ならば、そう!「さよなら」だ

ふぃふてぃ

第1話 さよなら

 如月きさらぎには三分以内にやらなければならないことがあった。


 それは説得だ。


 10階建の病院の屋上を春の陽光が優しく包む。階下には野次馬が集まり、あと数分でこの場まで押し寄せることだろう。

 気持ち悪いほどの穏やかな暖気。春風でゆっくりと翻る旗を横目に、ヘリポートのHの文字を通り過ぎてから、初めて声をかける。


「君はまだ若い。これから先、辛いことだけじゃない。嬉しいこと、素敵な出会いもあるだろう」


 せめて風が激しく、のたうちまわるようにして我が身を懸命に支えながら、生の素晴らしいさを解いていたのなら、まだ勝算はあったというもの。この「穏やか」「嫋やか」なる春の陽気では、なんとも格好がつかず、滑らかに動く白衣のはためきが実に滑稽であると感じていた。


 少女が振り返り微笑むのが見えた。


「せーん、せい!あと三分ね。それ以上は待てないわ」


 如月は思考を巡らす。残り三分。ならば二分は徹底的に聞き役に回ることが大切だ。それは、簡単なようで実際は非常に難しい。自殺を思いとどまらせるような何か一言を言ってあげたいという気持ちが強まってくるのが人の感情だが、そんな時でも一生懸命に理解するように努める姿勢が戦況を大きく左右する。


 目の前の少女は幼いながらもキレのある目つき。それは睨むとは異なる、憂いにもにた表情にも見えた。


「私は生きたいの。このまま死んでいるのはイヤ!朝起きて、ご飯を食べて、勉強して。1日の垢を洗い落として、排泄の果てに眠る。想像をできるでしょ。それは、地獄よー」


「それが幸せと……そういう人は多いと思うけどな。先生は」


 人の一生は儚い。だからこそ、何気ない毎日の中に幸せはある。ただ、それを解きほぐすには今は時間が無さすぎる。


「じゃあ、話を変えるわ。親は学校に行きなさいと言う。いい大学に入り、良い職場に入り、老後の資金のため働き、苦労の少ない人生を送りなさいと口を揃えて言うわ」


 如月は聞き手に専念していた。


「じゃあ先生。もう少し、分かりやすく話しをしましょう。人間の悩み事は、お金と人間関係と健康と言われている……これだけ答えさせて、まだ何か必要?」


 少女の訴えに適切な解があるのだろうか?しかし、口を開かない訳もいかない。


「確かに未来ばかりを見据えて今を見ない教育方針は納得のいくものでは無いと思う。そして、悩みが尽きないのが人間なのかもしれない。でも未来は変えていけるし、悩みだって向き合えば解決できるかもしれない。だから死んではいけない。死んだらそこで終わってしまう。何も成し遂げられ無いままだ」


 如月の返答に、少女は少し困惑の表情をみせた。


「分かっているのか、いないのか。まだマニュアル的というか。そうね、なら私を抱きしめて」


 長身の如月に小柄な少女が体を埋めた。その無垢な体躯は柔らかく温かい。抱きしめて感じる露出した肌のきめ細やかな感触が、自らの手を伝わって脳内を刺激した。


 年齢差30を超越した抱擁。そして、彼女は囁いた。


「あなたは何も知らない。第3の脳味噌を駆使しても、それすら人の創造物に過ぎない。さらなる幸せと皺寄せに多大なる尽力を持って償う。それが意味のある生なのよ」


 少女はクススと笑みをこぼす。イタズラに笑う。最初から全て知ってしまっていたかのような物言い。そして、見越していたかのように如月の不意を付き交わる体を解き放つ。


 そして、少女は大空へと走り出す。


 それは躊躇なく。なくなくといった訳でもなく。「そろそろ、時間のようね。ジャ」と脚をするりと滑らせながらの滑落。


 如月は寸前のところで我にかえり手を伸ばす。なんとか捉えた少女のか細い腕を引き上げようと必死になっている自分を感じた。


「死を目の前にして必死とはこれ如何に?愛眼の目?何を戸惑うの?あなたは気づいているのでしょう。そんでもって、怖気付いてるのでしょう」


 全てが分かってしまったとは言えど、それを口に出しては最後。如月は少女の言葉を待った。待つことしか出来なかった。


 そして、その刹那たること「しょうがないわね」の一言から綴られる真実と確証。


「私は内臓逆位。あなたと同じのRHマイナスのO型」


 そこまで言わせておいてなんだが、そこまで言われてしまうと、自分という存在が如何にちっぽけで縋ることしか出来ない恐れが湧き上がった。


 そして「あなたの望みは…」という追従に、脳汁が溢れた。



 ………いきたい、です。


「うん、じゃあ。サヨナラだ」

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