4.3.2 薄曇り

 それは四月半ばの薄曇りの日だった。

 ケモノ狩りに忙殺される最中に実験していた魔石の魔法は、ケモノには効果が無いという結論に落ち着き、僕の心は今日の空模様のようにぼんやりとしている。だが、面白いことに魔石そのものはケモノに当たることが分かった。一応、いざというときに投げつけることも想定し、持ち歩いてはいるのだが、幸いなことにその機会は訪れていない。

 そんな心持ちでいつものブリーフィングルームで待機していると、夕方よりは少し前にジェイニー・ロザリーが呼びに来た。支部長も含めた三人で教務所へと向かえば、そこで待っていたのはエレン・シャーヒン司教、グロリア・ホルスト、そしていつか見た公安警察の捜査官の三人だった。


「あー、帝都公安警察の警部補のヴィクトル・エリクソンです。ある事件について、話を伺いたいんですがね」

「事件……というのは?」


 司教が落ち着いた声音で問うも、その眉尻は下がり、どこか不安な面持ちである。


「そちらのギュンター・アルデンホフ司祭が何者かに殺害されましてね」

「……なんてことだ。それで、我々からどんな話を聞きたいというのですか?」

「それで……それで、アルデンホフを殺した犯人は捕まったのか!?」


 司教は右手で口を覆って如何にも驚きを隠せない様子であり、感情を露にして声を大きくした支部長とは対照的であった。

 グロリアも手で口を覆っていて、僕に至っては目眩を覚えるほどに動揺している。恐らくジェイニーも同じような状態だろう。


「まあまあ、落ち着いてください。まず、犯人は捕まっておりません。そして、詳しくはお話しできませんが、死体……おっと、ご遺体の状況から、ほぼ他殺で間違いないと思っていますが、何分なにぶんにも捜査が進まないと、なんとも言えない状態でしてね」

「ええ、ええ、事情は分かりました。公安警察に協力するのは吝かではありませんが、つまり、教会の中に犯人がいるかも知れないと疑ってらっしゃるのでしょうか?」

「いいえ、そんなことは言っておりませんよ。そちらに犯人がいるかも知れないし、いないかも知れない。何か重要な証言が得られるかも知れないし、まったく得られないかもしれない。ともかく今は情報を集める段階なのでね。じゃ早速、怪奇現象調査室の皆さんから聞き取らせてもらいますよ」


 それから、どれくらい時間がかかったかは覚えていない。

 恐らく、アリバイや交友関係などを聞かれていたのだと思うけど、そのときは心と体が離れているような、そんな自分が自分ではないような心地だったことと、明日も来ると言っていたことだけは、なんとなく覚えていた。

 ジェイニーとグロリアは聞き取りが終わった後、そのままギュンターの家に向かった。支部長も、司教と打ち合わせを済ませてから向かうそうだ。

 僕は待機を命じられて、心のどこかで安堵していた。

 けれど、ブリーフィングルームはこんなに寒かっただろうか。

 任務に出ているエリーヌさんはまだ戻ってこない。何かあったのかも知れないと胸騒ぎがして、同時にギュンターのことを思い出す。

 遺体の状況から殺害されたと、場数を踏んでいそうなヴィクトル・エリクソンが言うのであれば、ほぼ間違いなく、ギュンターは殺されたのだ。

 どうやって?

 疲労で支部長から強制的に休まされたといっても、彼もヴェヒターだ。オイレン・アウゲンは訓練も兼ねて常に展開しているはずである。そんな彼を――

 いや、そんなことを考えていてもどうしようもない。いくら常人が持っていない能力を持っていたとしても、その体は正しくヒトなのだ。拳銃やライフルでもあれば、離れたところから殺すことは容易い。

 通りすがりにいきなりナイフで刺されるというのも、よほど黒靄が発達していなければ、その対応は不可能に近い。

 そう考えれば、すぐ近くまで死が迫っているように思われて、寒気と共に振り向くが、やはりそこには誰もいなかった。


「スヴァン、なにがあった」

「あ、あ、ああ、……ああ、良かった。エリーヌさんもニールさんも無事だったんですね」


 要領を得ない僕に、支部長の次に長い経歴を持つニールさんが、ゆっくりと言葉を出す。


「落ち着いて何がったのか話せ」

「あの、帝都公安警察が夕方来まして、ギュンターが殺害されたと」


 エリーヌさんは目を伏せ、ニールさんは腰に手を当てて顔を左右に振って黙る。

 ニールさんもエリーヌさんもベテランだ。ケモノと向き合う仕事上、いくつもの同僚の死に向き合ってきたであろう二人も、やはり辛いものは辛いのだ。


「それで、犯人は?」


 普段冷静なニールさんの声も、幾分か震えているように聞こえる。


「まだ、何もわかっていないそうです」

「くそ! あいつらの仕業だ!」

「もしかして心当たりでもあるんですか?」

「そんなもの、リヒト教の奴らに決まっている。邪教認定された腹いせに、ヴィエチニィ・クリッドでも動かしているんだろうよ」

「でも、だからって……、エリーヌさんもそう思いますか?」


 露骨にイライラしているニールさんを横目にエリーヌさんに聞けば、やはり彼女も頷いた。


「そんなところだろう。あっちはあっちで自分たちの正義があるからな」


 正義。

 確かに宗教に正義はつきものだ。

 正しい行ないを定義し、無条件に信奉するからこそ、宗教であるとも言える。

 だけど、リヒト教がやっていることはどうなのだろうか。

 ヒトを不安たらしめ、ケモノを生み出し、ケモノを元に魔物を生み出す。

 その魔物が更にヒトの不安を高め、ケモノと魔物が生産され続ける永久機関。

 それは実に宗教であるけれども、少なくとも僕の正義に照らし合わせれば、到底正義と呼べるものではないのだ。

 しかし、正義だ。

 彼らは自らの信仰する正義のために行動し、正義に殉じる。

 僕が「お前たちは悪である」とどれだけ声高に叫んだとしても、それは結局、自分の正義を貫かんとする彼らには、届きはしない。

 僕の断罪など、ただの小さな邪教認定であって、改宗の決め手にはならないのだから。


「スヴァン、大丈夫か?」

「……大丈夫です」


 ニールさんと話をするのも、とても懐かしい気がした。

 それだけ、疲れてしまったのだろうと思う。


「お前は待機か?」


 エリーヌさんが短く言う。


「ええ、支部長に言われて」

「分かった。ここは私たちに任せて早く帰れ」

「いいんですか?」


 けれど、僕は結局、帰ることができなかった。

 イビガ・フリーデの事務方の一人が、ブリーフィングルームに駆け込んできて言ったのだ。


「ロザリーさんが何者かに襲われました」と。

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