第15話 ほんとのじぶん
巨大なメタバース、ラバーナにアクセスする手段はいくつかある。
スマホ、パソコン、家庭用ゲーム機がそれだが、ラバーナの世界を100%楽しみたいならコントローラやキーボードでは役不足なのはもはや一般常識。
表情豊かな自分の分身を作り、自分の手足のように動かすには、VRヘッドセットと専用コントローラがどうしても必要になり、結果的にラバーナのブームがVRゴーグルの販売を押し上げる形になった。
今やラバーナにアクセスするプレイヤーの60%はVRゴーグルで操作しているほどだし、日を追うごとに増えている。
そんなゴーグルプレイヤーが「いつか必ず」と夢に見る最高設備が俗に言う「スタジオ」になる。
両手両足にバンドを巻き付け、部屋の四隅に高感度のセンサーを設置すれば、VRゴーグルのようないかつい装備をしなくても、ラバーナにいる分身は思い通りに動いてくれる。
とはいえ、エアーズのような激しいアクションが必要なコンテンツをする場合、部屋の中で動きまわるのはスペースもなく難しい。
なによりご近所迷惑になる。
この場合、スタジオにヤンファンエイク社製の専用椅子を置く。
ダイブチェアと呼ばれるもので、旅客機のファーストクラスを思わせる優雅で高性能な椅子だ。
ヘッドバンドを着け、椅子に腰掛けた状態でログインすると、ラバーナの世界に「ダイブ」するような状況になる。
転生と呼ぶプレイヤーがいるほどの最高の環境を味わうことができるわけだ。
この技術を他社はマネできない。
業界の発展のためとヤンファンエイク社はダイブチェアの技術をすべて公開しているが、説明書通りに作っても同じ没入感を再現できないらしいのだ。
まあ、誰もわからないだろう。
ダイブチェアはきっと魔法仕掛けなのだ。
同じものが作れるはずがない。
だからこそ酒津公任はあっさり公表したのだろう。
そんな、ラバーナに生きるプレイヤーの憧れ「スタジオ」を二時間レンタルしたユリウスとカケル。
だだっ広い長方形の部屋にダイブチェアがふたつ置かれただけの部屋。
カケルはおそるおそるダイブチェアに腰掛けた。
「こんなフカフカの椅子に座ったことないな。いくらするんだろう」
「日本で一番売れとるハイブリッド車と同じくらいだそうじゃ」
ひいっと仰け反るカケル。
「俺にはオーバースペックだな。こんな凄いのが必要になるのは天堂さんみたいな超人気配信者くらいだろ」
カケルの口から天堂という言葉がでただけで機嫌が悪くなる女。
「あの天堂だかクズだかいうアイドルはな、フェラーリクラスのダイブチェアを持っておるらしい。それもスポンサーの支給品だそうじゃ。殺してやりたいのう」
「いや、殺しちゃだめだろ」
「まぁ、そんな話はさておいて、ログインしたら言うとおりに動けよ。わしが言ったありのままを娘に伝えるのじゃ、よいな?」
「わかってる」
デビューの日付を予告した手前、ユリウスはそれまでログインするつもりがないらしい。
今日もスタジオにあるディスプレイで事態を見守るだけだ。
カケルの行動や会話の音声はしっかりディスプレイとスピーカーで確認できるが、ログインしてしまうとカケルにはユリウスの声は届かなくなる。
「じゃあ、行ってくる。なんだかロボットのパイロットになったみたいだ」
ログインスイッチを押すと、デッキチェアに備え付けの大型曲面ディスプレイがカケルを包み込むように近づいてくる。もはや外が見えない。
カウントダウンが始まり画面が真っ白になると、カケルの体も一瞬ふわりと浮き上がる感覚になる。
そして、ラバーナに転生した。
――――――――――――――――――――
桐生渚が待ち合わせ場所にしたスサノオとは、日本人向けの街そのものを指す。
グラフィックが美麗すぎて、もはや現実の都会を歩いているようにしか思えない。
エアーズはファンタジーの世界を舞台にしていたから、プレイヤーもそれに乗っ取った格好をしていた。
しかしスサノオは今をリアルに表現しているから、通りを歩く人も普通のファッション、あるいはスーツ姿だ。
運営の初期装備しか持っていないシドは、真っ白な半袖に真っ白な短パンという都会を歩くにはちょっと痛々しい格好をしている。
ゆえに桐生渚との待ち合わせ場所に出向く前に、ユリウスが指定したアパレルショップに出向いた。
世界中に店舗を構える超有名ブランドがラバーナでも出店していたのだ。
月額千円払えば、ラバーナでやれないことはない。
服も無料だ。いくらでも買える。
選んだ服を「抜群ですね」と店員さんが褒めてくれたが、ユリウスに買えと言われたものを選んだだけの操り人形である。
しかし、これから会う桐生渚との交渉をスムーズに運ばせるためには必要なことだ。誰だって初対面では外見で相手を判断する。
――――――――――――――――――――
桐生渚が指定したラリューシュビルは、スサノオのオフィス街にある。
このビルの中にいくつもの企業があって、本当にビジネスをしている。
ラバーナの通貨で世界中と取引しているのだ。
21時きっかりに桐生渚は来た。
「ふうん……」
上から下までしっかりシドを見つめる。
優れたセンスを持つ彼女から見て、シドのファッションは合格らしい。
さすがユリウスと言ったところか。
そして肝心の桐生渚はルブランというアバターになっていた。
陶器のような白い肌にふわりとしたボブカット。
身長、体重は実際の自分に合わせたようだ。
おそらくキャラメイクがめんどくさくて、ろくにいじることもせず、ほぼデフォルトで仕上げたのだろう。
「え、シド……?」
ルブランはすぐに気づく。
「テンちゃんの配信に割って入った迷惑おじのシド? レベル1でサイクロプス倒した、あのシド?」
カケルは頭をかいた。
「そうなんだよ。凄い人だと思わなくて普通に絡んじゃった」
桐生渚は慌てた様子を見せる。
「有名人とこんな所で話したら人でいっぱいになる。仕事場に来て。このビルの最上階」
シュッと姿を消すルブラン。
ファストトラベルというやつだろう。
ルブランの職場を登録していないシドは歩いていくしかないが、いくら階段を登っても疲れないところがラバーナの良いところだ。
カケルの心眼スキルはここでもまた、頼んでもいないのに桐生渚ことルブランを丸裸にしてしまう。
カケルとユリウスは六本木のレンタルスタジオにいるが、何という偶然か、桐生渚もまた六本木のビジネスホテルからログインしているらしい。
近くにテレビ局があるから、もしかしたらテレビの収録でもしていたのかもしれない。
ルブランの狭い作業場にはエアーズやラバーナウォーで使用する武器のデータがギチギチに収納されていた。
マンガを描くだけでなく、いわゆるクラフトプレイヤーとしても活動しているらしい。所持金もかなり多い。
ついでに一日限定のカジノ利用許可証まで持っていた。
らんちうではエロ漫画家として稼ぎ、ラバーナではルブラン名義で職人としても稼ぎ、ついでに利益をカジノに使っているという。
若いのになかなか図太いが、依頼には関係ないことだし、踏み込まないようにしよう。
いずれにしても桐生渚の活動の主体は、どんな名義であろうと描くことだ。
椅子に腰掛けるや、すごい勢いで原稿を仕上げていく。
「おお……」
息を呑んだ。
余白ばかりの原稿に命が吹き込まれていくさまは圧巻だ。ほとんどエロまみれだけど。
「凄いな。とにかく速い。ホントに速い」
速さというのは漫画家にとって一番大事な要素かもしれない。
「おだてないで。こんなの手塚先生や石ノ森先生と比べたらたいしたことない」
比べる相手が神だとそりゃそうなるが、もしかしたら自分はそんな偉大な神々に匹敵する技量なんだという自負があるのかもしれない。
「それにしても、ラバーナの中でここまでしっかり漫画が描けちゃうんだねえ」
今さらなに言ってんだとばかりの溜息を吐くルブラン。
「家の中でこんなことしてたら、バレちゃう可能性があるでしょ。バレたらわたし、終わっちゃうし」
「……」
だからアカウントに嘘ばかり書き込んでいるのか。
ルブランを動かしている中の人は、十八歳の天才画家ではなく三十代の専業主婦ということになっている。
つまりは身分詐称であり、ラバーナの規約には違反している。ついでにカジノも二十歳を越えてからじゃないと遊べないはずで、これもまあ違反なんだけど、踏み込むのは(以下略)
「こっちの世界にデータ持ち込んで全部やる方が便利なの。そういう画家さんも増えてる。画廊に持ち込まなくても自分で個展を開けるし、配送とかめんどくさい手続き無しでデータでやりとりができるしね。徹底的に時短ができるから、創作にのめり込める」
「それに中抜きもないから全部自分の儲けになるのか」
「売ったデータが人から人に渡っても、その度にちゃんとわたしにも報酬が入るようになってるからね。クリエイターには最高の場所ってこと」
桐生渚は作業の手を止め、シドを見つめた。
「で、何の用? 職場見学したいわけじゃないんでしょ?」
その問いにシドはすぐ答えた。
「俺の隣に変な言葉遣いの女性がいただろ?」
深く頷くルブラン。
「五日後に配信デビューするあなたのご主人様って、あの素敵な人?」
「そう。俺の社長」
社長とその部下という関係性にするのじゃ、と指示されていたので、その通りに伝えたら桐生渚は大いに納得した様子。
「やっぱり凄い人だったんだ……」
この一言、ユリウスはさぞ喜んでいるだろう。
「もしかして、社長の配信用のキャラデザを私にしろって依頼?」
「その通り」
「桐生渚の絵じゃなく、らんちうの絵で?」
「そう。そっちの方が生き生きしてるし、カワイイからね」
「……」
考え込むルブラン。
ピンとこない様子だ。
「わたしの絵を買ったのは、この依頼を引き受けて欲しかったから?」
「それとこれとは別だよ。あの絵を買おうと思ったのは取引の材料にしようと思ったからじゃない。本当に欲しいと思ったからだ。正直に言うけど、桐生渚名義の絵で欲しいと思う作品はあれしかなかった」
ぶっちゃけたシドに若き画家の表情は明らかに曇る。
「それ……、どういう意味?」
「描きたくて描いてる絵はあそこにほとんどなかっただろ? 狙いにいったというか置きにいったというか。そうしろって言われてるから仕方なく描いてる絵ばかり。だけど俺が買ったあの絵は良かった。理屈抜きで元気を貰える。あれをギャラリーに飾ったのは君の意地というか、ささやかな抵抗だよね」
桐生渚はふうと背伸びをして、カケルに背を向けた。
「……よく見てるね」
これ以上この話はしたくないとばかりに話を変える。
「社長本人に寄せて書くの? それとも完全な別人にすればいい? どういうキャラで行くのか設定が決まっているなら教えて」
「全部、君に任せる」
「えぇ?」
「君のやりたいようにやれ。社長はそう言ってる」
「冗談で言ってる?」
「まさか。君が書いたものに自分が寄せるから好きなように書けって」
迷子になった子犬のような眼になるルブラン。
「……そんなの逆に困るんだけど」
「だよね」
苦笑するしかないカケルであるが。
「そういう人なんだ。変な依頼だけど、何の縛りもなく自由にやれると思って、お願いできないかな」
しかし桐生渚は困惑するのを止めない。
「五日以内にやれってんでしょ? 時間なさすぎるよ」
「3D化のことは気にしないでいい。ラフ画でいいんだ。コンセプトがわかれば、あとはどうにでもなる」
酒津公任に持ち込めば何とかなるだろうし、既に「お任せください」という返事も受けていた。
桐生渚は考える。
もしかしたら三分以上は考えていたかもしれない。
その間、カケルもずっと待った。
やがて彼女は言った。
「わかった描いてみる。仕上がったら連絡する」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます