第23話 やさしい魔王です

 渚は走っている。

 自分のために叫んだ社長を見ていたら、体が勝手に動いていた。


 向かう場所はもちろん、国立新美術館。


 王馬社長のもとへ、ただ駆けていきたかった。


 宙づりにされていた男たちを社長はどうするつもりなのか。

 まさか、地面に叩き落として血だらけの惨劇を起こすつもりなのか。

 そんなこと絶対して欲しくない。


 悪いのはすべて自分なのだ。


 なんとしてでも社長を止めよう。そう意気込んで館内に飛び込んでいったが、入るなり情けない泣き声が響いてきて、渚は思わず立ち止まる。


 いま眼に入っているものといったら、わんわん泣く五人の男と、彼らの背中を優しく撫でる絶世の美女である。


「リアルじゃ、どこの会社も俺たちを雇ってくれなくてぇ……」


「そうであったか」


「やっとラバーナで居場所を見つけたと思ったのに……、あいつが……、あいつがぁ、うう」


「そうかそうか。それは辛かったのう」


「ラバーナでお金が稼げなかったら、俺たちの居場所はもうどこにもないんだ……」

「ないんだぁああ」


 うわーん、うわーんと子供のように泣きじゃくる五人の大人。


 彼らの泣き言を無条件で聞き入れ、まるでおばあちゃんのように「ほうほう」と頷くユリウス。


 画家である桐生渚には、泣きじゃくる男たちを優しく慰める社長の姿は聖書に出てくる聖母マリアのようであり、まるでピエタのようだと勝手にイメージした。

 じゃあ泣いている五人はキリストなのかというと、けっして同一視してはいけないのだけれども……。


 と、このタイミングでテンちゃんと志度カケルも美術館にやってきた。


 泣きじゃくる男たちを見てテンちゃんは口をあんぐり開けているが、カケルは苦笑いするだけだ。


 カケルがやって来たことをチラリと確認した社長、締めに入る。


「おまえたちの言い分はわかった。今回の件はすべてわしに委ねてくれぬか、悪いようにはせぬゆえ」


「ふぁい……」


 ぐすんと赤い目をこすりながら立ち上がり、綺麗に整列する五人の大人。


「みな良い子で安心したぞよ。今日のところはもう帰るが良い。明日になればきっと気持ちも晴れておる。またいつもと変わらずに時を過ごすと良い。お前たちが一生懸命に日々を生きておること、わしは知っておるからの」


「はぁい……」


 そしてユリウスはその優しい眼差しを桐生渚に向けた。


「というわけで、許してやってくれぬか?」


「え……?」


 戸惑う渚だったが、答えは決まっていた。


「許すもなにも……、こちらこそ迷惑なことばかりして、本当にごめんなさい……」


 深々と頭を下げる。


「ではこれでこの話は終いじゃ」


「ふわい……」


 ぼんやりした顔で去って行く五人。

 その姿を見たカケルはゆっくりとユリウスに近づいた。


「記憶を消したのか」


「うむ。それが一番良いと思うてな」


「頭の中がメチャクチャになるほど、いじっては無いよな」


 その一言に魔王はムッとした様子。


「わしを誰じゃと思うておる。あやつらの頭から、桐生渚とカグラの存在を消しただけじゃ。目が覚めれば憑き物が落ちたようにすっきりしておるはずよ」


「そうか」


 カケルはニコリと笑い、ユリウスが一番嫌っている言葉を吐いた。


「お前も良いところあるじゃないか」


「ふん!」


 ユリウスはカケルを突き飛ばすと、桐生渚に近づき、その手にUSBメモリを5つ手渡した。


「さて娘よ。改めて聞くが、わしの依頼を受けるか?」


「……」


 はっとした様子でユリウスを見る渚。

 唾をゴクリと飲み込むと、慎重に言葉を吐き出していく。


「五日間では、わたしが納得できるクオリティには到達できません。もう少し時間を頂ければ、他の誰にも出来ない仕上がりのキャラクターを用意します」


 ユリウスはその言葉を大いに喜んだ様子。


「よう言うた。そもそも五日で3Dのキャラデザなど無理であるのに、このアホウがどうしてもというから」


 カケルをじろりと見る。


「……」


 アホ呼ばわりされてもカケルは我慢した。


「ならさらに五日足そう。それで足りるかえ?」


「もちろんです!」


 頬を赤くして頷く渚。


「ではカケルよ。わしのお披露目は五日間、延期するとしよう。謝罪と告知とその他もろもろの手続きは全てお前がせい」


「はいはい」


「さて」

 

 ちらっとテンちゃんを見ると、ユリウスはカケルにそっと耳打ちする。


「もう夜も遅いから、駅まで送るって」


 憎き天堂とは直接話したくないらしく、なぜかカケルを合間に挟む女。


 テンちゃんはにっこり微笑む。


「大丈夫です。マネージャーに事情を伝えて迎えに来てもらうから、それまでは近くのお店でじっとしています」


 24時間経営のファストフード店があったから、そこに留まるつもりらしい。

 渚も小さく手を上げる。


「わたしも一緒にそこに……」


 テンちゃんを見て笑顔で頷きあう。

 思わぬ出来事で得た新しい友人だ。


 ユリウスは頷いた。


「……」


 そしてまたカケルに囁き、カケルは渚とテンちゃんに伝言する。


「わかったって」


 さらにもう一度魔王の耳打ち。


「気をつけて帰れって」


 こうしてテンちゃんと桐生渚は仲良くその場を後にした。


 その姿が見えなくなると、カケルはぐーっと背伸びをしながら文句を言った。


「あの子達には帰る家があって、俺たちにはないと」


 ユリウスはふふっと笑う。


「仕方あるまいて。安住の地を見つけたと思いきや、出だしからてんてこ舞いで、家を探す暇もない」


 しかしそれも悪くはない。そんなことを言いたげな機嫌の良さである。


「また野宿ってことか?」


「よいではないか。飲まず食わずで砂漠を歩いたときよりはるかに楽よ。地球のコンビニというのは実に優れておる。そこで水と食い物を買おうぞ」


 ついでにこの星は水も美味い、と軽やかな足取りで歩き出すユリウス。


「そうしますか」


 その姿を追いかけるカケル。


 こうして夜が明ける。

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