4.2.5 邪教

「あの、そこのあなた。隣にお邪魔してもよろしいでしょうか?」


 それは二月下旬に差し掛かろうかという、ある天気がいい日のことだった。

 第五区画で買い物を済ませ、以前にジェイニー・ロザリーとばったり出くわしたベンチで休憩していると、冬の陽光のように柔らかい表情をした、ブロンドの女性から声を掛けられたのだ。

 見た目は、若い。

 編み込んだ前髪を左から後ろに流し、後ろ髪とともに真っ白なリボンでまとめている。

 服装は、大きなフリルの白いブラウスに白いコルセットスカート、そして白地に瑠璃色の縁取りがされたケープを纏っていた。

 そのケープは、リヒト教の聖職者であることを示していたが、それは隣に座ることを拒む理由には充分ではない。

 もう一つ、拒みたい理由はあるのだが、それもやはり決定的な理由には成りえないものだ。

 だから僕は「どうぞ」と、愛想の良い顔も作れず、当たり障りもない返事をした。

 わざわざ隣に座る、というからには用事でもあるのだろうと思っていたが、ぼんやりと空を見上げながらの日向ぼっこを決め込む視線の端で、彼女はどうやら僕のことを見ているだけで、特に話しかける素振りもない。

 作り物のように整った、楚々とした佇まいの女性からじっと見られるというのは、悪い気分ではないはずなのだが、相手が相手だ。実に、気まずい。


「あの、リヒト教の聖職者様が何か御用ですか?」

「いえ、別に。教会からあなたが見えて、それでちょっと興味があっただけです」

「……それはどうも」

「よくここに?」

「ええ、まあ」

「そう。これもライゼ神のお導きかも知れないですね」

「……リヒト教の聖職者の方が、ライゼ神の名を口にしてもいいんですか?」

「いいと思いますよ。ナハト、エルデ、ギューテ、ヤクト、それにライゼ。皆、アイン神の一側面に過ぎないでしょう。一側面なのだから、それに神を付けたとしてもなにも問題はないはずです。あなたもそう思いませんか?」

「リヒト教にも色々な人がいるんですね」


 僕の視界の中で、ヘーゼルの瞳が光彩陸離として揺らめいたように見えた。


「そうですね。私は特に」


 彼女は温かに微笑み、恐らくその柔らかい顔のまま、直視できずに顔を背けた僕に言う。


「それでは私はこれで失礼します。お話が出来て光栄でしたわ、オルマンドベルの英雄さん」


 その言葉が脳に届き、慌てて顔を向けたときには、彼女はもういなくなっていた。



 *  *  *



 それから一週間後の朝。

 クライトン支部長が遥々エコー大陸の本部に送った報告書の返事は、思わぬ形で現れた。

 教務所に集められた司祭、助祭、そして職員を前に、帝都大聖堂の〝表〟のトップであるエレン・シャーヒン司教が、慣れた手つきで書状を広げて読み上げる。


「それでは皆さん、ケスティルメからの緊急通達を読み上げます」


 途端に教務所はざわめくも、司教の隣で生真面目な顔を作っているクライトン支部長が「静粛に。最後まで聞くように」と言えば、すぐに雑音は収まった。


「内容は一つ。『二月末日をもって、分派のリヒト教を邪教と認定する』とのこと」


 教務所に再び様々な色の声が走り、今回も支部長が咳払いで大人しくさせる。


「司教、続きを」

「うむ。『邪教と認定するも、我々が何かをすることはない。引き続き神々への祈りに精励すべし』。以上、解散」


 辺りはまたざわめき始めたが、イビガ・フリーデの面々はそれに混ざることなく、静かに地下のブリーフィングルームへと、誰が命令するでもなく集まった。


「あー、悪いけど、ジェイニーはいつも通り仕事をしててくれ。浄眼じゃないと関係ない話をするもんでな。あ、グロリアはそのまま残ってくれ」


 最後に入ってきた支部長がそう言うのだから、これからの話はヴェヒターにだけ関係があることなのだろう。もっとも、僕は間接的に報告書に関わっているから、内容についてはおおよそ想像がつくのだが。


「さてと、全員いるな。さっきの司教からの発表だが、ヴィエチニィ・クリッド絡みだ。この中にも奴らがケモノを捕えている現場を目撃した者がいるが、奴ら、ケモノを魔石に加工する上に、その魔石を使って動物を魔物にしている疑惑が出てきた。すぐに邪教認定するくらいだから、ケスティルメもある程度は情報を掴んでいた可能性があるがな。だからと言ってヴィエチニィ・クリッドの連中を攻撃するような真似はするなよ? 邪教認定はあくまでも、政治の話だからな」

「そうなると、今まで通りでいいということですか?」


 ギュンターが眉をひそめ、少し困ったような顔で確認する。


「ああ、リヒト教とヴィエチニィ・クリッドに対してはその通りだ」

「対しては?」

「そうだ。もう一個伝えなければならないことがある。それは、魔石をシクロで攻撃しないこと、だ」

「どういう、意味ですか?」


 彼の眉は相変わらずで、今度は全く分からないという顔に見えた。


「魔石はシクロで破壊できる。そして破壊したら、厄介なことに中から黒靄こくあいが出てきやがる。黒靄なら大したことないと思うだろ? だが、スヴァンは吞まれてケモノに憑かれた。相手がケモノでもないってのに」


 静かな室内で唾を飲む音が目立つ。


「ついでに魔石の話をしておくが、ビュークホルカ共和国とハレ大陸の一部だけで使われている魔石魔法を、今んとこ、スヴァンが研究中だ。これがケモノに有効だと分かり次第、採用してみたいが、今はまぁ、ケモノ憑きになられても困るから、スヴァン以外は魔石に触るの禁止な。……あ、そうそう。邪教認定を発表すると、帝国院議会がリヒト教の締め付けを厳しくするだろうから、ヴィエチニィ・クリッドの連中も少しは大人しくなるかも知れないな。俺たちが何もしなくても、勝手に商売敵が弱体化するんだから楽なもんだな」

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