再会の約束はなくとも、我ら待ち合わせたように

元とろろ

再会の約束はなくとも、我ら待ち合わせたように

 十歳の夏の日、僕には三分以内にやらなければならないことがあった。

 それをできないまま六十三年が過ぎた。

 他人の立場でそれだけ聞けば全くもって手遅れだと思うのかもしれない。

 僕自身が薄々そうではないかと感じている。

 それでも僕はこの六十三年間をその過去のために費やしてきたし、もしかしたら取り返しがつくのかもしれないという淡い未練を捨てきれずにいる。

 過去というのは友人のバンジロウと喧嘩別れしたことである。


 当時の記憶はほとんど抽象化され、今ではかつて住んでいた家の僕の部屋のカーテンの色も思い出せない。

 確かなのはバンジロウが引っ越す前日に僕たちは何かの口論をしたということ。

 そしてバンジロウは引っ越し当日に僕の家の前まで来たこと。

 そして僕が何と言いだせばいいか部屋の中で考えて、結局何も考えつかなかった三分の後に、バンジロウは彼の両親に呼ばれて帰らざるを得なかったということだ。


 さて、それからの六十三年間に僕が何をしていたかといえばタイムマシンの開発だ。

 説明するまでもないことかとは思うが、つまり時間を移動する機械のことだ。

 タイムマシン。

 これが完成すれば僕はあの日に戻ることができる。

 遥か昔からこの宇宙という時空連続体の中で全ての生物が囚われて来た「限られた時間の中で何かを成さねばならない」という軛から逃れることができる――。

 ――とはいかない。

 そう素直に喜ぶことはできない、いくつかの問題があるということは多くの人が理解していることだろう。


 第一に、ごく簡単なタイムパラドックスの問題だ。

 僕はあの日のことを覚えている。

 あの日の三分間の間に何もできなかったというのは今までの僕の行動の根本にある。

 であれば僕が過去に戻ったとしてもその根本部分は変わらないか、あるいは六十三年前から今まで存在してきた僕とは無関係のパラレルワールドが一つ増えるだけなのかもしれない。

 過去が変わる可能性が全くないわけではない。過去が変わっても僕の根本の行動原理が変わらなければ矛盾は生じないはずだ。つまり、時間旅行の後には僕の記憶が事実とは異なる妄想に過ぎなかったと気づくことになるのだ。

 それはあの日のことだけを思えばより良いものであるはずだが、僕の六十三年を思えば恐ろしくもある。


 もう一つ、具体的な問題として過去に行ったところで何をすればいいのかというのも疑問だ。

 過去のバンジロウも僕自身もこんな老人が僕だと信じられるだろうか。

 そもそも何を言えばいいのか。

 あの日の三分間に出せなかった答えは今でも用意できていない。

 喧嘩の理由さえ忘れてしまった。

 間に合わなかった言葉は永遠に生まれないままだ。


 だが少なくとも時間旅行に関する最大の問題だけは解決した。


 タイムマシンは完成したのだ。



 そしてタイムマシンを起動した。

 衝動的な行動であることは否定できない。

 しかし作っておいて使わないという選択はあり得ない。

 これをなかったことにすれば僕にとってあの日の三分間だけでなくその後の六十三年間さえ辛い記憶となるだろう。

 そんなことには耐えられそうになかった。


 さておき、僕がいる今こそがあの日のあの時のはずだ。

 心なしか空気が澄んでいるように感じる。

 そういう時代か。

 この頃はまだ夜になると星がよく見えたのを不意に思い出した。


 空を見上げる。近くの建物の二階の窓に草色のカーテンがかかっている。

 そうだ。あのカーテン。

 思い出した。

 家具屋で見かけて色が気に入り母にせがんだのだ。

 あそこが僕の部屋だ。

 ここが僕の家の前だ。

 ではバンジロウは。


 いた。

 日に焼けて、面長で、頬が膨らんだ顔。

 そうだ。そういう顔をしていた。

 朧気だった記憶が少しづつ蘇るような気がした。

 それでも喧嘩の理由はどうしても思い出せなかった。


 どうする。

 何と声をかける。

 声をかけてもいいのか。


 僕はそこで三分間、何もできずにに立ち尽くした。

 バンジロウは彼の両親からの電話を受けて、僕の母に挨拶をして帰っていった。

 十歳の僕は最後まで姿を見せなかった。


 何もできなかった。

 過去は何も変わらない。

 本当にこれで終わりだろうか。

 なにか一つでも、この時間旅行を意味あるものにするなにかはないのだろうか。


 視界が薄暗くなり、目が回る思いがした。

 何もかもが翳って見えた。


「――」


「――」


「気が付きましたか」


 何かの音が聞こえていた。それが声だと気づくと反射的に体に緊張が走り、散漫な意識も多少調子を取り戻したのが自覚できた。


 全く聞き覚えのない声の、全く見覚えのない老人だった。

 背が低く、色黒で、面長の顔。頬はたるんでいる。

 記憶にない姿だ。

 だが。


「バンジロウ?」


 不思議と確信があった。


「考えることは同じですな」


 その老人は片手に収まる機械を見せた。

 僕のタイムマシンとほぼ同性能の代物であることは明らかだった。


 なるほど、過去は変わらなかった。

 しかし、未来はある。

 未来はこれからなのだ。


 バンジロウはいたずらっぽく笑った。


「君、もしかしたら何か言いたいことがあったのでは?」


 僕は少し意地を張りたくなった。


「さあ、忘れてしまった。バンジロウは喧嘩の理由を覚えているか?」


 バンジロウは首を振った。


「僕もすっかり忘れてしまった」


 今度は二人とも声を上げて笑った。


 言うべきことを考える必要はもうなかった。








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