第7話 聖杯の条件

 カケルとユリウスにより、メタバース「ラバーナ」はシステム障害を起こし、ログイン不可能な状態になった。

 

 日本だけでなく、世界中のニュースサイトがそれを速報として報じ、ネットのトレンドは「ログインできない」といった文字で埋め尽くされる。


 カケルが想像していた以上にラバーナはでかかった。


 登録者数は五億。

 一日のアクティブユーザーは常時、七千万から一億を越える。

 運営するのは日本の企業で、その名はヤンファンエイク。


 彼らの本社ビルこそ、バベルの塔を思わせるあの巨大なビルだった。


 夜中だというのに本社ビルの前には大勢の報道陣があつまっている。

 一体何が起きた、ラバーナは安全なのか、企業として問題ないのかなど、グイグイ詰め寄る記者たちを、広報と思しき社員たちが必死でなだめている。


 そんな騒ぎを遠くから眺めるユリウス。トラブルが大好物だから気分は上々。

 

「大慌てじゃのう」


 わしがやったのじゃ、と名乗りたいほどだったが、そこは我慢する。


「運営にメッセージを送っておいた。この公園で待つとサーバーのあちこちに書き込んでやったわ。あとは連中がどう出るか、じゃな」


 公園とは、ヤンファンエイク本社ビルのそばにある大きな公園のことだ。

 カケルとユリウスはそのベンチに座っている。


「ということで、今日は野宿かのう」


 めんどくさそうに欠伸をするユリウス。

 この時間ではどこの宿泊施設も満員で宿が取れなかった。


 元魔王で大金持ちのお嬢さんだったユリウスであるが野宿に抵抗はない。

 むしろ嬉しそうですらある。


「ああ寒い、寒いのう。寒いったら寒いのう」


 大げさに体を震わせる。


「こうまで寒いと、どうすればよいかのう?」


 思わせぶりな視線を投げつけるユリウス。


 お前の体でわしを暖めるのじゃ、ほれほれ、というメッセージなのだが、残念ながらカケルには届かない。


「カメレオンの術でなんとかなるだろ」

 ただそれだけ。


「き、貴様……」


 魔王順応という誇り高きスキルをカケルは「カメレオンの術」と言う。

 ユリウスにとって最も腹が立つことである。


 カケルはスマホのニュースに夢中だった。


 ラバーナが落ちたことで世界中が大騒ぎになっている。


 世界中のユーザーが「アクセスできないふざけんな」と怒るだけでなく、突然のシャットダウンによって数億円の機会損失が生じたとかいう報道を見るとさすがに怖くなる。


 ニセラバーナはもはやひとつの国だった。

 自分がいない間にとんでもないことになっていたらしい。

  

 で、ユリウスはカケルの関心が自分にないことが気に入らない。


「つまらん!」


 ふてくされながらベンチに寝転ぶ。

 わざとらしくカケルの体に足をぶつけても、なんの反応もない。


「ええい、つまらんっ!」


 ふて寝モード発動。


 寝転がれば夜空が見える。

 あちこちにおっ立つビルの明かりのせいで星が見えない。


「夜だというのに、眩しいのう……」


 昔を思い出す。

 一緒に逃げようと手を差し伸べたカケルと、三日三晩飲まず食わずで荒野を歩いたこと。 

 あの時の空は星一つない暗闇だったが、ユリウスは嬉しかった。


 カケルといっしょにいられるだけで幸せだったし、聖杯を発動すれば立場や政治に縛られず普通の女の子としてカケルと暮らせる。

 聖杯スキルさえ発動すればいいのだ。ただそれだけでいい。

 その思いでいっぱいだったのう。


「おりょ?」


 ようやくユリウスは気づいた。


「……わしというやつは実に愚かであった。どこまで鈍かったのかっ!」


「ん、どうした?」


 様子が一変したユリウスに気づき、スマホから視線を外す。

 既にユリウスはその手をカケルにかざしていた。


「聖杯に告ぐ! 我は汝の所有者なり!」


 青ざめるカケル。

 彼もようやく思い出した。


 ここで魔法が使える以上、あの最強スキルも発動する。

 所有者の望みを何でも叶える聖杯スキルが!


「お、おいぃ! 何を言うつもりだ!」


 慌ててユリウスから離れる。

 驚きすぎて千鳥足になり尻餅をつく。それでもなお逃げようとするが、ユリウスは狂気の笑みを浮かべたまま、ゆっくりカケルに迫っていく。


「動くな……、もはや逃げられんぞ……」


「よよよ、よせ! やめろ!」


 カケルには拒否権がない。

 所有者が口に出したことは絶対だ。


「落ち着け! 一旦話し合おう!」


 この時点でカケルとユリウスはお互いに勘違いしている。


 カケルはユリウスが聖杯スキルを発動させて、かつて異世界でした世界征服を企んでいると思い、めちゃくちゃ拒絶している。


 一方、ユリウスは、誰にも邪魔されずにカケルと暮らすための安息の場所を求めようとしているから、カケルの拒絶を「遠慮」あるいはツンデレの「デレ」としか考えていない。それゆえに変態じみた笑みを浮かべる気味の悪い女になっている。


「よいではないか! よいではないか!」


「よせ、やめて!」

「ええい、わしの言うことを聞けい!」


 お互いの感情が頂点に達した時、間の抜けた「ブッブー」という効果音がどこからともなく響いてきた。

 

 あなたの願いは認められませんという意味である。

 

 このアホな音を何度も聞いてきた魔王にとって、この効果音は「カメレオン」と呼ばれるくらいに腹が立つ音であった。


「わしの言うことを聞けんというのか! 貴様の正当な所有者であるわしの命であるぞ!」


 もう一度、ブッブー。

 どこからともなく声まで聞こえた。


「あなたはいま聖杯の所有者ではありません。現在、聖杯の所有権は空白です」


「な、なんと!」


 ショックで膝をつく元魔王。

 ホッとした様子の元勇者。


「なぜじゃ……。七つの大陸を収め、七つの神器を手に入れ、七つの禁呪まで発動させたこのわしがお前の所有者としてふさわしくないと……?」


「かつてあなたが行った数々の業績はこの地球において何の意味もありません」


「うっ!」


 言われるとその通りなので反論できない。


「な、ならば告げよ聖杯。どうすれば再びお前を我が物にできるのか……」 


「ラバーナの支配者となることです」


 思わぬ条件に顔を見合わせるカケルとユリウス。


「お前が口にしたラバーナとは、あっちのラバーナか? こっちのラバーナか?」


「こっちのラバーナです」


 その言葉に魔王は頭を抱える。


「リアルに存在しない仮想の大陸をどう征服せよと……?」

  

 その時、背後から声がした。


「私がお役に立てそうですね」


 息を呑むほどの美少年がいた。

 サラサラの金髪。眩しいほどの笑顔。


 ユリウスにとっては見知らぬ青年であるが、思い当たる節はあった。


「ヤンファンエイクのものか。割と早く来たな」


 青年はニコリと微笑む。笑うたびに背景がキラキラ輝くような気がする。


「私の名前は酒津公任さかづきんとう。ヤンファンエイクの社長をしています」


 いきなり大物が来た。


 このわしにふさわしい応対じゃと得意げなユリウスの横で、カケルはその体を震わせるくらいに激しく驚いている。


「その声……!」


 これほどまで綺麗な顔立ちをした若者を見るのは初めてだが、声だけは聞き覚えがある。

 忘れるはずがない。

 こいつのせいでとんでもない目にあったのだから。


「きみは初代の聖杯……!」


 酒津公任は深々と頭を下げた。


「お久しぶりです。志度さん」


 異世界ではただの杯だった奴が、どういうわけか地球では超絶美男子になっていたのである。

 

 

 

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