第11話

 大量の光でオレの目の前は真っ白になった。眩しさが次第に薄れ、その明るさに慣れてくると、寂れた街の湿っぽいポルノ映画館であることを忘れてしまうぐらい、輝かしく美しい景色が飛び込んで来た。


 心地良い春の陽射しだった。すぐ目前に公園があるはずだったが、ここからは丁度、段ボールハウスも汚れたブルーシートも見えず、目線の高さで満開の桜が咲き誇っていた。風に舞い上がって飛んできたのか、屋上の床は桜の花びらでピンクに色づいていた。


 また屋上は想像より遥かに広かった。観客席のあるホールとロビーを合わせれば、それぐらいの広さがあって当然なのだが、これまでロビーと映写室を往復するだけだったのもあって、感覚的に狭く小さなビルにいるように感じていたのだ。


 屋上には、ベニア板で作られた長方形のパネルが整然と重ね置かれている他は何もなかった。それは、その昔、電柱などに括り付けてあった宣伝用の看板なのだろう。すでに不要なモノのはずだが、大切に保管されているというのが判った。


 また、そのすぐ傍らには、これまた何処かから撤去してきたような古いベンチがあった。錆びた金属製の土台の上に、かつて黄色と水色のペンキが塗られていたのであろう木板が打ち付けてあった。背もたれには提供メーカー名か宣伝文句が描かれていたのだろうが、すでに推量することさえ困難だった。

 

 オレは、老映写技師に促されるままベンチに座った。見栄えほど脆弱なものではなく、二人で座ってもビクともせず、案外しっかりと安定した座り心地だった。またその正面には公園の満開の桜が一望でき、花見をするならまさに一等地と言えた。


 「おまえ、辞めるんだってな」


 老映写技師は上着のポケットをまさぐるように取り出した煙草に火をつけた。


 「はい。お世話になりました」


 「それが良い。こんな楽な仕事を若者が長く続けるもんじゃない」


 老人は、煙を吐き出しながら、引きずっている方の脚を擦った。


 「足、痛むんですか? 」


 「いや、たいしたことはない。いつものことだ。雨の前日だけうずきよる。この桜も今日で終わりだな」

 

 老人は桜に目線を移すと、靴を脱いでベンチの上であぐらをかき、背もたれに寄り掛かった。


 「戦争で怪我をされたと聞きました」


 老人は苦笑いを零した。


「お喋りばあさんから聞いたんか。こりゃな、戦争で傷ついたわけやない」


 そして値踏みするようにオレを見ると「興味があるか?」と尋ねた。


 「はい。まあ、映写機よりは」


 老人はヒッヒヒッと下品に笑うと、二本目の煙草に火をつけた。


 「実はな、ワシは零戦に乗っとったんだ。正確には零戦ではないが、戦闘機やな」


 「あの神風ですか?」


 「ああ、そうだ。ワシは神風になった」


 とんだホラ話が始まったと、オレは笑った。


 本当は、老人の足の怪我やそれに纏わる武勇伝には何の興味もなかったが、もうしばらくこの心地良い空間に留まりたかったのもあって、その与太話に付き合うことにした。


 「でも、生きているじゃないですか」


 「そうだな、生きてるな」


 老人はおどけた目でオレを見てから、煙草を一服する。


 「そんな奇妙なことってあるんですか?」


 「そりゃ、あるさ。オマエが想像する戦争は、映画でようあるような、お国の為にと、凛々しく散っていく若者たちだろ? だがな、歴史や特に戦争の話は、その時代の都合で、美化されたり、醜聞極まりない残酷で悪辣なもんにされたり、後から作られた話の方が多い。今の中国や韓国なんか、まさにそうだろ」


 「実際は違ったのですか?」


 「まあ一部にはそんな者もいたがな、全部じゃない。根性モノもいたが、当然、根性なしもいた。良いヤツもいれば、悪いヤツもいた。よう考えてみ、数十年そこらで民族の性格が急に変貌するわけがなかろう。日本も日本人も今と何も変わらん。戦争をしてたか、してないかの違いだけだ」


 老映写技師は春の陽射しを楽しむように、僅かしか残っていない歯の隙間から煙草の煙を吐き出すと、その昔話は始まったのである。


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