて、三分以内に行う必要があった。なぜか? やらなければ、太陽系が滅亡するからであった。


 ギャラクシー・バッファローの脅威について、この宙に知らぬ者はいないだろう。それは、最初と二つ目の太陽系を滅ぼした恐るべき宇宙怪獣の群れである。奴らは文明の光を許さない。宇宙のどこかで知性が文明を築けば、ギャラクシー・バッファローの群れは悉くを蹂躙し、すべてを破壊していく。かつて、どこかの宇宙学者が問うた。「なぜ宇宙人は地球に来ないのか?」と。今なら応えられる。バッファローがみな殺したのだと。


 そして今、三つ目にできた太陽系銀河に対し、奴らの群れが迫っていた。タイムリミットは約三分間。その間に文明の光を消さなければ、接近中のバッファローの群れに文明を感知されてしまうだろう。そうなる前に、文明仮死シークエンスをすべて達成しなければならない。ならないのだが――




 ▶ ▶ ▶




「馬鹿な。サターン社の承認が下りないだと?」


 制服を着た、眼鏡の男が声を荒げた。胸元のプレートにはアイガワ・サンズィ……彼の名前が刻まれている。サンズィは第三国連議会長の地位にある。それは本来、第三太陽系における最大権力者であることを意味していたが、実際に彼が行使できる権限は、肩書よりもずっと小さいものであった。


「サターン社曰く、土星リングの停止によって生じる損害想定額が事前の想定よりも大きく、改めて損害請求を要求したいと……」


「あんなリングに何の価値があるというのだ!」


 サンズィの怒りは、土星リング以上にサターン社の態度に向けられていた。ギャラクシー・バッファローの進路情報については、なにも一日や二日前に突然判明した話ではない。接近情報が分かってから速やかに交渉し、何ヶ月も前からリング停止の話は済んだ筈だったのだ。ところが、社は突然態度を変え、過剰な要求を行ってきた。それも、拒否検討が難しいこのタイミングで。


「……サターン社に応答しろ。更新された損害額を支払うと」


「はっ!」


(惑星系消滅の危機に金を要求してどうなる……? バッファローが来ればすべて無駄になるんだぞ)


 わなわなと震える拳を、なんとか机に振り下ろすことを堪え、サンズィはリラクゼーションチェアに座り直した。怒りを吐露したところで、議会職員たちの士気を下げるだけだ。こんな事態でも、職員たちは懸命に働いてくれている。皆、第二太陽系時代の国連に殉じた者たちの子孫だ。祖先たちがギャラクシー・バッファローに立ち向かったことに対し、彼らは誇りと負い目を同時に背負っている。誰かが率いなければ、彼らの思いはどうなるというのか。


「サターン社から承認の連絡と、土星リング停止の連絡が届きました。間もなく、モニタでも確認できるかと」


「ありがとう」


 サターン社の対応は、サンズィが思っていた以上には長引かなかった。流石に引き際は弁えているのだろう。最大のアクシデントが片付いたことで、彼は安堵した。これで祖父の時と同じように、バッファロー危機を免れることができる。


 ギャラクシー・バッファローは百年に一度、太陽系に急接近する。そのタイミングで、初代太陽系のように彼らを無視したり、第二太陽系のように彼らに戦闘を挑んだりすれば……結果は悲惨だ。滅びることになる。そこで人類が思いついた手は、太陽系を文明的仮死状態にすることだった。サンズィの祖父は、その方法で人類を守り抜いた。祖父の祖父もまた、同じ方法を行った。文明の光を消す。それはサンズィが代々受け継いできた人類生存戦略だった。


「文明仮死シークエンスの進捗はどうなっている?」


「残り6%です」


 シーケンスはすべて完了しなければならない。僅かな綻びが、バッファローに嗅ぎ付けられる要因になりうる。残り時間1分半を切った現在、あらゆる手を使わざるを得ない状況にあった。


「人工地球の企業連盟が反発しており、電力停止に難航しているようです。主にノヴァリス社、ユートピア・エンジニアリング、リビングテック……それにKADOKAWAまで……」


「構わん、電力停止を強行しろ。数か月前から通知はしているのだ」


「承知しました。強制コマンドを実行します」


 地球……初代太陽系時代では唯一の人類生存圏だったが、千年以上も前の話だ。第二太陽系が築かれて以降は太陽系全域に人々は広がり、それは第三太陽系現在も変わらない。ここ、第三国連も人工水星内に存在する。むしろ現在では、地球は大手企業の工場に覆われており、生存圏としての役割は完全に放棄していた。本来、この日地球からは一切の工場作業員が退去している予定であった。それを一方的に破り、労働させているのは企業側だ。そのように働かされている者たちの命まで、いちいち国連側で預かるわけにはいかない。


「地球への電気供給、完全に停止しました。シークエンス、間もなく完了です」


「……よくやってくれた」


 サンドゥは椅子に深く腰掛けた。先祖のように、自分も世界を守り抜くことができた。当然、その代償は安くない。国連のただでさえ少ない予算は各企業への賠償で削られ、更に地球にとった強硬手段の責任を追及されるだろう。罪に問われるかもしれない。それでも、責任を被るのは自分一人だ。彼の息子が、国連の皆が、その後の第三太陽系を継いでくれる。彼は、心の底から安堵した。


 会議室中央に浮かぶホログラムモニタには、太陽系内の各惑星の状況と、ギャラクシー・バッファロー接近までの時間が表示されている。サンドゥは横目で残り時間を見た。20秒、19秒、18秒……あとわずかでバッファローどもが太陽系を横切る。彼らが過ぎ去ったその後は、ゆっくりと太陽系を生き返らせてやればいい。地球への電力供給を再開し、土星のバカでかいリングが点灯し、そして人工太陽が目をさませば、それで元通りになる。完璧だ。




「……っ!? サンドゥ議長!」


 オペレーターの一人が声をあげる。彼は普段表情を出さないタイプの筈だ。訝しみ、サンドゥは立ち上がった。だが、オペレーターに声をかける前に、サンドゥも異変に気付いた。その微妙な違和は、モニタ上の星環図の、まさに中央に表示されていた。


「人工太陽内の水素核爆発が、再開し始めている……?」


 停止された人工太陽が、蘇ろうとしている。タイミングが早すぎる。想定外の事態だ。


「ログでもなんでもいい。原因を調べろ。どこから起動指示が飛ばされたか分かるか?」


「特定できました…………へリオス・ソルフロントです」


「……馬鹿な」


 ヘリオス・ソルフロント。それは第二・第三の人工太陽を製造し、人類宇宙進出後で最も影響力を持つ巨大企業である。当然、今回の文明仮死シークエンスにおいても影響力は強い。彼らは真っ先に太陽を一時停止し、その必要性を諸惑星企業に向けて訴え続けてきた。今回も、人工太陽の停止において、特に問題はなかったはずだ。


「クッソ……! あいつら、第三太陽系の外から命令を発信していました! IPから割り出せましたよ。起動命令はアーク・スエルテから発信されています。自分たちは安全なところに逃れて、残った人類を見殺しにするつもりだ!」


「アーク……アーク・スエルテだと? 出航したという情報はなかったはずだ。真偽の確認を……」


 幸運の箱舟、アーク・スエルテは初代太陽系時代に製造された人類史上初の巨大宇宙母艦だ。脱出艇として多くの人々を救い、その後第二太陽系の終焉においても、サンドゥたちの祖先を乗せて、最低限の人員を退避させてきた。まさに、人類に残された最後の希望である。それが今、秘密裡に出航しているというのか。


「いや、時間がない。先に人工太陽を停止しろ。緊急停止権限が我々にはあるはずだ」


「既に停止は実行しています! でもダメだ。停止まで数十秒かかります。残り時間は……あぁっ!」


 職員たちは次々に悲鳴をあげた。残り時間は、とっくに0になっていた。人工太陽は今、停止前の最後の輝きとばかりに、文明の光を燦燦と輝かせている。ならば当然、ギャラクシー・バッファローの群れは。


「……バッファロー、通り過ぎていません! 太陽系に向かって、なおも接近中!」


 絶叫に近い報告が会議室内に響く。ギャラクシー・バッファローは惑星重力如きの影響は受けない。真っすぐに太陽系を通過し、その間にあるすべてを破壊し、突き進んでいくだろう。その頃には残骸と化すであろう、第三太陽系を背にしながら。

 

 宇宙怪獣が迫りくる。人類の危機が迫りくる。かつて初代と第二惑星を滅ぼした脅威が、今また太陽系に迫りくる。


 あと三分以内に手を打たなければ、今度こそ太陽系は滅亡する。




【中編に続く】


 



 

 

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