第14話 桐生渚という女

 カケルは外を飛び出すや銀座に走った。


 目指すは大きな商業施設の最上階にあるギャラリー。

 そこで桐生渚が個展を開いていた。


 日本のアート好きは「見る」のは好きだが「買う」ことには関心が薄いので、基本どこのギャラリーもそんなに人は多くない。


 だが桐生渚となると話は違ってくる。

 通常の画廊では考えられないくらいの人が集まっていた。

 

 なにせ本人がいる。

 わずかな鑑賞料を払えば本人の直筆サインがもらえるのだからそりゃ集まる。


 しかしカケルは見抜いている。

 桐生渚の絵を買いに来た人はほとんどいない。

 実のところ、アーティスト本人を見たくてやって来た人がほとんど。

 

 入り口から特設サイン会場までの通路には行列ができているのに、ギャラリースペースには人がまばら。

 

 サインさえ貰えればそれで十分だと考えている人ばかりで、肝心の作品は流すように見るだけでささっと帰ってしまう。買う気なんかそもそも無い。


 これが桐生渚というアーティストの現実であることは、心眼スキルを持つカケルでなくてもわかるはずだ。


 渚自身が作品であって、彼女の絵は、数多いるアイドルたちとの違いを生むためのアクセサリというか、スキルでしかない。


 スポーツであれ文化であれ、そこに美少女をくっつけると多くの人が集まるのは過去の歴史で証明済みだ。

 しかしそれを「汚れ」とみなして嫌悪感をむき出しにする人が多いのもまた事実。


 可愛いだけで、その実、画家としての実力は大したことないと、渚を痛烈に批判する人もいる。

 これが、アートに詳しいユリウスが「技術だけならピカイチ」と認めた若き画家の今である。


 そんな中、カケルはサインの行列には並ばず、じっくり作品を見ている。


 この星の文化に触れないお前は時間を無駄にしているとユリウスに苦言を呈されたのが少々ショックで、この際だから鑑賞すっか、という気になっていた。


 どれもこれも超絶技巧で圧倒される。

 写真みたいと囁く人がいるほどに、徹底的な写実絵画が並んでいたが、カケルが惹かれたのは、一見するとかなり雑に書いてある荒いタッチの絵だった。


 青黒い空の中に、単純化された太陽がギラギラ輝いている。

 太陽から伸びる触手のような炎から圧倒的エネルギーを感じた。


 ゆえにワタルは係の人を呼んだ。


「これ買います」


 係の人は飛び跳ねんばかりに驚いた。


「え、買うんですか?! 本当に?」


 係の人ですら絵が売れると考えていなかったようだ。


「はい、買います」


 ズバッとクレジットカードをちらつかす。

 社畜のサラリーマン時代では考えられない散財だが、異世界で死にそうな目に何度もあうと感覚がおかしくなる。

 欲しいと思ったものは今買うべし。明日、死ぬかもしれないから。


「お、お待ちくださいっ」


 やったわ絵が売れたと、満面の笑みの係の女性を、カケルの心眼スキルが頼んでもいないのに観察し、見抜いてしまう。


 どうやら桐生渚とは長い付き合いのようだ。

 絵が売れたことを心の底から喜んでいるようで、


「信頼するべき数少ない大人」の一人だとカケルは判断した。


 ギャラリーの中をぶらぶら歩いている他の関係者とは違う。

 連中の欲深さをカケルは既に見極めている。

 二代目聖杯である自分に甘い言葉で群がってきた異世界の俗人たちを思い出さずにはいられない。

 

「志度カケルをどう使えば欲しいものを手に入れられるか」


 そんなことばかり考える連中に囲まれて胃が痛くなる日々を過ごしたが、桐生渚も同じなのだろうか。


 そんなことを考えていたら、当の桐生渚本人が係の人に連れられてきた。

 

 絵を買うとサインどころかマンツーマンで会話ができるらしい。

 

 深々とお辞儀してくる十八歳の天才画家。

 思っていたより小柄で、想像以上に愛らしい顔をしていた。


「ありがとうございます……!」

 

 自分の絵が売れたことに本人もビックリしているようで、その白い頬にふわりと赤が差している。

 動画で見ていたときは少年と見間違うほどのベリーショートだったが、その時よりも髪が伸びていて、大人っぽくなっていた。


「この絵、わたしも気に入っていて、嬉しいです」


 そうだろうそうだろうと、知ったか顔で頷く素人のカケル。


「他と比べて荒々しいけど、絵を描いていて楽しいって気持ちを強く感じます。最初の頃ですよね。この絵を描いたのは」


「えっ……?」


 書いた日付は絵にも解説にも書かれていないのに、これが初期の作品だとズバリ言い当てた謎の男に度肝を抜かれたらしい。


「よくわかりますね。すごい……」


「いや、そんなたいしたことはないんです」


 苦笑いするしかないカケル。

 心眼スキルを持つゆえに、これくらいのことは頭が勝手に探り当ててしまう。


「会社員をしていたときは過労死寸前だったから、この絵を家に飾っていたら、パワーをもらえて、もう少し踏ん張れたかもしれない」


 しみじみ感じたことを素直に言葉に出した。


「大事にしますね」


 その言葉が桐生渚には嬉しかったようで、笑顔がこぼれる。


「あなたのような方にもらわれて嬉しいです」


 しかしカケルは言った。

 ここに来たのは絵を買うためではないのだ。


「別名義の作品にも興味があります」


「え?」


 ビクッと震える若き画家。


「らんちうの作品も見たいんだけど、どうすればいいのかな」


「……」


 桐生渚の表情が一変した。

 穏やかさは失せ、目が鋭くなる。

 まるで殺し屋のようになった。


 二歩、カケルに近づき、背後にいた係の女性に声を聞かれないよう、小声で呟いてくる。


「脅迫するつもりですか?」


 カケルは首を横に振る。

 脅すなんて、そんなつもりは一切なかったのだが、そう思われてもおかしくないやり方ではあった。


「違う。依頼したいんだ。桐生渚じゃなく、らんちうにね」


「……意味が分かんないんだけど」


 言葉遣いが荒くなる。

 イライラで爆発寸前でありながら、足が震えるほどに脅えているのもわかった。


「ここで話すのはもうやめよう。君はラバーナにアトリエを持っているよね」


 目を丸くする桐生渚。


「どうして……?」


 なんでそこまでわかるのか不思議でしょうがないようだ。

 説明したところでわかって貰えないだろうが、これもまた例の心眼である。


「ラバーナで会えないかな。君の都合のいい時間に」


 桐生渚はすぐに答えた。


「今日、スサノオのラリューシュビル入り口で21時」


「わかった」


 桐生渚はカケルからスッと離れる。

 そのタイミングで係の人がカケルに声をかけてきた。


「志度さま、お届け先の住所を……」


「あっ」


 よく考えたら、住む家がない。

 家なきおっさんなんで持って帰るのはダメですかって言ったら、ださいよな。


 家もない怪しい男に売る絵はねえと言われたらどうしよう。

 なんてきょどっていたら、ユリウスがするりと横に立った。


「実は今、引っ越しの最中でのう。すぐに受け取ることができんのじゃ。携帯電話の番号だけ渡しておくゆえ、寝床が決まり次第すぐ連絡しよう。それでいいかえ?」


「あ、はい……」


 係の女性は顔を真っ赤にした。

 ユリウスに見とれているようだ。

 なんて美しい人かしらと魂を抜かれてしまったらしい。 


 ユリウスの神々しい美しさに誰もが電撃を浴て立ち尽くすのは、異世界でも地球でも変わらないようだ。


 桐生渚も同じ。

 目をまん丸にしてユリウスを見つめながら、その細い指先を細かく動かしている。

 無意識のうちにユリウスをデッサンしているのだろう。


 それくらいの引力がユリウスにはある。

 

「ではゆくぞカケル。良い買い物をしたのう」


 とろけるような笑顔で大勢を魅了するユリウスであるが、それが完全によそ行きモードであることをカケルは知っている。


「ああ」


 桐生渚に目くばせをしながら、カケルとユリウスは画廊を出た。



 ―――――――――――――――――――――



 銀座の大通りを歩きながら、ユリウスは憎々しげに言った。


「わしを置き去りにするだけでなく、酒場の支払いまでさせた罪は万死に値するが、今は問わぬでおこう」


「そりゃありがたいが、酒場じゃなくて喫茶店だからな」


「でゃまれい! とにかく答えるのじゃ。あの娘にとことんこだわる理由をな。あの娘の真相を見抜いたのであろう?」


「これ見ろ」


 カケルは自分のスマホをユリウスに差し出した。


 日本で有名なアニメのキャラクターたちが、スケベなことをされたり、スケベなことをしたりする、とってもいやらしいマンガが画面いっぱいに表示されている。


「こっ、これはっ!」


 沸騰するくらいに顔を赤くする魔王。

 基本何をやらせても優秀かつ無敵な女であるが、わずかな弱点のひとつはエロスの類いだ。

 照れてしまうのである。


「き、きさまっ、こ、こんな人の多いところで、わしに何を見させるのじゃっ」


 駄々っ子のようにカケルの背中を叩く。


「まさか、こんなことがやりたいというのか、逆さづりとか、しばりとか……」


「あまり声に出すな」


「き、きさまぁ、いつからそんな変態になったのじゃぁ……」


 べ、べつにおぬしがやりたいのなら、わしも頑張って答えてやるが……、とにかくそれには家が必要だし、大きなベッドも……。


 なんてことを勝手に妄想しているが、当然カケルにそんな考えはない。


「あの桐生渚って子はな、らんちうって別名義で、十八歳未満は読めない二次創作のマンガやイラストを描きまくってるんだよ」


「なんとまあ」


「稼ぎでいったら、本人名義よりらんちうのほうが良いくらいだぞ」


「確かに今の絵では売れんじゃろうな。あらうまい、あらすごいで終わってしまう。せいぜい良かった一枚もおぬしが買ってしまったし」


 気を取り直し、評論家の視点でもう一度作品を見てみる魔王。


「自由に気ままによく書いておる。それに怒りも感じるのう。焦りや苛立ちを全部エロに変えて原稿に叩きつけておるわ。やはり今の現状に不満があるようじゃな。自分ではなく作品を見てくれ、って感じかの」


「それにキャラがみんな可愛いだろ。もしかしたら原作者が書いているヒロインより可愛いんじゃないかって思えるキャラもいる」


「なるほど。そう思えるほどか」


「らんちうなら、魔王に相応しいキャラデザを仕上げてくれると思いますがね」


「ふむ、それは認めよう」

 

 ユリウスは納得した。


「それに面白い。あの娘に書かせてやるか」


 依頼するのではなく、書かせてやるというのが実に魔王思考。


「場所は聞いた。今日の夜にラバーナで会う」


「ならば今度こそ環境を良くする必要があるぞ。きちんとスタジオを用意して、ちゃんと正装で行くのじゃ」


「スタジオ設備なんて、そんなすぐに用意できるもんじゃないだろ」


 やれやれと首を振るユリウス。


「貴様はまことに詳しくないのう。レンタルできる場所があるのじゃ。六本木のビルにラバーナ専用のスタジオがある。二時間程度だが借りることができるぞ。何ならもう手配済みじゃ」


「お前が詳しすぎるんだよ……」

  

 こうして魔王と勇者は六本木に向かう。

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