第4話 言葉探し
私が松井さんと向かった部屋は恐らく応接間であろう部屋だった。
背の低いテーブルには水が入ったコップが3つ置かれている。
その内1つの先にあるソファには1人の女性が座っていた。
顔立ちを見る限り年齢は私とあまり変わらない様な感じがする。
もっともその首から下はちゃんと仕立てたパンツスタイルのスーツを身に着けているので、もしかしたら私より年上かもしれない。
その女性は私が入ってくるなり立ち上がり頭を下げてきた。
これは私への畏敬とかではなく、一般的な挨拶としての礼かな。
自分が一般教養を身につけているか不安になったが、とりあえず返礼として私も「はじめまして」と女性に声をかけながら頭を下げた。
「株式会社 回天堂と言います。」
女性はそう言いながら一枚のカードを差し出してきた。
これが名刺と言うものだろうか。
私はそれを両手で受け取るとカードを見た。
そこには「古物商 回天堂」と書かれており、右端には所在地と連絡先が書かれていたが、本人の名前が記載されていなかった。
「弊社は案件ごとに個別の担当をつけるのではなく、社全体で対応しておりますので、名刺に名前を記載していないんですよ。」
私が不思議そうにカードを眺めていると、女性が語りかけてきた。
とは言え、そのあたりについての知識はまるでない私にとっては、そういうものかと納得するしか無かったが、相手呼ぶ時に困るなと考えていた。
回天堂の社員はこの人しか知らないので、とりあえず『回天堂さん』と呼ぶことにしよう。
「早速ですが今回のご依頼の件についてお話させてください。」
回天堂さんが話を進める。
それに対して松井さんが「よろしくお願いします」と答えた。
それを合図に回天堂さんがカバンから資料を取り出し、そのうち2部を私と松井さんへ手渡してきた。
その内容を確認しようと資料に顔を向けた時、回天堂さんが説明を始めた。
「今回のご依頼は神戸亜咲花さんの記憶に関する品物、ないし事象についての調査との事でよろしいですね?」
回天堂さんの説明によれば、松井さんたちが所属するこの施設の名前は「先史研究博物館」と言うらしい。
私は何らかの理由(この辺りは資料や説明からは省かれていた)により、記憶を失っており正確な身元が分からない状態だったという。
今後の研究では私やその周囲の人間の協力が必要なのでこれらの対応を円滑に進めるため、私の身元を明らかにしたいとの事だった。
そこで博物館としては失せ物探しもできる取引先である古物商 回天堂へ依頼した事で回天堂さんが派遣されてきたと。
これで私も事態をなんとなく把握できたと思う。
「早速ですが調査するにあたって神戸さんに確認させて頂きたいことがあります。」
回天堂さんが改めて私に顔を向けて話し始める。
どこか人懐っこい雰囲気を持つこの人は、多分真剣にこの調査をしてくれるのだろう。
私はどこかにそんな確信を感じており、全てを任せてみようと考えていた。
「まずお聞きしたいのは、名前とここでの事以外に思い出せることが無いと言うことでいい?」
先程までより少し柔らかく砕けた感じで質問がなげかけられた。
「はい。」私は素直に答える。
「では、……そうねぇ。今あなたが住んでいる部屋について率直な感想を聞かせて?」
「え、ええと。そうね。用意してもらっている本は古いけど私が好きな感じのものばかりだし、ベッドも広いから特別嫌な感じは無いかな。」
私は改めて自分の生活している部屋を思い返しながら答える。
「なるほどね……。ならその本の中で気に入ったタイトルを教えてくれる?」
回天堂さんが更に質問を続ける。
私は幾つかの本のタイトルを伝える。
その瞬間、心なしか彼女の表情が険しくなったような気がする。
ふと松井さんを見ると何か心配事があるかのようだった。
松井さんがそんな顔をするのは珍しい。
その表情を見ているだけで私は不安にかられる気分だった。
その後、回天堂さんは幾つか質問をしてきた。
例えば本を読むのにかかる時間や、最近の流行りごとなど。
ただ時間については時計がないから分からないし、世間の流行も別段興味は無かったので、その事を伝える。
回天堂さんは回答を聞きつつ端末に何かを入力しているようだったが、端末の画面は私から影になる位置だったため内容までは確認できない。
これらを調べることで何が分かるのか少し不安になり、私はなにか思い出せないか必死に考えていた。
その時だった。
私の脳裏に何かが浮かんだ。
それは牛の群れ。
広い砂浜を牛の群れがゆっくりと歩く光景。
どこか懐かしい光景だった。
私は思い出した事を回天堂さんに素直に伝える。
それを聞いて彼女は笑顔でうなずいてくれた。
そして聞き取りは終了した事を告げ、回天堂さんは立ち上がった。
松井さんもそれに合わせるように立つと回天堂さんを案内しながら部屋を出ていった。
1人残された私は今更ながら部屋に窓が有ることに気がついた。
窓の外には牛の群れが見えていた。
「あ、水牛だ……。」
私は思わず呟いていた。
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