第3話 (ななじゅう)さんしゅうめ

 再び教室に戻ってきた俺は、すぐさま立ち上がり走り出した。向かう場所に迷いはない。前回は下った階段を駆け上がり、屋上へと続くドアのノブに手をかけて。


「和葉っ!」


 叫びながら開け放った。


 って、…………あれ? 


 目の前に広がる光景に絶句した。正面にも、右にも左にも和葉どころか誰もいない。


 ここにいるんじゃないのか?


 くそっ! あの女神に騙された!


 そう思った時、向かいの校舎の屋上に人影があるのに気付いた。俺に背を向けるように柵にもたれかかって、ぼんやりと空でも眺めているように見える。


 こちらから確認できるのは後ろ姿だけだが、顔なんて見えなくても立ち姿でわかる。いったいどれだけ見てきたと思ってるんだ。


 和葉に間違いない。


 ちくしょう! 向こうの校舎かよ!

 どうする? また走って向こうに行くか?

 いや、それだとどれだけ急いだところで少なくとも一分はかかる。そこから想いを伝えたところで返事を聞く前に時間切れになってしまう。


 更にもう一回死ぬのなんてごめんこうむりたい。


 死への恐怖は、俺に勇気を与えてくれた。振られたところで死ぬことはない。俺しだいでは、元の関係のままいることだってできるはず。


 ならいっそ──。


「和葉ぁっ!!」


 俺はあらん限りの力で叫んだ。それなりに距離もあるし、風も出ている。これくらいしないと聞こえないだろう。


 どうにか声が届いたのか、和葉はゆっくりと振り返った。長い黒髪を風になびかせながら。


「……ひろくん?」


 和葉は昔と変わらない呼び方で俺の名前を口にした。声は聞こえなかったけど、口の動きでわかった。


 俺の名前は和弘。和葉からはずっと『ひろくん』と呼ばれている。『「かずくん」じゃ私と被るでしょ?』とは幼き日の和葉の言葉だ。俺も昔は「はーちゃん」と呼んでいたが、小学校卒業と同時に呼び方を変えていた。


 まぁ、今はそんなことどうでもいい。とにかく時間がない。残り時間は一分を切っている。


「和葉、聞いてくれ! 俺は、和葉のことが好きだ! だから、俺と付き合ってくれ!」


 想いの丈を短い言葉に込めて、思い切り叫んだ。


 和葉は俺の言葉に目を丸くして、俯いた。かと思ったら、柵を乗り越えてそのままこちらに向かって飛んだ。


「って、ちょっと、和葉! ここ屋上!!」


 彼我の距離は最低でも5メートルはあるだろう。とうてい届くはずがない。これは落ちた、俺がそう思ってしまったのも自然なことだろう。


 この距離では、俺にはどうすることもできない。落ちていく和葉を見るのが怖くなって、目を閉じた。


 だが、いくら待っても和葉が落下した音がしない。


 代わりに──。


 ふわっと俺の胸に何かが飛び込んでくる感触があった。恐る恐る目を開けると、俺の胸に顔を埋める和葉の姿が。


「もう、ひろくん遅いよ……。私、ずっと待ってたんだからね?」


「へ? え?」


 意味がわからなくて、混乱した。しかし和葉はそんな俺に構わず続ける。


「でもね、嬉しいよ。私もね、ひろくんが好きっ」


 そう言って、ぎゅっと抱きついてくる和葉。嬉しいやら、意味がわからないやらで頭が真っ白になっていく。


 そして、世界が停止した──。




 ◆side和弘◆



 ──こんぐらっちゅれ〜しょ〜ん!! ミッションくりあで〜す!


 あの気の抜ける間延びした、おまけにイラッとする声が頭に響いてきた。


『って、ここでも出てこれるのかよ?! しかもこのタイミングで!』


 ──女神ですから〜。


『女神すげぇなっ! 俺もう色々と意味分かんないんだけど?!』


 ──いや〜、青春ですね〜。リア充爆発しろって感じですね〜。


『話聞けよ! というか俺もうすでに1回爆発してんだわ!』


 ──1回じゃないですよ〜?


『……へ?』


 ──え〜っとですね〜、爆発したのは全部で29回です〜。ちなみに今は73周目ですよ〜。


『73……?! 待て待て、俺の認識だと3周目だぞ?!』


 ──それはですね〜、あなたの魂が壊れちゃいそうだったので、私が記憶を消したんですよ〜。


『そんなこともできるのかよ?!』


 なら死んだ記憶全部消して欲しいんだけど? 普通に夢に見そうだし。


 ──女神ですからね〜。


『女神ってのを便利に使うな! 本当になんでもありだな!』


 ──まぁ、それは置いておいて〜。全部記憶を消さなかったわけなんですけど〜、実は彼女、私の恩人なんですよね〜。だからもしあなたが彼女を泣かせるようなことがあったら〜……、ワカリマスヨネ?


 背中にゾクリとしたものを感じた。最後だけ間延びせずに、冷たく重い声で言われて。


 もちろん和葉のことは大事にする。今までもしてきたつもりだ。でもそれとこれとは……。


 ──うんうん、安心しました〜。これで私も肩の荷がおりるというものですよ〜。もう会うことはないでしょうから、和葉さんのことお願いしますね〜。でわでわ〜。


『おい、待てよ! そんな言いたいことだけ言って……』


 俺がそう言った時にはすでに女神とやらの気配は消えていた。代わり、ではないけれど俺の胸にスリスリと頬を擦りつける和葉がいた。


 う〜ん、なんかよくわからないけど……。和葉が可愛いから、いいか……?

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