4.1.8 ジェイニー・ロザリー

「さて、約束だな」


 第三区画での一件は、オフチャクに心ばかりの嫌がらせをしたものの、やはり心はもやもやしていた。

 だが、こうしてブリーフィングルームで落ち着いた途端に、僕の頭に現場の状況が次々と蘇り、エリーヌさんの判断が間違いではなかったと、腑に落ちた。


「その件でしたら、もう分かりました」

「言ってみろ」

「一つは事件当時、近くにいたにもかかわらず、発砲音が聞こえなかったこと」


 エリーヌさんは無言で小さくうなずいて先を促す。


「一つは、レンガの壁です。弾痕にしては綺麗すぎました。帝都公安警察の現場検証が終わった後とはいえ、金属片が全く見つからないのはおかしい。最後はヴィエチニィ・クリッドのオフチャク。恐らく被害者のクラース・エーケバリは、彼らと揉めでもしたのでしょう。それらを考慮すると、僕らと同じように銃のシクロを発現できる者が、脅すために急所を外して発砲したのだと思います」

「そうだな。私も同じ意見だ」

「ただ、そうなると被害者の今後が心配ですが」

「我らの使命はケモノを狩ることだ。割り切れ」

「……はい」

「やはり、お前は変わったな」

「そうでしょうか」

「そうだ」



 *  *  *



 僕は、スヴァンテに偽装している僕は、変わったと言われることが増えた。

 顔も、声も、体もスヴァンテのままなのだが、結局、いくら記憶があっても、そこには僕という他者を主体とした記憶が混ざるのだ。そうなれば、やはり様々なところで違和感が出てしまうのもやむを得ないと言える。

 ただ、だからといって別人だと言われることも無かった。

 本当のところ、周囲はどう思っているのだろうか。

 特に、遥か北東のカナル大陸に、今も住んでいるであろうスヴァンテの家族は、今の僕と話をしたらどう思うのだろうか。

 或いは、アパートメントの大家さんだ。今の施療所生活が終わったら、あの好々爺はどんな顔で迎えてくれるのだろうか。そして、僕はいつまで大聖堂の施療所で暮らさなければならないのだろうか。

 けれど、僕は本当に須田半兵衛なのだろうか。本当はスヴァンテ・スヴァンベリの魂がまだこの体に主として残っていて、ただ、須田半兵衛の魂が混じり合ったがために、自分が須田半兵衛だと思い込んでいるだけなのかも知れないと、もう何が真実であるかも分からないことを考える。


 ああ、それにしても今日はいい天気だ。

 冬の陽射しは実に暖かく、いつだって不安な心をほぐしてくれる。


『お前、疲れてるだろ。明日休め』


 クライトン支部長がいつもの口調で休みをくれて、僕は何にも警戒せずに一人の市民として帝都の街を楽しみたいと願い、そして第五区画の広場で一息ついていた。

 第五区画こと新街区には、延焼を食い止めるため、所々広場があり、ベンチも設置されていた。スヴァンテもお気に入りの場所であったらしく、こうして実際に味わってみているのだ。

 だが、僕が何の気なしに飲食店の多い広場を選び、ベンチに腰掛けたところで視界に入ってきたのは、リヒト教帝都大教会の荘厳なファサードだった。

 傭兵スヴァンの記憶でも、スヴァンテの記憶でも、そして僕のつい先日の記憶でも、どうもリヒト教の印象は芳しくない。外観にしても、簡素なシェスト教の大聖堂とは違って随分と凹凸が多く、目に見えるところにばかりお金をかけているようにしか感じられなかった。


「あれ、スヴァンテさん。こんなところで日向ぼっこですか?」


 やや気持ちが沈んだところで、今日の麗らかな陽射しに似合う、呑気な女性の声が聞こえてきた。

 声の主を見遣れば、そこにいたのはふわりとした茶色の癖毛に、少し垂れた焦げ茶の瞳。小首を傾げたジェイニー・ロザリーが、茶色の紙袋を抱えてそこにいた。

 白地に赤のストライプが入ったシンプルなブラウスと臙脂のコルセットスカート、それと膝上まである臙脂のケープが実によく似合っている。


「そんなところです」

「うふふふふ。冬のお日様って本当にいいですよね。私も大好きです」


 ジェイニー・ロザリーは、こういう娘だった。

 支部や大聖堂にいるときは、これでもかと冷たく事務的で、感情がない話し方をするのだが、職場から出てしまえばご覧の通りである。このギャップに大聖堂の男性たちは誤解するのだ。

 そして、告白し、フラれてしまう。

 さらに大聖堂の上層部にも話が知れ渡り、説教の一つももらって精神的に参ってしまうのだ。スヴァンテは、そういう男どもを何人も見てきた。

 だから、僕はあまり仲良くなりたいと思わない。

 思わないのだが、それでもやはり、自分なりにこの時代の情報を感じなければいけないとどこかで思っているから、日常会話は欠かしてはならない。

 或いは、ただの憶測にしか過ぎないが、件の男性たちの話が上層部に知られるということは、ジェイニー・ロザリーが上層部から何らかの密命を与えられている可能性もある。そう考えると、尚更、話しかけてきた彼女を、無下にするわけにはいかなかった。


「そちらは今日はお買い物ですか?」

「ええ、そうなんですよ。私も今日はお休みなんです。奇遇ですよね」


 僕の目に映る彼女の黒靄は、特別大きいことはない。支部で会うときとほぼ同じ大きさだ。何か負の感情を抱いて接してきていれば、それは黒靄になって表れることもあるが、少なくとも、悪い感情をもって僕に声を掛けてきたということではなさそうだ。


「それにしてもスヴァンテさんは変わりましたよね」


 また、言われた。いったいどこがスヴァンテ・スヴァンベリではないというのだろう。


「自分ではそうは思ってないんですけど、最近よく言われますよ。具体的にどの辺りが変わったんでしょうか」

「うーん……そういう話し方とか、あと、前は〝僕〟なんて絶対に言わなくて、〝俺〟って言ってたとか、そういう辺りですね」

「分かった、参考にするよ。ありがとう」

「あー! 今、無理矢理、前の喋り方に直しましたよね。女の子はそういうのすぐに分かっちゃうんですから、やめた方がいいですよ」


 少し頬を膨らませる彼女に、僕は短く「気を付けます」と言い、それで満足したのか彼女は「それではまた明日」と笑顔で去っていった。

 それから再び空を仰ぎ、一人ベンチで陽射しを取り込もうと目論んでいたところで、隣に誰かが腰をかけ、キィと小さく軋む音がした。

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