第12話


 老映写技師の話は自らの半生だった。戦争からこの映画館で映写技師をするに至るまでを淡々と語った。それでもオレは最後まで引き込まれるようにその長い話を聞いた。


 そして新人研修も無事に終え、オレが『駅前キネマ館』を辞めて数日経ってからの事、老映写技師が亡くなったという知らせがあった。


 彼の指定席である映写室の古い機材の隙間に置かれた折り畳み式のパイプ椅子に座り、眠るように死んでいたのだそうだ。その死顔は安らかだったとのことである。


 そのせいでオレはまた『駅前キネマ館』に臨時で呼び戻された。亡くなった老映写技師のシフトの穴埋めと、新たに募集されて入って来る若者の研修の為だ。


 今度の新人もまた映画好きであったが、前の大人しい青年とは打って変わって、映画館を舞台にした小説の話や、古い洋画の話を一人でぺちゃくちゃ喋っているような男だった。


 研修中に、そのどうでもよい薄っぺらな知識を披露されることは苦痛極まりなく、苛立ちと我慢のせめぎ合いだったが、これが終われば、もう二度と会うこともなく、この時間を難なく穏便に過ごすことに努めた。


 そんなことよりもオレには考えることがあった。


 亡くなった老映写技師のことである。


 彼がいつも座っていたパイプ椅子に、実家から持ってきた花を手向けると、オレは老映写技師に語りかけた。


 「なぜオレにあんな話をしたのですか?」


 もちろん答えが返ってくるはずはなかった。もし、まかり間違って、この暗く不気味な映写室で老映写技師の声が聞こえてしまったら、おそらく失神してしまっていただろうけれど……。


 それでも訊かずにはいられなかった。


 無口だった老人が能弁なほどに朗々と、己の生涯を語ったのは、たんなる気まぐれだったのか? それとも何かを伝えたかったのか? ならばあの長い話のどこだったのか?


 いくら考えても答えは出なかった。


 



 映画館での仕事も漸く全てが終わり、実家で暮らすようになっていたオレは、毎日親父の後を金魚のフンのようについて回っていた。早朝から花市場へ行き、日中は葬儀屋やホテルなどのお得意様への挨拶回りなど、忙しい日々を過ごしていた。


 その後もモンチからは何の音沙汰もなかった。今頃、どうしているのか。アパートを引き払ったことを知らないモンチがドアを叩いて新しい住人に迷惑を掛けていないか。などいろいろ気になってはいたが、こちらから連絡しようにも、オレはモンチのことを名前以外何も知らなかった。


 一応、映画館に訪ねて来た場合のことを考え、モギリのおばあさんに実家の電話番号を託してきたが、なしのつぶてであった。


 そのうちオレは、モンチが最後に言った「合格したよ」が別れの言葉だったと考えるようになった。


 つまり合格したのだから予備校に通うこともなくなり、休憩所だったアパートも、延いてはその宿主であるオレも不用になった。そう解釈することにしたのだ。


 ――これでオレとモンチの関係は終わり、今度こそ、もう二度と会うこともないだろう――そう思ってから三ヶ月もしないうちに、バッタリ遭ってしまったわけであるが……。




 日本列島がうっかり蒸し器に入れられてしまったのではないかと疑ってしまうような湿度の高い暑い日のことだった。


 その頃のオレは、たまに休みが貰えると、必ず外へ出掛けていた。子供の頃、何気なく普通に暮らしていた実家がとにかく息苦しくて仕方なかった。逃げ場を求めて、用もないのに街を彷徨い、貰える僅かな給料でストレス発散とばかりに興味もない服や靴を買い漁っていた。


 そしてその時も、読みたい本があるわけでもないのに、何気なく入った書店の狭い通路で、モンチと鉢合わせしたのである。


 「あら、タケちゃん」


 オレは言葉を失い茫然とモンチを見ていたが、モンチは一週間ぶりに顔を合わせたぐらいの気軽さで、人懐っこい笑顔で手を振るのだった。

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