第26話

 配達用の白のハイエースを駆って、モンチの会社の前まで行くと、モンチが寒そうに身を小さくして立っていた。いつの間にか髪も肩口くらいまで伸び、また近頃では珍しいスカートだったというのもあって、一瞬、見逃してしまいそうになった。


 「さて、どこ行こっか?」


 社名の入ったハイエースを見つけて駆け寄って来たモンチは当たり前のように助手席に乗り込むと、車内の暖かさにホッとしたように息を吐いた。


 突然電話で呼び出されただけのオレが、この後どうするかなんて考えているはずもなく、「知らねぇーよ」と言ってやりたいところだが、失恋の痛手が如何ほどのモノか計り知れぬところもあって、返答に躊躇う。


 「何かしたいこと、行きたい所ってあるか?」


 「ん~、少し飲みたい気分かな」


 オレは体質的にアルコールを全く受け付けないが、モンチも殆ど飲めない。だから互いに行きつけの飲屋などがあるはずもなく、少し考えてから車を出した。そしてモンチの会社から程近い、いつものコインパーキングに車を停めると、『カフェ・やぶさかでない』までの道程をモンチと歩く。


 「どこ行くの?」


 モンチは、こんなところに飲屋があったかと、不思議そうに周囲を見渡していたが、『カフェ・やぶさかでない』の前まで来ると、固まっていた。


 「ここ『喫茶ヤブサカ』じゃない。コーヒーじゃなくてお酒が飲みたいんだけど……」


 オレも夜の『カフェ・やぶさかでない』に来るのは初めてだったが、ちょっとしたバーのようにお酒が飲めるようになっていたのは知っていた。


 「まあ、まあ、いいから、いいから」


 とモンチの背を押して入店すると、押し開かれた扉の向う側から昼中に流れているような静かなラウンジミュージックではなく、ややハイテンポなクラブミュージックが聴こえて来た。


 またそのテンポに合わせて、赤、紫、青、緑、黄色、オレンジと点滅せずにグラデーションで色を変える幻想的な世界(?)が広がっており、『カフェ・やぶさかでない』に新装された巨大宇宙船のような楕円形のLEDシーリングライトはその機能を遺憾なく発揮していた。


 「おぉーー、いらっしゃーい。夜に来てくれるの初めてじゃない? 」


 禿げマスターが陽気に迎えてくれたが、モンチは思考停止したままだった。


 いつもモンチが座っているボックス席には他のお客さんがいたこともあって、オレたちはマスターがいるカウンターに座った。


 当然、オレたちの頭上には、キノコなのか? クラゲなのか? よく判らない発光体がメラメラしていた。もっと他に良い言い回しがあるかもしれないが、メラメラとしか言い様がない。


 「……ここ『喫茶ヤブサカ』で、あってるよね?」


 目を瞬(しばた)かせて周囲を眺めながら、モンチが訊ねてくる。


 「いや、ここは『カフェ・やぶさかでない』だな」


 「お昼はやぶさかで、夜はやぶさかでない?」


 モンチはかなり混乱しているようだ。


 「いや、昼も夜もやぶさかでない、だな」


 「よく判らなくなってきたわ。とりあえず、マスター、ビールください」


 モンチがビールを注文したので、オレはツマミになりそうなモノを適当に何点か頼んで、自分用にはコーラをお願いした。


 「ねぇ、こうなったのって、いつから?」


 「店名と内装が変わったのは、マスターが結婚してからだから、一年半ぐらい前かな」


 禿げマスターが嬉しそうにウンウン頷いている。


 「ウソ! 私、まったく気がつかなかった……」


 やっと気がついてくれて、オレ、感無量。


 その後、『喫茶ヤブサカ』が『カフェ・やぶさかでない』へと変貌を遂げた経緯を語りながら時を過ごした。奥方がたまたま不在だったこともあって、マスターの口もクルクルとよく回った。


 目を丸くして聞いていたモンチだったが、何より驚いていたのは、自身が、この店の常連であったということだった。


 「モンチちゃんは大切な常連さんだよぉ。だからいつもチーズケーキを大きく切って出してるでしょ? ねえ、ねぇ、気付いてた?」


 禿げマスターはここぞとばかりにチーズケーキの話をする。案外、根に持っていたようである。


 その後はオレそっち退けで、モンチはお喋り禿げマスターと答え合わせをするように会話を楽しんでいた。


 今日は、多少の愚痴は仕方ないと覚悟していたが、結婚が白紙になったことも、佐伯のことも、一切話題にのぼることなく楽しそうに笑うモンチを見て、オレはすこしホッとするのだった。

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