ある王国の崩壊

於田縫紀

ある王国の崩壊

 メロスには三分以内にやらなければならないことがあった。


 必ず、かの邪智暴虐の王を除かなければならぬ※


 今はそう決意してから三日目の夕方。既に夕日は地平線に下端を接し、暮れかかる空の東には宵闇が迫っている。

 約束の日没まであと三分程度。王城まではまだ半里2kmの道のり。普通に考えて間に合う距離ではない。


 メロスの右手には棍棒が握られている。つい先程メロスの前進を阻む山賊から奪い取ったものだ。


 メロスは単純な男でかつ激情家だ。そして腕っ節も強かった。だから目の前に山賊が立ち塞がった時、こう判断してしまったのだ。


「さては、王の命令で、ここで私を待ち伏せしていたのだな。」

 山賊たちは、ものも言わず一斉に棍棒を振り挙げた。メロスはひょいと、からだを折り曲げ、飛鳥の如く身近かの一人に襲いかかり、その棍棒を奪い取って、

「気の毒だが正義のためだ!」と猛然一撃※


 その後山賊がどうなったか気にしていない。正義の前には仕方ないのだ。棍棒が血まみれだろうが知った事では無い。


 メロスは走る。普通に走ったのではもはや間に合わない。


 路行く人を押しのけ、跳はねとばし、メロスは黒い風のように走った。野原で酒宴の、その宴席のまっただ中を駈け抜け、酒宴の人たちを仰天させ、犬を蹴けとばし、小川を飛び越え、少しずつ沈んでゆく太陽の、十倍も早く走った。※


 一団の旅人と颯さっとすれちがった瞬間、不吉な会話を小耳にはさんだ。「いまごろは、あの男も、磔にかかっているよ」※


 まずい。このままでは正義が為されない。

 メロスは更に容赦なく走る。向かうべきは王城ではなく刑場。間に合わせるために最短距離を征く。邪魔する門や塀は棍棒でぶち壊す。家々も同じく。立ち塞がる者も同じく。


 ああ、神々も照覧あれ! 濁流にも負けぬ愛と誠の偉大な力を、いまこそ発揮して見せる。※


 街を一直線に破壊しながらメロスは突き進む。後方でどんな大惨事になっているのかを一切振り返る事なく。


 刑場の壁が見えた。勿論メロスは棍棒でぶち壊す。開いた穴にメロスは飛び込んだ。

 真っ先に見えたのはまさに磔の柱に繋がれているセリヌンティウス!


「待て。その人を殺してはならぬ。メロスが帰って来た。約束のとおり、いま、帰って来た。」と大声で刑場の群衆にむかって叫んだつもりであったが、喉のどがつぶれて嗄しわがれた声が幽かすかに出たばかり、群衆は、ひとりとして彼の到着に気がつかない。すでに磔の柱が高々と立てられ、縄を打たれたセリヌンティウスは、徐々に釣り上げられてゆく。※


 駄目だ、間に合わない。ならば正義の為だ、仕方ない。

 メロスは全速で走りつつ棍棒を全力で振り下ろす。振り下ろされた棍棒の先端が音速を超えて衝撃波が放たれた。あまりの衝撃に刑場の群衆と刑吏が倒れ伏す。


 しかしまだ届かない。刑場を見下ろす席にて指揮をとっているかの邪智暴虐の王ディオニスには。


「呆れた王だ。生かして置けぬ。」※


 メロスは棍棒を再度振り上げ、そして全力で投擲した。


 一瞬だった。王や側近二名がいた席は轟音とともに消失。かすかに残るは鉄臭漂うの赤い霧のみ。

 もはやメロスを阻む者は何処にもいない。


 メロスは磔の柱に近づく。

「セリヌンティウスよ、私は帰ってきた」

 返事はない。よく見ると首から上も無い。先程の衝撃波か、今投げた棍棒が放った衝撃波のせいか。

 

 もはや周囲で立っているのはメロスのみ。あとは倒れ伏した人々と鉄臭漂う赤い霧。


「何故だ! 何故なんだ!」


 あまりの事にメロスは激怒した。そうして理性を失った。


(END) 

 

【注記】

後ろに※のついている段落は以下からの引用です

走れメロス 太宰治著 青空文庫 https://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/1567_14913.html

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