4.3 不安
4.3.1 内乱
ヒ大陸はほぼ真四角の形をしていた。ほぼ真四角ではあるが、東部は北から南にかけて、海が長く狭く入り込み、リスの尻尾のような細長く、けれどヒ大陸の二割ほどの面積を占める半島が存在していた。
ヒ大陸に住まう人々は、概して西部は保守的で、東部に行くほど大陸の外の文化と触れ合う機会が多く、開明的である。
ヒ大陸には他の大陸からの移民も含め、多種多様な民族が暮らしていたが、痩せた土地が多く、昔から争いが絶えなかった。
やがて、その有象無象の国家とも呼べない共同体の中から、今の帝国に繋がる勢力が現れ、五百年ほど前には大陸のおよそ八割を支配するにまで隆盛を極めた。
しかし、その栄華に待ったをかけたのが、リヒト教を国教とするライトグレイス共和国である。
およそ三百年ほど前、帝国の統治が及ばない、イーストランドと呼ばれる東部の長大な半島の先端に興ったこの国は、瞬く間にイーストランドを統一してみせた。
そうなれば元より貧しい土地が多いヒ大陸のことである。帝国に連なる属国とも争いが起こることは必然で、ライトグレイス共和国はその度に支配領域を拡大することに成功してきた。
これは、元よりヒ大陸における帝国の支配領域八割のうち、直轄領が半分でしかなかったことが大きい。帝国も属国の求めに応じて軍隊を派遣しているのだが、結局のところ、間に合わないことが多く、帝国が属国に基地を作ることを決定し、形になるまでには、属国のおよそ半数がライトグレイス共和国に吸収されていた。
これが、スヴァンテの記憶の中の帝国の歴史で、そしてここからは、恐らく後世の帝国史の教科書に載るであろう、僕らが生きた時代の話である。
* * *
「なるほど、こう来るのか」
今日は、イビガ・フリーデ所属のヴェヒターのほとんどが任務で出払ってしまうとのことで、いつものブリーフィングルームで、なぜかクライトン支部長と一緒に、待機という名の暇を持て余している。
その支部長が、帝国の歴史ある新聞〝インペリアルプレス〟の夕刊を読みながら、先程、呟いたところだった。
「何がどう来たんですか?」
どうせ暇なのだ。独り言に付き合う時間には事欠かない。
だが、件の邪教認定以来、ヴィエチニィ・クリッドらしき者の姿を見ることはなくなったが、代わりにケモノが増えていた。だからこうして、支部長までもが出動待機をせざるを得ないのだ。
「帝国院議員の強硬派が邪教認定を大義名分にして、共和国への侵攻を主張しているらしい。まあ、属国のために、口先だけでも主張しておきたいのは分かるけどな。だけど――」
「また、ケモノが増えますね」
「そうだな」
戦争はヒトを不安にさせる。
帝都市民のように何百年も戦争と無縁に生きてきたヒトの中には、高揚して強硬派に同調する者も多いだろうが、それでも普段よりは不安な気持ちになる者が多くなることは、想像に難くない。
「これもリヒト教が狙っていたことなんでしょうか?」
「さあな。だとしても、分派とは言え神を奉じる教会が、多数の死者が出るようなことを望むなんて、信じたくはないがな」
そうして三月下旬、帝国東部、つまりライトグレイス共和国に近い属国で起きていた内乱は悪化の一途をたどり、抗しきれずに共和国の支配を自ら求める国まで現れ始めた。そしてこれが共和国のいつものやり方だった。
そういう動向もあってか、遅ればせながら帝国院が前線付近への鎮撫を決定する。皇帝も即座に承認し、インペリアルプレスなどの新聞各社は大々的に報じたのだが、それがやはり人々の不安や憎しみを増幅させたのか、ケモノの出現情報は日に日に増えていった。
それから一週間、支部長を含めたイビガ・フリーデ帝都支部のヴェヒターは、昼も夜もなくケモノを狩り続けた。グロリアが戻ってくれば少しは楽になると思うのだが、それはそれで、今の状態では事務方の負担が増えることにもなるので、追加の人員を送ってくれない本部を恨むばかりだった。
そうこうしているうちに出動回数は落ち着いてきたものの、しかし、ケモノを何かに利用しているという推測を裏付けるように、邪教認定以来、鳴りを潜めていたヴィエチニィ・クリッドが目撃される回数が、徐々に増えてきている。
ケモノの取り合いで口論になることはあったが、それでも衝突することはなく、この状況が早く収まればいいのになどと、このときの僕はまだ他人事で、そして楽観的に過ぎたのかも知れない。
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