第4話 悪夢のモンスター

 皆美みなみ 幸太郎こうたろうには三分以内にやらなければならないことがあった。


 1つ。扇風機を切り忘れた。かなり体に当たっている。一晩当たり続けると、死ぬって話を彼は思い出していた。


 2つ。体が冷えて、トイレが近い。もう膀胱が限界だった。牛乳を寝る前に飲み過ぎたのも効いている。後ろもヤバイ。



 そして果たさなければならないのが、3つ目。



(これは、夢だ)



 彼の住むアパート周辺が、燃えている。


 地球が爆発しても無事だった……ご近所さんたちが、倒れている。


 血を流し、あるいは燃え尽きて。



 確かにこれは、ただの夢だった。


 幸太郎が眠りにつき、見ている夢に過ぎない。


 だが彼はこんな悪夢に――――3分も耐えられないのだ。




 彼は一刻も早く、眠りから覚めねばならなかった。




 ふらふらと幸太郎は、階段を降りる。


 つまづき、転がり、地上に落ちた。


 血が出て、痛むのも構わず……その亡骸に歩み寄る。



「大家さん、あおいさん、起きてくださいよう……」



 初老の女性は頭がなく、妙齢の女性は黒焦げだった。


 一階隅に住んでいるアパートの大家と、隣の202号室に住む学生さんだった。



杏子きょうこちゃん、じょうさん、ねぇったら」



 小学生くらいの女の子は、胸から下がない。


 彼女を抱える青年は、腹に大穴が開いていた。


 二人は幸太郎の下の部屋に住んでいる兄妹で、とても仲がよかった。



『ギャオオオオオオオオオオオオ!!』



 遠く街中から、咆哮がした。


 それは、巨大な獣。


 しかし怪獣というよりは――――



(ドラ、ゴン)



 空で翼をはためかせ、天に向かって炎を吐きつける、竜だった。


 幸太郎は虚ろな瞳で、じっとその様を見る。


 遠い……レンガ造りの街の上を飛び続ける、竜を見る。



(おまえが、やったのか?)



 瞳の奥に、光が灯る。



(おまえが! やったんだな!)



 暗い光が、灯る。



 彼は足を引きずりながら、歩き出す。


 ズボンのポケットに手を入れたが……ペンライトは、なかった。



 なぜならこれは、ただの夢。


 絶望を見せる、悪夢。


 救いは……どこにも、ないのだ。



「…………舐めるなよ」



 だが、そこにいるのは。


 絶望を希望に変える――――光の戦士。



「いくぞ!」



 幸太郎は右手を掲げ、左手を手刀の形にして、その手首に添えた。


 勢いよく左手を引くと……右手首から先が落ち、血が噴き出す。



 血霧が、体を作る。


 紅の巨人が、悪夢の中に、立った。


 彼は両腕を水平に広げると。肘を曲げ、両手を内側に向けた。



 胸の大きな光輪の模様が、輝く。




『ジュア!』




 太い熱線が、空を撫でる。


 それは竜を、巻き込んだ。



 光が通り過ぎた後も、竜は健在だった。


 しかしその巨体はよろめき、地上に落ちた。



『エヤアアアア!』



 巨人は、高く跳び上がる。


 高空に至ると、縦に回りつつ――――空を蹴った。



『ハッ!』



 起き上がったドラゴンの頬に、巨人の蹴りが刺さる。


 地に降りた幸太郎は、よろめく竜に殴り掛かった。



『エヤ! セイ!』



 だがドラゴンは巨人よりずっと重く、拳の衝撃は鱗を通らなかった。


 二足で立つ竜の、前足が振るわれる。


 鋭い爪が、巨人を袈裟懸けに薙いだ。



 幸太郎の体から、血が飛び散る。


 そして即座に傷がふさがり、血液はもう一本の……巨大な腕となった。



『ヘヤ!』



 血の腕が、竜を殴り飛ばす。


 腕は消えたが、ドラゴンはよろめき、下がった。


 巨人はまた近づき、殴り掛かる。



 殴り、蹴り、時に投げ。


 爪で切り裂かれ、牙で嚙みつかれ、尻尾で薙ぎ払われ。


 戦いの決着は―――― 一向に、つかない。



 幸太郎は、光輪も、光線も使わなかった。

     ――――ただひたすらに、殴り蹴る。


 竜もまた、炎も、怪しげな術も使わなかった。

     ――――ただじゃれつくように、爪と牙を振るい続ける。




 それは、人知を超えた……語り合い、だった。




(なんで、君は!)



 殴り掛かる。その瞳を見据えて。



(そんなに! 楽しそうなんだ!)



 切り裂かれる。じっと見つめられている。



(どうして! 君は!)



 血の腕で殴り飛ばす。竜が明らかに……にやりと笑った。



(こんな! ところに!)



 その口腔が開き、幸太郎の肩を噛んだ。


 痛みが走り、傷がつき、血が飛び散る。


 だがそれは、甘噛みのようで――――



「一人でいるんだ!!!!」



 幸太郎は、振るわれる爪を……竜の手を、握り締めて。


 その血を、燃え上がらせた。




 ――――誰かの悪夢が、燃え尽き……終わる。





 夢が潰える瞬間。






 彼はその手を。







 離さなかった。










 ――――180秒経過。残り時間、0秒。









 皆美みなみ 幸太郎こうたろうには三分以内にやらなければならないことが、たった一つだけあった。


 その超常の力をふるい、即座に悪夢から目を覚ますことだった。


 どこから来たのかもわからない竜と、向き合うことでは……決して、なかったのだ。



 セミの鳴き声が、聴こえる。


 扇風機の羽が回る音が、聞こえる。


 だが彼の体には、風が当たらない。何かが間を、遮っていた。



 柔らかいものが……幸太郎の口から、離れる。


 ぼやけた視界が、徐々に焦点を結ぶ。



 赤い炎のような、髪――――あの鱗の色を、思わせる。


 瞳孔が細く縦に入った、瞳――――何度も見つめ合った、黄金の光。



 硬く逞しかった巨体は、女性らしい柔らかさがあり。


 一糸まとわぬその姿に、幸太郎はぼんやりと……幻想のような、美しさを感じていた。



「きみ、は」



 一晩風に晒され、乾いた唇が、なんとか言葉を紡ぐ。



「メテオ」



 少女の形をした巨竜が。


 彼が、現実に持ち帰ってしまった悪夢が。


 笑った。



「メテオストライク」





 彼女のことを、何も知らない幸太郎が――――凄絶な鉄火場に叩きこまれるまで。


 あと、一日。

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