第20話 アイドルと画家
ラバーナからログアウトした天堂マコトは、とあるテレビ局の楽屋にいた。
収録はもう終わっている。
次の仕事があるメンバーたちは既にその場を後にしているが、家に帰る予定のメンバーは楽屋に残って談笑を楽しんだり、SNSに書き込んだりと、それぞれの時間を楽しんでいる様子。
だが、テンちゃんの様子だけおかしい。
ラバーナからログアウトしたというのに小型ゴーグルをかぶったまま,滝行している坊さんのような顔をして動かない。
その様子にメンバーは異変を感じ、その身を案じるようになる。
楽屋に残っていたメンバー全員が駆け寄ってくる。
「マコ先輩、何かあったんですか……?」
テンちゃんが所属しているグループは、日本の受付嬢とまで言われる国民的アイドルグループで、どのメンバーも顔面偏差値が異常に高い。
しかしその実態は天堂マコトリスペクト軍団であり、テンちゃんがみんなで死のうと言ったら本当にやりそうなくらいの団結力がある。
尊敬するテンちゃんが悩んだ顔をしているものなら、後輩たちは自分の身が切られたような思いをするのである。
そんな可愛い後輩たちに声をかけられ、マコトは現実に戻った。
「あ、うん。ちょっとね」
疲れたような笑みを浮かべる先輩に後輩たちは動揺する。
「先輩、ここのところ、忙しすぎですよ……」
うんうんと頷く後輩たち。
「昨日もレトロゲームと格闘して、そのあとミーティングして、それからダンスレッスンなんだから、寝てないですよね……」
うんうんうんと頷く後輩たち。とうとう言った。
「アイドルがトランスフォーマーに手を出しちゃダメだったんですよ」
さらに深く頷く後輩たち。
確かにその通りだったと頭を抱えるマコト。
「あんな白い砂粒みたいな敵の攻撃見分けられないよって、理不尽に死にまくるからカッとなって……、って、そんな話してる場合じゃないっ!」
すっくと立ち上がる。
ただそれだけで、きゃあ、かっこいいと赤面する後輩もいる。
「私、今日はもう上がるね!」
VRヘッドセットをリュックに放り込み、楽屋を出て行こうとする。
「先輩、これからマリオのノーコンテニュー配信のはずじゃ!」
「三時間後に延期!」
やらないとは決して言わない眠らないアイドル。
分厚い丸眼鏡と深いキャップを装着し、身バレしないようテレビ局を飛び出す。
目指すはアークホテルだ。
そこに桐生渚がいる。
天堂マコトにはいくつかの選択肢があった。
桐生渚が所属する事務所に連絡を取り、
「おたくの桐生さんが大変かもしれないから様子を見たほうがいいです」
と忠告する。
しかし、それでは事態が不必要に大きくなる気がした。
警察まで動くような事になれば、桐生渚のこれからが心配になる。
シドさんが言う「大変なこと」がいったい何なのか想像もできないが、こちらに危険が及ぶ事態であれば、決してマコトを頼ることはしないはず。
だからまずは自分で行こう。
自ら桐生さんに会いに行こう。
それが彼女の下した決定だった。
その根底には「シド」への絶大な信頼がある。
芸能界をそこそこ渡り歩いてきたテンちゃんには自ずと人を見る才能が養われていたが、あの謎の男シドについて言えば、間違いなく信頼のおける人物であるとテンちゃんは考えていた。
素性はまるで知らないし、人の配信にのこのこ割り込んだりと、やることなすこと大胆で危ない感じもする。
けれど、その根底にある優しさと誠実さにテンちゃんは気づいている。それどころか、シドと一緒にいるだけで、温もりのようなものまで感じていた。
だから言うとおりにしてみよう。
それだけの思いで桐生渚に会いに行った。
――――――――――――――――――
桐生渚が宿泊していると思われるアークホテルに飛び込み、カケルの言うとおり、六階の616室に移動する。
ドアを前にして、我ながら大胆なことをしたなと一瞬、ためらった。
ここでドアをノックして全然違う人が出てきたら、バカみたいだ。
それどころかヤバい人に部屋に連れ込まれて恐ろしい目に遭うかもしれない。
だがシドへの信頼がその不安を打ち消した。
深呼吸をひとつしたあと、ドアを静かにノックする。
「聞こえますか? シドさんに頼まれてきました。さっきまでシドさんの隣にいた奴です。いま話せますか?」
しばらくの間、沈黙が続く。
アポなしの訪問を受けてどうするべきか考えているのかもしれないが、数分後、ガチャリとドアが開いた。
シドさんの言うとおり、桐生渚だった。
お互い面識はあったが、実際に会ったことはない。
しかしお互いがこう思っていたはずだ。
テレビで見るより、肉眼で見た方がずっと可愛いらしいと。
だが驚いているのは桐生渚の方だろう。
いきなり目の前に現れた天上人の登場に口をあんぐり開けている。
「どうしてここに……?」
ニコリと微笑む天堂マコト。
それだけで相手をリラックスさせる必殺のスマイルである。
「助けに来たんだよ。何すれば良いのか分かんないけど」
「……」
桐生渚は驚いた顔のまま、入って構わないと頷いた。
部屋は乱れていた。
床に転がるVRヘッドセットとコントローラー、裏返ったノートパソコン、倒れたままの椅子。
何かあったことは間違いない。
「大丈夫……?」
やさしく尋ねる。
「……」
返事をしない桐生渚。
元気がない。
真っ青な顔をしている。
「わたしなんかと一緒にいない方が良いです……」
ぽつりと一言。
「わたし、もう終わった」
らんちう名義で描いていた作品と、桐生渚名義で描いていた作品がラバーナの中のフォルダに共存していた。
彼女がラバーナの中で行っていた身分詐称や、カジノでの売買のデータも当然、ラバーナの中にログとして残っていたはず。
それら全部がラバーナの中から消えていた。
すべて盗まれたのだ。
間違いなくあの五人の仕業だ。
彼らにとって「ふざけた商売」をしていたルブランへの報復。
あの社長の言うとおりだった。
消される。
ラバーナの中だけではない、この社会から……。
「終わっちゃったぁ……」
立ったまま泣き出す。
「どうしてこんなことになんの……? わたしが何をしたっていうの……?」
ひっくひっくと号泣する渚を、テンちゃんは何も言わずに抱きしめた。
「絵を描いたら褒めてくれて、嬉しかったから描いて、もっと描けって言われたからもっと描いただけなのに、みんな言いたいこと言って、チヤホヤされてるのは見た目のせいだなんて……、じゃあどうすりゃいいってのよ……」
「大丈夫、大丈夫だから」
まるで母親のように背中をさするテンちゃん。
初対面の相手ではあるが、渚は全力で泣き、甘え、本音を吐く。
「初めて会う人が、初めて会うのに、もうわたしのことを嫌ってる。可愛いだけで才能がないのに偉そうにしてるって……。それがつらくって……」
思い当たる節がありありでテンちゃんは真顔になった。
「それ、すっごくわかる」
「あっちの世界なら自分のやりたいようにやれるからって、いろんな事して、しすぎて、とうとう居場所がなくなっちゃった……」
うわーんと声を張り上げるが、テンちゃんは首を振る。
「そんなことない。シドさんがきっと何とかしてくれてる。レベル1でサイクロプス倒す人だよ」
その言葉に渚はぷっと笑った。
「そんなの慰めにならないですよ……」
しかしテンちゃんは本気だった。
「私わかるんだ。あの人にはなんていうか、本当にガチの修羅場をくぐり抜けてきた強さがある。世界中が戦争になってまわり全部焼け野原になっても普通に暮らしていける人。例えるならさ、高いところから落っこちても死なずに登って来れちゃう人って気がするんだよね」
あながち間違っていない。これがテンちゃんの凄いところだ。
「渚ちゃん。とりあえず一回ラバーナに行ってシドさんと話をしてみよう。具合悪そうだからゴーグルはだめだよ。ノートだけで行こうね」
自身もリュックに背負ってきたノートパソコンを取り出す。
17インチの、ノートというにはあまりにいかついゲーミングノートだったので渚は度肝を抜かれた。
「普段からこんな重いもの担いでるんですか……?」
「アイドルは肉体労働だから常日頃から鍛えておかないと。ドラゴンボールの孫悟空だって普段から重い道着を着てたでしょ?」
「例える相手の癖が強い……」
そんなやり取りをしつつ、二人は再びラバーナの世界へ。
場所はカジノ、パレスの中だ。
「人が誰もいないね……」
短期間で急速に仲良くなったテンちゃんと渚。
手を繋いでパレスの中を歩く。
あんなに人でごった返していたパレスだったのに、もぬけのからだ。
首をかしげるテンちゃん。
「店じまいってこと?」
「いえ、ラバーナのカジノは二十四時間営業してるはずです」
カジノで店を構えていたルブランはこの事態の異常さがよくわかる。
「真夜中でもずっと混んでるはずなんだけど……」
「でもなんか変だよ? あれ見て」
虫食いのような、黒い穴があちこちにある。
「まるでバグみたい」
テンちゃんの言うとおり、背景が削れてゲームの裏の世界が垣間見えるような状態があちこちにある。
そんな気味の悪い空間をおそるおそる歩きながら、カジノのメインホールに入ると、そこにシドがいた。
シド以外、誰もいない。
天井にぶら下がっていたシャンデリアが全部落ちている。
スロットマシンがあちこちに転がって、トランプやチップが床に散乱していた。
「やあ、来たね」
シドはルブランに近づき、使っていたグロック17カスタマイズモデルを造り主であるルブランに返した。
「良い出来だった」
「あ、ありがとう……?」
どうしてカジノで銃を使えるのか不思議でしょうがない渚であるが、戸惑いながらも銃を受け取る。
よくよく見れば銃痕だらけで、ここでかなりの争いが起きたのだと察したテンちゃんは慎重にカケルに尋ねた。
「何があったんですか……?」
「ちょっとだけ遊びに付き合わされた。聞かない方が良い」
冷気を含むような鋭い言葉に二人の娘は怯む。
優しい顔をしているけれど、これ以上は何も言わないという強すぎる意思がシドからほとばしっていた。
「桐生さん、連中は君から奪ったデータを千代田区にあるどっかの雑誌の編集部に売るみたいだ。車でそっちに向かってるのを確認した」
「そう、ですか……」
一言そう呟くルブラン。
ノートパソコンで操作しているだけだから、今までの生き生きとした仕草は失せ、まるで着ぐるみのようになっている。
「しょうがない。全部自分のせいです。田舎に帰って一から出直します」
「そりゃ困るな。俺たちの依頼をこなせるのは君以外に考えられない」
「でも」
「奴らに嘘のメールを送る。こう書くつもりだ。待ち合わせ場所を変更する。六本木駅に向かえ。細かい指示はそこでするって」
その言葉に二人の若い娘は顔を見合わせた。
「どうやってそんなことを?」
「やるのは俺じゃないんだ」
シドは笑いながら言った。
「とにかくここまで来たら、安心していい」
そしてさらにこう言った。
「今はそれぞれの家に戻って寝てくれないかな。詳しい話は後で必ずする。何もかも元通りになってるはずだから安心して」
さらにシドはテンちゃんに深く頭を下げた。
「ほんとうにありがとう。この借りは必ず返す」
そしてログアウトして消えてしまった。
取り残される二人。
どうすればいいんだとオロオロ戸惑う渚にテンちゃんは迷わず言った。
「行くっきゃないでしょ、六本木駅にっ!」
――――――――――――――――――――
カケルはログアウトするや、大きく欠伸をした。
それを見てユリウスは笑う。
「久しぶりに動き回っても、疲れるのは頭の方か」
「そうみたいだ。ったくわけわかんない」
パレスの中でカケルはカグラ相手に戦っていた。
カグラがいきなり「バイバイ」と消えたことで勝敗はつかなかったが、異常に疲れたのは間違いない。
ログアウトしてもすぐに椅子から起き上がれないくらいの脱力感がある。
「戦うのが楽しくてしょうがない性格なんて、孫悟空じゃないんだから」
「またドラゴンボールの話か。わしはそれを知りようがないのだ。なんでもそれに例えるのは止めてもらいたいのう」
「せっかく地球に来たんだから一気読みすれば良い。最高に面白いぞ」
「覚えておこう」
ユリウスは身につけていたヘッドホンを外し、気合いを入れようと、自分のほっぺたをぴしゃりと叩いた。
「さて、今度はわしの番じゃな」
ベランダの窓を豪快に開ける。
スタジオがある部屋から地上までかなりの高さだ。
「カケルよ。お前は駅に行って娘たちを出迎えろ」
「はあ? 帰って寝ろって言ったはずだけど」
「あほ。あの娘らが大人しく言うことを聞くはずなかろう」
「……言われりゃそうだな」
「娘らをどうするかはお前に任せるが、素人にわしの邪魔をさせるなよ」
「わかったけど、なんでベランダに出るんだ。普通に歩いて行けばいいだろ?」
嫌な予感がするカケルにユリウスはニヤリと笑う。
「こういうのは派手に行くべきなのじゃ!」
魔王はためらいもせずにベランダから飛び降りていった。
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