第40話

 「それなら、どうして……ですか?」


 モンチの口調からは、先程のような刺々しさが、少しだけ薄らいでいた。


 「ボクの気持ちがおかしくなったのは、サヤさんが今でもタケさんと繋がりがあると、知ってからです」


 「嫉妬したってことですか?」


 モンチの問いに、佐伯は首を横に振る。


 「それを知ってからは、ずっと唇の震えが停まらず、眠れない日々が続きました。気づけばボクは、サヤさんにタケさんのことばかり訊いていました」


 モンチは不可解な顔をしながらも、――確かにそうだった――と思い起こすように深く頷いた。


 「それが段々と縁であるような錯覚をしてしまったのです」


 「……」


 「そしてボクは、見計らうようにして、――タケさんと会わせて欲しい――とサヤさんにお願いしました。その時は、ただタケさんと会いたいという思いだけでした。一度っきりで良い。それで全てに踏ん切りをつけて、ボクはサヤさんと結婚する。そのつもりだったのです」


 その時、オレは、何となく自身の記憶の探りどころが、どの辺なのか判った気がした。そして佐伯がわざわざこの公園に呼んだのも納得し始めていた。


 「しかし、実際に会ってしまうと、その衝動は激しくなる一方でした。それからは毎日タケさんのことばかり考えていました」


 「……やっぱりよく判んないんですけど」


 モンチは意味不明とばかりに眉間に皺を寄せている。


 「つまりボクは、サヤさんを利用して、タケさんに近づいたんです」


 「??」


 「申し訳ありませんでした。本当に悪かったと思っています」


 佐伯は立ち上がってモンチに深く頭を下げた。


 「つまり佐伯さんは駅前キネマ館の常連さんだったってことですか?」


 オレは、今はイタリア料理の店となっている駅前キネマ館があった場所を指して言った。


 彼自身のことを思い出すことは出来なかったが、それだけは判った。なぜならオレがバイトをしていたこのポルノ映画館館は、常連、或いは顔馴染みと呼ばれるゲイの溜り場だったからである。


 彼は下唇を噛んだままコクリと頷いた。


 「はぁ? ホントによく判らない。何なのよ、もう」


自分だけ蚊帳の外に置かれたモンチのイライラが頂点に達したようだった。


  「つまりね。ボクは昔……。今もかもしれないけど、ゲイだったんだよ。だから……」


 「だから、何ですか!」


 モンチは訳が判らないま気持ちを爆発させた。


 「憶えていませんか? アパートまで後をついて行って、タケさんに怒鳴られたことがあるんですが……」


 ……思い出した。


 目の前にいる佐伯と客であったあの役者が合致した。あの少年の様な白皙の人が佐伯だったことに内心驚いていたが、オレは思い出せない振りをして首を傾げた。その方が良いと判断したからである。


 彼は、週に一度、駅前キネマ館に必ず訪れる常連であり、憶えているのは、彼が持ってくる千円札はいつも発券機が受け付けないということだった。


 それで彼はその千円札を受付まで持ってくるのだが、そのお札は不自然に折られた跡あり、その時オレは何となく言ったのだ。


 「このお札って、おひねりですか?」


 「はい、そうです。大衆劇場で役者をやっていますので」


 「へぇ、凄いですね」


 そんなやり取りがあった。会話を交わしたのは、おそらくそれ一回っきりだったと思う。


 ただそれの何がいけなかったのか、その後しばらくその男につけ回されることになった。ずっと映画館のロビーに座って、こっちを見つめるようになり、近くのコンビニで立ち読みしていると、気がつくと隣にいることもあった。


 ゲイの人たちへ対応は重々承知していたつもりだった。その気もないのに思わせ振りな態度をしてはいけないことは、オネエさんたちからしっかりと学んでいた。


 だから意味ありげな行動はしていないつもりだった。優しくもしていない。が、彼はついにオレのアパートまで来てしまったのである。


 この時はガラにもなく怒鳴りつけた。本気で怖かったからだ。


 「実を言うと、あの車もギターも、近頃買ったものなんです。昔、アパートの駐車場でタケさんが大事そうに車を磨いている様子を見ていました。部屋から聞こえてくるギターの音も聴いていました。『Minor Swing』ですよね? だから本当は車にもジャズにも興味はありませんでした。ただタケさんと繋がりを持ちたいという一心で……」


 ふと式場視察で初めて佐伯とドライブした時のことを思い出した。その時佐伯は「懐かしいですか?」と言った。自分が同じ車に乗っていたことを、つい口走ってしまったのかもしれないと思っていたが、そういうことだったのかと、今更ながら納得する。


 「でも、ジプシージャズの話をするのは楽しかったですよ」


 「それは良かったです。必死で勉強した甲斐がありました」


 佐伯は嬉しそうに、悲しそうに笑う。


 「……」


 「ボクはまた自身の欲望に任せて突っ走ってしまいました。ほとほと自分が嫌になってしまって……。サヤさんにも申し訳なくて……。死んでしまおうと思ったのですが……。本当に申し訳ありませんでした。もう二度と、お二人の前には現れないつもりです。どうか許してください」


 佐伯は深々と頭を下げた。


 「……はい」


 5秒程、間を置いてオレは返事をした。


 そして顔を上げた佐伯はそのままこちらを見ることなく踵を返した。オレとモンチはトボトボと去っていく佐伯をただ黙って見送った。


 佐伯の姿が見えなくなってから、モンチは夢から醒めたように漸く口を開いた。


 「何が何だか……、未だよく理解できないわ。どういうことなの?」


 「まさかのヒロインがオレだったってことだよ」


 「つまりタケちゃんはゲイってこと?」


 「そんなわけないだろ……」


 「でも、まあいっか。良く判んないけど、すっきりした気がする」


 モンチは笑った。そしてその笑顔にオレはホッとする。一連の出来事のすべてに幕が閉じた。そんな気がした。


 そしてまた明日から日常に戻る。オレの大好きな平穏が訪れる。


 「いっそもう、オレたち結婚するか?」


 「えっ?」

 「えっ?」


 モンチはさすがに驚いているようだった。自分で言っておきながら、オレも驚いていた。


 なぜオレはそんなことを言ったのだろう……。自分でも不思議だった。――結婚――というニ文字が、忽然と頭に浮かんできて、気づいたらそんなことを口走っていた。


 「本気で言ってる?」


 ……と問われると、なんだか急に自信が無くなった。その瞬間は本気だったような気もするし、自分ではない意志に言わされたような気がしないでもない。


 「でも、それ助かるかも! 結婚が決まってから、花嫁道具とかいろいろ買っちゃったし、どうしようかと思っていたのよね」 


 そういうこと言わなきゃ良いのに……と思うが、それがモンチであることをオレは知っている。


 ――健やかなる時も 病める時も 喜びの時も 悲しみの時も 富める時も 貧しい時も これを愛し 敬い 慰め合い 共に助け合い その命ある限り真心を尽くすことを誓いますか?――


 「モンチとなら誓えないこともないんだよなぁ」


 「何が?」


 ふとオレは『駅前キネマ館』の方へと視線を移した。

今はもう『PROIEZIONISTA――映写技師』という名の小洒落たイタリア料理店になってしまっている場所である。


 なぜか耳の奥の方で、映写機の歯車が軋む甲高い機械音とフィルムを弾くバタバタという音が聞こえたような気がした。






【了】

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元カノと別れて十年、オレたちはずっと友達だった……。 はなだ とめと @hanada-tometo

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