第2話 ふたりのなりそめ
志度カケルが転移した異世界ラバーナは、持ち主の願いを何でも叶える究極のアイテム「聖杯」をめぐって血みどろの争いが起きていた。
その戦いは千年なんてもんじゃなく、万年続いていた。
人の醜さをいやというほど見続けた聖杯はすっかり嫌になってしまい、
「普通の杯に戻りたい……」
と強く願う。
その祈りが届いたのか、聖杯のもとに志度カケルが召還される。
初代聖杯からすべてを押しつけられたカケルは生きながらにして、チートアイテム「二代目の聖杯」になった。
そしてカケルをめぐって世界大戦が起こる。
初代聖杯は人間の欲深さに一万年耐えることができたが、二代目は三ヶ月も持たなかった。
金銭の誘い、権力の譲渡、色欲の誘惑をすべて拒絶し、山奥に引きこもる日々。
――――――――――――――――――――
魔王ユリウスが巫女の振りをしてカケルに接触したのはその時期である。
その莫大な魔力でカケルを操って聖杯を我が物にすることでラバーナを牛耳ろうという魂胆だったが、ハプニングが起きた。
あまりに欲のない平々凡々な志度カケルに安らぎを感じてしまったのである。
さらにまずいことに、
「何もかも忘れてカケルと静かに暮らしたい」
という願いをカケルのスキル「聖杯」が聞き入れてしまい、ユリウスは魔王としての記憶を失い、カケルと甘い日々を過ごしてしまった。
その三ヶ月間はユリウスにとってもカケルにとってもかけがえのない日々であった。ユリウス本人は認めないだろうが。
結局、主を失って途方に暮れた部下たちの捨て身の行動によってユリウスは記憶を取り戻し、カケルの「聖杯」を再度発動、世界を我が物にする。
そして自分以外に聖杯を発動させるものが出ないように、カケルを深い谷底に落とした。
こうして異世界ラバーナはユリウスのものになった。
しかし、彼女にとっては退屈と孤独の始まりでもあった。
愛する男を自ら殺めたことで精神を病み、カケルとの日々を忘れることもできず、政務がおろそかになり、その隙を叛骨の部下に突かれて各地で内乱を生じさせてしまう。
再び戦乱の世界。
戦いに疲れ果てたユリウスに、深い谷から這い上がってきたカケルが姿を現す。
ひどい目に遭ったというのにカケルは笑顔で手を差し伸べた。
「一緒に地球に行かないか」
そしてユリウスはカケルの手を取った。
地球で静かに暮らすという目的のため、密かに手を組んだ魔王と勇者。
地球に行くためなら何でもやったると暴走する魔王。
急ぐな落ち着けとユリウスを必死の思いで制する勇者。
そんなことを繰り返しながら、どうにか地球に戻ってきた。
そして地球来訪初日でユリウスはやらかした。
いったい何があったのか。
――――――――――――――――――――
「去れ。醜い奴らめ」
魔王ユリウスは絡んでくる若者たちに素っ気ない態度を取る。
それどころか、たかってくる虫を追い払うような仕草までする。
「臭い、ああ臭い。貴様らの悪臭で頭がおかしくなりそうじゃ」
男たちの表情が変わる。
誰だって臭いと言われればショックだし腹も立つ。
ムキになった男たちは、まるで赤い布を見た闘牛のような勢いで絡み出す。
ユリウスには男を狂わせる魔性の魅力があるようだ。
容姿もスタイルも男性を惹きつけるのに十分であるが、ユリウスにしかない気品というやつが男たちを異常に熱くさせてしまうらしい。
かつての異世界でもユリウスを手に入れたくて戦を仕掛けた馬鹿な支配者が大勢いたほどである。
しかしそういう連中はことごとく返り討ちにされた。
ユリウスにだる絡みしている男たちも同じ悲劇に遭うわけだが、彼らは絶対にやってはいけない失態を犯してしまうことで、かつてユリウスにボコられた支配者以上の地獄を味わう羽目になる。
最初のきっかけは、グループで一番の巨漢がユリウスの腕をつかんだことだ。
散々こけにされたことで鼻息が荒くなり、いっそ力尽くでユリウスをモノにしてやろうと強引に出たはいいが、ユリウスは格闘に関しても達人と言っていいほどだから、自分より二回りも大きな男も軽く投げ飛ばした。
これで男たちは完全に切れた。
ふざけんなとユリウスを囲み、人通りの少ない路地裏に強引に誘導する。
「つまらんことを」
これくらいで怖がる魔王ではない。
くだらん連中だと冷笑を浮かべながら去って行こうとする。
そうはさせじと一人の男が乱暴に伸ばした手が、ユリウスの肩にかかっていたポシェットに触れる。
紐が切れてポシェットが地面に落ちる。
中身がこぼれる。
出てきたのは小さなノートと万年筆。
ユリウスの表情が変わった。
しまった。という顔。
その顔に気づいた男たち、これ見よがしな行動に出る。
ユリウスへの腹いせから、ノートと万年筆をぐしゃぐしゃ踏みにじった。
何度も何度も踏み続けた。
これが大失態。
ユリウスの魔力が解放されたのはその瞬間だった。
見る見るうちにボロボロになっていくノートと、傷だらけになる万年筆を見て、ユリウスもまた昔を思い出さずにはいられなかったのだ。
――――――――――――――――――――
かつてが魔王が支配した異世界ラバーナ。
魔法がなければ登っていけないほど高い山の中腹。
二代目の聖杯になった志度カケルは山小屋の中でひっそりと暮らしていた。
自分がいなければ戦争なんか起きないと考えた彼は、死ぬまでここで暮らそうと考えていたのだが。
魔王ユリウスが身分を偽ってカケルに接触し、聖杯スキルを発動させようと企んだが、先に説明したように、いろいろあって記憶を失ってしまう。
カケルはユリウスの正体を知らぬまま、その身を保護する。
二人きりの生活が始まった。
この世界にはもうカケルとユリウスしかいないような、そんな時間が流れる。
記憶を失ったユリウスは景色をぼんやり眺める日々をしばらく過ごしていた。
そんなユリウスに温めたミルクを差し出すのがカケルの日課だった。
そんな時期のことである。
「何か思い出せそうですか?」
カケルの問いにユリウスは首を振る。
「なにも」
ユリウスは灰色の瞳でじっとカケルを見つめる。
「記憶を失う前のわたしは、頂上にある神殿で巫女をしていた。そう言ったのですよね……?」
「ええ……」
「でも違っていた。私は神殿でお勤めなどしていなかった。私は嘘を言っていた。けれど真実が何だったか、私自身がわからない……」
溜息を吐き、両手で顔を覆うユリウス。
「いずれ思い出します。だから今は長めのお休みだと思って、ここでゆっくりしていればいい」
カケルはそう言ってホットミルクを差し出す。
木製のマグカップを大事そうに抱えながら、ユリウスは静かに呟いた。
「もう、記憶なんか戻らなくてもいい……」
「ええ?」
記憶を失ったユリウスはしとやかになっただけでなく、カケルがどぎまぎするほどの大胆さを見せる。
「愛しています。カケルさま」
何のためらいも無くカケルの胸に顔を埋める。
今なら絶対にできない。やらない。
妄想するだけである。
「ええっ!?」
驚きのあまり硬直するカケル。
こんなこと、人生初だった。
「あなたと一緒なら、昔のことなんかどうだって……」
「そんなこと言わないでください。あなたがいなくなって辛い思いをしている人がたくさんいるはずだから」
しかしユリウスは激しく首を振る。
「記憶が戻って、あなたのことを忘れてしまったらと考えると怖くてたまらない。なら何も思い出さなくていい。いつまでもこうしていたい。それだけなのです」
「それじゃあ、ダメなんです。あなたはこんな山奥で暮らしていい人じゃない」
その魔力。気品。内に秘めた熱意。その優しさ。
この人こそ上に立つ人物だとカケルは確信していたが、まさか魔族の生まれだとは考えてもいない。
一方、ユリウスはカケルの真意がわからず、不安になる。
「カケルさんは、わたしが邪魔ですか……?」
「そんなこと……!」
あるわけがない。
本当なら自分の中にある聖杯を発動させて、この人を地球に連れて帰りたい。
だけどそれはダメなのだ。
彼女をあるべき場所に戻さなくてはならない。
だけど、この時間を手放したくもない。
そんな迷いの中、カケルは閃いた。
「……ちょっと待ってくださいね!」
小屋からある物を持ってきた、
それがあのノートと万年筆だったのである。
「俺が故郷にいたときに使っていたものなんです。何か考え事をしたり、何かに気づいたり感じたことがあったら、書いて、後で読み返すと、面白いんですよ。もしかしたら書いているうちに記憶が戻るかもしれない」
日本製の万年筆はラバーナにある同じものとは比較にならないほど質が良い。
それに気づいたユリウスは首を振った。
「こんな高価なもの、いただくわけには」
「もらってください。とにかく書きまくるんです。記憶が戻ったとしても、ここに書いてあるものを読み直せば、俺たちのことを忘れないで済むかもしれないし、むしろそうなって欲しい……」
赤面しながら語るカケルを潤んだ瞳で見つめるユリウス。
カケルは勇気を振り絞る。
「だから、記憶が戻らなくてもいいなんて言わないで、記憶が戻っても、ずっと一緒にいましょう……」
そしてユリウスを抱きしめたのである。
――――――――――――――――――――
地球の若者たちが踏み潰したノートと万年筆には、そういう過去があった。
そりゃ、まあ、切れるだろう。
「おんどりゃあ、なめくさりやがって!」
故郷の方言を垂れ流しながら。ユリウスはその右手から炎をぶっ放した。
「手加減無しじゃ! 覚悟せいよ、わらあ!」
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