第8話 聖なる男
ヤンファンエイクの社長で、かつて初代聖杯だった
「志度さんと入れ替わるように私は地球にやってきました。本来の願いはただの器としてどこかの大金持ちの食器棚に収まり、ロマネコンティを注がれながら主人を満足させるというものだったのですが、どういうわけだか人間になっておりまして」
「不思議なこともあるもんだね……」
驚くカケル。ただの食器が地球に来たら人間になるとは。
「そして今に至るのです」
「えらく、はしょったね」
カケルとユリウスがジタバタしていた公園には、ヤンファンエイクの本社ビルにつながる隠し通路があった。
飾り気のない地下通路を通った先には本社ビル最上階までの直通エレベーターがあり、カケルとユリウスは酒津とともにエレベーターの中にいた。
「皆さんが暴れ回った真ラバーナは地球の技術と私の魔法をかけ合わせた魔法科学の結晶です。どちらが欠けても成立しない。その事実を知るのは会社の中でも私だけです」
酒津公任は幸せの絶頂にいる。そんな顔をしている。
カケルとユリウスのせいでヤンファンエイクの株価はグイグイ下がっているようだが、全く気にしていないようだ。
「今回の件、私は良かったと思っています。社員たちは真ラバーナが魔法仕掛けだと知らず、すべて自分らで作り上げたと勘違いし、ずいぶんと調子に乗っていました。鉄壁だと過信していたセキュリテイを軽々と破られて今頃気づいでいるでしょう。上には上がいるとね。ですから、私は皆さんにお礼を言いたいのです」
「話の分かる社長で何よりじゃが、それだけを云うために会いに来たわけではなかろう? わしらもそんな話を聞くためにここに来たわけでもない」
「もちろんわかっています。どうぞこちらに」
ヤンファンエイク本社ビル最上階。
社長の酒津しか入れない極秘の部屋にカケルとユリウスはやってきた。
全方位がガラス張りで、眺めが良すぎておっかない。
天井には照明がなく、巨大な石が宙に浮いているだけ。
あの石が強大な魔力を秘めた鉱石であることをカケルもユリウスも瞬時に見抜いた。
「あれほどの石、どこから持ってきた?」
「私が作った人工の魔石です」
この言葉にユリウスの表情が変わった。
酒津公任が優れた魔法使いであると認めたのだろう。
「ではまず皆さんの話を聞かせてください」
フカフカのソファに腰掛け、両手を豪快に広げ、これぞ社長といったでかい態度を見せる。
「じゃあ、どうして俺達がここに戻ってきたのか……」
酒津は虫を払うように手を動かしてカケルの話を制した。
「過去の話は結構。未来の話をしてください」
その言葉にユリウスは力強く頷く。
「気に入ったぞ、サカズキ社長! ならばわしの問いに答えよ!」
隣りにいたカケルを突き飛ばし、前のめりで喋りだす。
「シンラバーナの創造主であるお前に聞いておきたい。シンラバの支配者として認知されるには、何をする必要があると思う?」
「おまえ……」
やっぱり聖杯を発動する気だ。
嫌な予感しかしない。
「興味深い質問ですね」
酒津は即座に答える。
こういう質問が来るとはじめからわかっていたかのような速さで。
「シンラバーナには現在、五つの大型コンテンツがあります」
酒津に代わって説明すると、以下の通りである。
広大な天空世界で巨大なモンスターと戦う、エアーズハンター。
近未来の世界で激しいサバイバルゲームを楽しめる、ラバーナウォー。
日本の過去を舞台にした体感教育オンラインゲーム、日ノ本英雄伝。
世界中のテーブルゲームを楽しむことができる、ジョイフルワールド。
実在する車、あるいは架空の超高速マシンに乗って運転やレースを楽しめる、ラバーナツーリズム。
「これらのすべてで最高の成果を上げることができれば、事実上、シンラバーナの支配者と呼べるかもしれませんね」
その答えにユリウスの目が爛々と輝いた。
「サカズキよ。わしとカケルはシンラバーナで生計を立てたいと思っておる!」
「おい、なに勝手なこと言ってんだよ!」
カケルはあくまでバニシングの面々のペナルティを解除してくれと頼みたいだけでここに来たのだが、ユリウスは興奮しすぎてそれすら忘れているように見える。
「サカズキよ。これ以上わしに横暴を起こさせたくなかったら、わしらの魔力と技をシンラバでフルで活かせるように修正するのじゃ!」
ニコリと微笑む酒津。
「断る理由がありません。復旧作業が終了次第、わたし自身の手でシンラバーナに手を加えましょう」
「話のわかる男じゃ。ますます気に入ったぞ」
ニコニコなユリウスであるが、カケルは不安でいっぱいだ。
この酒津という男、伊達に聖杯として一万年生きていない。
言いなりになっているようでなっていない。
振り回されているようで振り回されていない。すべてその逆だ。
カケルがそうだった。
聖杯としての愚痴を聞いて、ふたつみっつと頼まれ事をしているうちに、いつのまにか自分が聖杯になっていた。
今もそうだ。
きっとユリウスは酒津のことを、ただのお人好し、ノーと言えない男、チョロいやつと思っているだろうが、そんなことはない。
既にペースは酒津にある。
「お二人にはその力を存分に駆使してシンラバーナの登録者数を大いに増やしていただきたい。それがわたしが望むものです。受け入れてくだされば援助は惜しみません。どこかで限界が来るでしょうが、できることならなんでもやりましょう」
「よいよい。五兆、六兆と増やしてみせよう」
「世界人口越えてるぞ……」
「ただしひとつだけ条件があります。今日のような手段は使って欲しくないということです。何度もこんなことが起こればさすがに我が社も倒産します」
「安心せい。今日のことはいわば事故じゃ。すれ違いでおきた不運な事故なのじゃ。狙ったわけではない。次からは真っ当にやるぞえ」
よく言うよ。あんなにブチ切れといて……。と冷たい眼差しをぶつけてもユリウスは勝手に話を勧めてしまう。
「サカズキ、早速貴様に頼みたいことがある。わしは今、戸籍がないのだ。これでは真っ当なやり方でアカウント登録ができんのだが、なんとかなるか?」
「もちろんです。最優先事項で進めておきます」
「あと、今宵のわしらは寝泊まりする場所がなければ、そもそも住む家もなく……」
ここでようやくカケルはユリウスを遮ることができた。
手で口を塞いだだけなのだけど。
「ふがふがふが!」
文句を言ってくる魔王など無視する。
「酒津くんにもユリウスにも言っておく。俺が地球に戻ってきたのは自分の家に帰りたかったからだ。だからもう帰らせてもらう」
乱暴に立ち上がるカケル。
むむむと顔を上げるユリウスと、きょとん顔の酒津。
「何を言うと思えば、貴様、社畜に戻るつもりなのか?」
「先のことは後で考える。とにかく俺はお前の野心に付き合うつもりはない!」
剣と魔法の大冒険は前の世界で十分やった。
生きるか死ぬかの苦労もさんざ味わった。
欲深く醜い人間をやたら目にした。
この期に及んでメタバースの世界で暴れろと?
冗談じゃない。
カケルが欲しているものは穏やかで退屈な日常、それだけである。
「帰る! 帰るったら帰る!」
駄々っ子のように叫ぶが、エレベータの扉がいつまでたっても開かないので、
「帰る! 俺は帰る! 帰るぞーっ!」
ただ叫び続ける男。
見かねた酒津がソファに備え付けのリモコンをいじると、公園の地下通路に続くエレベーターのドアが開いた。
いそいそと中に入る二代目の聖杯に初代が声をかける。
「志度さん……、これでお別れですか?」
「そうなることを願うよ」
エレベーターの扉が閉まる。
酒津は肩をすくめてユリウスを見た。
「追いかけなくていいので?」
ユリウスは笑っていた。
まだ余裕がある。想定内だったからだ。
「やつにとっては必要なプロセスというやつじゃ。なんだかんだ葛藤して、気まずい顔で戻ってくるじゃろ」
そしてユリウスは酒津を鋭くにらんだ。
「聖杯の代わりなんざ他にも大勢いる。そんな顔をしておるな」
言葉だけで人を殺せそうなくらいのオーラがユリウスの体からほとばしった。
穏やかな会談の場が一瞬で凍り付く。
酒津でなければ怯えるほどの圧力だっただろうが、かつての聖杯は大げさなくらいに笑って、その場の雰囲気をゆるくさせる。
「まさか。私はあの方をとてもリスペクトしています。あの方でなければあちらの世界を一つにまとめあげることはできなかった。ましてあなたのような強力な魔王と手を組むなど、他の誰にできたでしょう」
「ならよい」
ユリウスは立ち上がり、エレベーターの扉の前に歩く。
「貴様に言っておく。どんなことがあろうと、わしは志度カケルを見捨てるつもりはないぞ。あやつが向こうの世界でわしにしたようにな」
酒津は静かに頷いた。
「覚えておきます」
「ついでにあのバニシングという奴らも大目に見てやってくれ。奴らはただの踏み台に過ぎなかったのじゃが、気持ちが高揚しすぎて少々迷惑をかけた」
「あなたがそういうのであれば、そうしましょう。ところでそのエレベーター、戻って来るまで時間がかかりますよ。なにせこの高さですから」
立って待つのも何だから、お酒でもどうですかと誘う酒津に元魔王は言った。
「わしが酒を飲み交わす相手は一人と決めておる」
ユリウスの体が消え、酒津はおおと声を上げた。
「瞬間移動か! この星に来てたった1日でもうそこまで……」
恐ろしい人だ。
酒津公任は心からそう言った。
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