第9話 魔王の読み通り、葛藤する男のいる風景

 志度カケルは夜道を歩く。

 

 ほんの少し前に異世界からやって来た魔王がどでかい爆発を起こしたというのに、もう忘れてしまったのか、みんなはしゃいでいる。


 可愛い子そろえてますよと声をかけてくる男たちの誘惑を無視しながら、足早に駅へと向かう。

 

 半年ぶりに帰ってきても、都会の夜は変わらず狂気と混沌を垂れ流している。

 改めて自分にはあわないと感じた。


 ユリウスは追いかけてこない。

 そりゃそうだろう。

 もう俺は必要ない。ユリウス一人で何もかもこなせる。

 

 あいつなら、きっとメタバースを征服しちゃうだろうし、なんならこの地球もあっという間に平らげてしまう気もする。

 

 やがて自分の前に現れ、聖杯スキルを発動させるに違いないだろうけど、その方がいいとすら思える。

 少なくとも今よりはマシになるだろう。


 電車に乗る。


 この便利な乗り物を見たときのあいつの反応が見たかった。

 きっと目を輝かせて、子供のように流れる景色を見ていたはずだろう。


 電車に揺られながらスマホ経由でニュースをたどる。


 ヤンファンエイクが誇るメタバース、ラバーナのシステム障害は復旧されたらしく、現在世界中から二億人がログインしているらしい。


 障害の原因は東京本社ビル付近で起きた火災によってサーバーが落ちたから。

 そういうことになっている。


 つまりユリウスが怒り狂って起こした爆発は火事として扱われたらしい。

 ハッキングだろうが火災だろうが犯人は同じだし、どちらにしても許されてしまったらしいから、もうどちらでも良いだろう。


 あの時、エアーズハンターにいたボラボは謎のヒーローになっていた。

 運営の騎士をボコボコにし、あと数分でラバーナが落ちると予告した謎の半裸。

 いったい彼は何者なのか様々な目撃情報が飛び交っているようだが、答えが出ることはなく、いずれ都市伝説になるだろう。


 ユリウスによってズタズタにされたバニシングのプライバシーは気味悪いくらいにネットの世界から消えていた。

 何の痕跡もなければ、ひとかけらも話題に上っていない。


 バニシングという奴らがあのときエアーズハンターにいた、という事実すら消去されたように感じる。

 ユリウスによるものか、はたまた酒津公任の手によるものかわからないが、あの二人ならそれくらいのことはできるのだろう。


 しかしカケルがあの時ユリウスに言ったように、バニシングの男たちは今までの行動にしっかり責任をとらされることになった。


 さまざまなSNSでバニシングに関する動画が拡散されている。

 一人の女性からポシェットを奪い、その中身を容赦なく踏みつける映像だ。

 

 やめろと訴える女性を無視して、野蛮な声を出しながら土足で何度も何度も踏みつける男たち。

 モザイクはかかっているが、声だけでバニシングの連中だとわかる。


 失望した。

 ありえない。

 ひどい。

 可哀相。

 

 世界中のヘイトが今、バニシングに集まっている。

 これをきっかけにバニシングの隠された悪行が次から次へと明るみになっていくのだが、それはここで取り上げることでもない。

 彼らが再びラバーナに戻って、いつものように稼ぐためには、かなりの時間を要することになる、ということだ。


 カケルの興味は、やめんかと怒る女性にあった。

 モザイクがかかっているから、動画を見る大多数の人にとっては可哀相な人としか映らない。

 しかし、カケルだけはその女性が誰だか瞬時に理解できた。


 ユリウスである。


 踏み潰されてぐちゃぐちゃになっていくポシェットも、中から飛び出てきたノートと万年筆も、もちろん見覚えがある。

 忘れるはずがない。


「あいつ」


 いまだに持ち歩いているとは思わなかった。

 あれを壊されたのか。

 あれを壊されて、あんなに怒ったのか。

 

「あいつ……」


 沸いてくるエモい感情を電車の中で必死でこらえる男である。



――――――――――――――――――――


 

 翌日。

 時刻は十一時。

 ヤンファンエイク本社ビル近くの公園。

 カケルは結局ここに来てしまう。

 

 ベンチにユリウスがもう座っていた。

 

 カケルが近づくと、ユリウスはカケルを見ることなく呟く。


「どうであった?」


「貯金を下ろして、未払いの家賃とかいろいろ支払ってきた」


「律儀じゃのう」


「われ生きてたんかい、って大家さんに驚かれたよ。で、いろいろ預かってもらってたものを渡されて、中にこれがあった」


 ユリウスの横に座り、解雇通知書を見せる。


「一ヶ月休んだあたりでクビになってた」


「まあ無断欠勤だからのう」


「そうだな。それは仕方ない」


 ただどうしてもカケルには納得のいかないところがある。


「いくら言っても支給してくれなかったから自分で買ったノートパソコンがあるんだけど、戻ってきてないんだよ。借りパクされちまった」


「そういう会社なのであろう。まさに貴様は社畜であったというわけじゃ」


 そしてカケルはもう一枚のメモをユリウスに渡す。

 解雇通知書の中にあった一枚のメモ。

 かつての上司がカケルによこした手書きのメモだった。


 これ以上の無断欠勤はお話にならない。

 君という人間は本当に最後の最後まで使えなかった。

 君のような人間を雇ってくれる慈悲深い会社が、他にあると考えない方が良い。

 あったとしても、このままじゃどこに行っても同じことになる。

 いい加減覚悟を決めないと社会のゴミだぞ。


 わざわざこんなものまで書いてあるとは、よほど腹が立ったのだろうし、よほど嫌われていたということだろう。


「わかるかユリウス。こっちの世界の俺はこんな感じなんだよ」


 カケルの顔は妙に晴れ晴れとしている。

 

「こんな年になって、奥さんもいない、子供もいない、世の中の役に立ってるわけでもない、いくらでも替わりがいるようなアラフォー男子の役目はな、税金をしっかり払いつつ、誰に迷惑もかけずに消えていくことなんだ」

 

 しかしユリウスは即座に言った。


「それでもお前はあの地獄から生きて帰ってきたじゃろ。せっかく戻って来られたのじゃ、ゼロから始めるというのもまた面白いぞ。歳など関係あるか。最初の聖杯は一万歳で会社を興したのじゃからな」


「……」


 そこまでいくと別次元の話で一緒にできないだろとは思ったが、確かに今の俺はゼロだ。


 不在の間に貯まっていたあれやこれやの支払いでカツカツだった貯金もほぼ空になった。

 収入の見込みが無い現状だから、アパートの契約も終わりにした。


 確かにゼロだ。

 年齢のことを思えばマイナスからのスタートとも言えるが。


「ほれ、これを使え」


 ユリウスが取り出したのは、さっきカケルが口にしていたノートパソコンである。

 

「えっ、なんでお前がこれを持ってるんだ?」


 ユリウスはヤンファンエイク社を出たあと、ささっとテレポートを重ねてカケルの職場を「見学」してきたのである。

 しかしユリウスはそれを口にせず、ただ見てきたものだけを告げる。


「お前がいなくなってからな。お前の替わりをこなせる社員がおらんようで、皆、悲鳴を上げておったぞ」


「ええ……?」


 考えてみればそうだろう。

 昼休憩もなく、ぶっ通しで働いて、おまけにサービス残業を続けたことで成り立っていた仕事だ。

 普通にのんびりやってたら絶対にそうなる。


「しかもお前から引き継ぎの一切もしてないから、余計に仕事が進まない。そのふざけたメモを書いた奴かどうかわからんが、なんでこんなことができないんだとまわりにあたり散らしておった」


「……」


 もう時刻は十二時を超えるのにいまだに帰宅できない社員たちが、口ばかりで手を動かさない無能な上司にこう叫んだのをユリウスは見た。


「志度くんがいなくなったから、こうなってるんでしょう!」


 その光景を思い出し、ユリウスは笑う。


「お前にも見せてやりたかったのう。今から行くか?」


「いや、いい」


 カケルはノートパソコンを受け取ると、ユリウスに言った。


「何から始める?」


 その言葉を待っていたかのようにユリウスは言った。


「そのノートパソコンを開いてシンラバにアクセスしろ。世界中に衝撃を与えてやれ。魔王と勇者が地球にやって来たと思い知らせるのじゃ」


「……わかった」


 カケルはユリウスの横に座り、膝にのせたノートパソコンの画面を開く。


 満足げに頷くユリウス。

 彼女からすれば、隣にカケルがいればもうそれだけでいいのである。



 

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